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佐藤 「ミネルヴァの梟(ふくろう)は黄昏に飛び立つ」。白井さんの新刊『国体論 菊と星条旗』を読んで、ヘーゲルが『法の哲学』序文で述べたこの言葉を思い出しました。時代が可視化されるのは、それまでのシステムが限界を迎えるときです。『永続敗戦論―戦後日本の核心』からつながる流れとして、いよいよ、日本とアメリカとの関係も変化する時期にきたのだと。
白井 終わりが見えていながら、延々と引き伸ばされている状況ですよね。『永続敗戦論』を書いたのは安倍政権が成立して間もない時期でした。まあひどい政権になるだろう、という予見と理由は同書に書いた通りですが、まさか6年にも及ぶ長期政権になるとは思いもせず。それへの苛立ちが『国体論』を書くモチベーションにもなりました。
佐藤 対米従属論に関しては非常に複雑で、言ってみればアメリカに全く従属していない国というのは世界でも少ない。白井さんはその上で、日本独自のねじれた対米従属のあり方を問題にされていると思うのだけれども。トランプ政権の誕生で、また急激に予見が変化しましたね。トランプの介入によって朝鮮半島情勢の問題が解決すれば、地政学の見地から言っても、必然的に米中対立が本格化しますから。

白井 はい、いよいよ対米関係を相対化しないわけにはいかない状況になってきました。これまで私は、日本の対米従属の異様さは、「アメリカは日本を愛してくれているのだ」という虚構に基づいている点にあると考えてきました。しかしトランプ大統領は「愛しているフリ」のゲームを続ける気がないのだと思います。そういうなかで、北方領土問題にも動き出す気配があります。
佐藤 現政権の間に歯舞群島、色丹島の返還でケリをつける可能性がありますね。正確には二島+αの形で。
白井 ただここまで対米従属している政権にそれができるのか、半信半疑でもあります。というのもこれまでの四島一括返還という要求は、歴史的経緯からしても無理筋でした。解決する気がなかったわけですよね。
佐藤 当時の反共体制において、アメリカが小笠原と沖縄に施政権を行使している状態で歯舞群島と色丹島を引き渡されたら、日本国民にとってはアメリカよりソ連のほうがいい国だってことになりましたからね。しかし現在、トランプ政権は北朝鮮との関係改善に動いている。朝鮮半島情勢の問題が解決すれば、韓国・北朝鮮・中国も地続きとなり、提携が強まる。あきらかに北東アジアのバランスが崩れるから、カウンターボーナスとしてロシアが出てきているわけです。
白井 そのシナリオは誰が書いているんですか。

佐藤 集合的無意識でしょう。日本のエリート層が今のまま日本国家で生き延びるために無意識で起こしている潮流ですよ。
白井 やはり行き当たりばったりで、計画性はないのですね。
佐藤 トランプの登場で冷戦構造が壊れ始め、一昔前の言葉を使うなら“帝国主義”的な再編が起きているわけです。この先はもう、何が起きるかわからない。私みたいに分析専門家をやっていると、悪いシナリオと、ものすごく悪いシナリオしか見えないけれど。
白井 私も特に3.11以降、最悪の想定しかしなくなりました。
佐藤 安倍政権に関しても、好き嫌いはともかく次によりマシな政権がくる可能性はかなり低いですよ。混乱は免れない。しかもその閉塞した状況が、世界全体を通じて起きている。これまでの常識が通用しなくなるかもしれない状況下で、海図なきままに泳いでいかないといけない。いよいよ自分で考えなければ生き残れない時代になっていくでしょう。

白井 いま一番気になっているのは、覇権国が移行する過程で起こるかもしれない、戦争のことです。これまでの歴史上、覇権が移行するときはしばしば大きな戦争が起きていますよね。20世紀に覇権はイギリスからアメリカに移行しました。それが中国へ移るとなったとき、アメリカも座視はしないでしょう。そのとき歴史のけじめとして何らかの犠牲が必要になる。このままでは日本人に矛先が向くと思うんです。自立心がなく、奴隷根性が染み付いた民族として命が軽く見なされるのではと。
佐藤 少なくとも外交上の存在感はほぼありませんね。

佐藤 優 さとうまさる 作家 1960年生まれ、東京都出身。元外務省・主任分析官として情報活動に従事したインテリジェンスの第一人者。“知の怪物”と称されるほどの圧倒的な知識と、そこからうかがえる知性に共感する人が多数。近著に『世界のエリートが学んでいる哲学・宗教の授業』など。

白井 以前大学で働き方についての講義をしたとき、アンケートに「ブラック企業には入らないようにしたい」というだけの感想が複数あったときは呆れました。そりゃ誰だって入りたくないに決まってますよ。でもそこしか働く場所が見つからなかったり、まともだった企業がいつしかブラックになってしまったりする。そういうところに一切想像力が及ばない。きわめて消費者的です。買い物ならお金を持っていれば好きなものを買えるのと同じように、何でも好きなように選べると思い込んでいるのでしょう。
佐藤 その点からも教育が重要になります。もっとも今の日本は大学人がかなり疲れているので、白井さんのようにアカデミックな手続きを踏んだ上でのきちんとした文書を書きつつ、賢母的に大学で学生たちと向き合っている若手は稀有ですが……。

白井 日本人は能力があるはずなのに、こんな情けない状態になっているのは、それこそ国体教育の賜物だと思いますけども。生き残るためには、まず奴隷根性を恥ずべきものと思わないと。
佐藤 本来、国民一人ひとりが外交や政治について考えなきゃいけない社会はよろしくないんですよ。代表者を決めたら、彼ら彼女らに任せて、一般市民は個々の経済や文化で自己の可能性を形にしつつ納税し、マルクスのいうところの再生産を行えばいい。それが代議制民主主義の社会モデルです。しかしいま、就職して結婚して、家を買って子どもを育て、その子が成長して再び……という再生産の仕組みは、成り立たなくなっています。そして指導者であるはずのエリート層ですら思考力が著しく低下している。未知の問題に出合ったとき、総合的な見地から理解し、対応する力を養うのは、簡単なことではないけれども。お受験的な学力は意味がありません。自分や自分のまわり以外の気持ちを推し量る訓練もしなければ。

白井 聡 しらいさとし 政治学者 1977年生まれ、東京都出身。京都精華大学人文学部専任講師。『永続敗戦論―戦後日本の核心』で第4回いける本大賞、第35回石橋湛山賞、 第12回角川財団学芸賞を受賞。近著に『国体論 菊と星条旗』など。

白井 もっとリスクをとって「君のように何も考えない人間がいるから、ブラック企業がなくならないんだね」くらい言うべきかもしれません。結局誰も教えてくれなかったから、大学生にもなってまことに情けない状態になっている。そして「空気読め」の風潮で自分の意見も言えず、利用されたり、鬱になったり。それじゃ何のために生まれてきたのかわからない。生きている以上、何らかの制約は必ずあります。そのなかで少しでも自由に、自分が思うように生きるため、僕らは学ぶのだと思うんです。

撮影/伊東隆輔 構成/藤崎美穂 スタイリング(佐藤)/森外玖水子
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