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佐藤 私が同志社大学に入学した1979年、学内全体を巻き込んだ発酵論争がありました。生協の学食が納豆を置き始めたことに対し、関西出身の学生が猛反発をしてね。「腐敗物を置くな!」「臭い」「除去しろ」と。「ダイエットにいいのだ」という女子学生が圧倒的に多くて、最終的には置くことになったんですが。
藤原 納豆は地元の島根もそんなに食べないです。私は昔から納豆大好き人間ですが。
佐藤 そもそもなぜ発酵に興味を持たれたんですか?
藤原 子どもの頃からなぜか発酵食品が好きだったんです。さらに専門分野がナチス時代のドイツなので、研究で訪れるとザワークラフトのように日本とはまた違う発酵食品が日常にある。パンやワインやビールの味も地域によって全然違う。そこからさらに発酵の文化に興味が高まったのを覚えています。
佐藤 ロシアにはクワスという、ロシア語でそのまま「発酵」という名の飲み物があるんですよ。パンを水に入れ、さらにイースト菌を加えて発酵させて作る。愛国主義の象徴みたいな面もあって、「我々にはクワスがあるから、アメリカ帝国主義の飲み物であるコカ・コーラは必要ない」と、ソ連崩壊の直前までコカ・コーラを輸入しなかったんです。

藤原 甘みがあるんですね。飲んでみたい。
佐藤 少し甘いです。クワスを使ったアクローシュカという冷製スープもあって、モスクワに行くと食べたくなります。日本で見かけないのはやっぱり匂いなのかな。鈴木宗男さんは、クワスはダメでした。「トイレの匂いがする……」と言って。
藤原 発酵食品って匂いも魅力の一つですよね。以前、発酵学者の小泉武夫さんと対談した時に「発酵食品の香りは体臭に近い」という話になって。だから若干の不快感を感じてもどこかで好ましさを感じるのか、と。ロブ・ダンの『家は生態系』によると無菌状態であるはずの宇宙ステーションにも人間由来の菌が住み着いていて、リンゴの腐った匂いがするそうです。つまり発酵食品って、僕らの体内の延長線上にあるものだと言えるんですよね。生態系として考えるととても面白いし、愛しいなあと。
佐藤 発酵食品は世界中にありながらバリエーション豊かなところも面白いですよね。同じ国でも納豆論争が起きるくらいで。食べ物によって旨そうな匂いと思う人もいれば、嫌な匂いと思う人もいる。

藤原 菌の繁殖しやすさは気候や風土によって変わってきますから、本当に生活と密着しているんですよね。
佐藤 関連しますが、『分解の哲学』を読んでウンベルト・エーコの『永遠のファシズム』を思い出しました。あいつはトカゲを食う、自分たちは食べないのに野蛮だ……というように食べ物の違いで相手を排除しようとすることが、ファシズムの原型だという。
藤原 私も読みました。差別の原型でもありますよね。ナチズムの当時の新聞雑誌を読むと、ユダヤ人やスラブ人の食文化をおとしめる記述が少なくありません。
佐藤 そもそも何かを一緒に食べるという行為には宗教的儀式の側面もあります。アメリカ人はバーベキュー好きでしょう。中央アジアや中東では、シャシュリークというけれども、みんなで肉を焼いて食べる。あれは煙を神様にささげて一緒に食べているんですよ。その場にいる人だけでなく、神様とも縁をつける。

藤原 そうか、煙が立ち上っていくことで神様も喜んでいるんですね。面白いなあ。
佐藤 神学においてはキリストの肉であり血であるパンとぶどう酒を共に食べる行為にも大きな意味があります。宗派によって違いはありますが。そんなことを思いながら、「共に食べること」を論じられた『縁食論』もとても面白く読ませてもらいました。
藤原 ありがとうございます。よかった。今日は公開でダメ出しをされたらどうしようと思いながら来たので(笑)。
佐藤 いやいや、農や食の専門的な分野にとどまらず、現代が抱える問題点を考える上で非常に重要な本だと思いました。取り上げられているこども食堂も、今すごく大切なテーマですね。

佐藤 優 さとうまさる 作家。1960年生まれ、東京都出身。元外務省・主任分析官として情報活動に従事したインテリジェンスの第一人者。"知の怪物"と称されるほどの圧倒的な知識と、そこからうかがえる知性に共感する人が多数。第68回菊池寛賞受賞。近著に『還暦からの人生戦略』など。

藤原 私の研究の核の一つに、第一次大戦期ドイツの飢餓があるんです。30万人以上の子どもの餓死者を出した為政者に対する親たちの不信と負のエネルギーが、ドイツ革命に繋がっていった。それを観察していて、第二次大戦後にGHQに給食の普及を勧めたのがフーヴァー元大統領ですよね。こども食堂は上からの制度ではなく、いわば湧いてきたような自発的なアソシエーションですけど、いま5000かな、児童館の数より増えているというのは現代史の文脈としても面白いと感じています。いくら文明が発達しても、やはり食は、生きることと切り離せないものですから。
佐藤 人口も出生率も税収も上がっている兵庫県明石市の泉房穂市長の活動基盤は、全小学校区にあるこども食堂なんですよ。もともとご兄弟が障害を持っていたというところから福祉活動に非常に力を入れていて、資金支援だけでなく市の職員もボランティアで参加させている。そうすることで敷居をさげて、また困窮家庭の子どもに貧困のスティグマを与えないよう配慮もしています。

佐藤 市議会の全党派に反対されて、家に石を投げられるような嫌がらせを受けても公共事業を減らして福祉に資金を回し、結果として住民から大変な信頼を得て当選を続けている。
藤原 私も、泉市長から目が離せません。『給食の歴史』という本を読んでくださった少年院の関係者と話したことがあるのですが、明石市は刑務所や少年院を出所した人の再生支援として、彼ら・彼女らを雇用する事業主に優遇措置の制度を設けているんだと。
佐藤 いま新しく専門のセンターもつくっています。地域住民も賛成しているのがすごいですよね。行政に対する信頼度が違う。お好み焼き屋をチェーン展開している千房の中井政嗣会長も、前科前歴のある人の雇用を積極的に推進していますよね。
藤原 そうなんですか。千房のお好み焼き屋さんは京都でもよく見ますけれど、知りませんでした。
佐藤 塀の中で面接をし、身元引受人にもなった採用第一号の人にお金を持ち逃げされてしまうという苦い経験を経てなお、支援雇用を続けています。それは更生して真面目に働く人を支援したいという気持ちはもちろん、もう一つ、企業としての利点もあるのだとか。

藤原辰史 ふじはらたつし 京都大学人文科学研究所准教授。1976年生まれ、島根県出身。専門は農業史、食の思想史。主な著作に『ナチスのキッチン』『給食の歴史』『食べるとはどういうことか』『分解の哲学』『縁食論』『農の原理の史的研究』など。

藤原 どういうことですか?
佐藤 嘘をついたりすぐに来なくなったりしてしまうような、いわゆるトラブルメーカーとなる人もいる。ただそれが管理職の人間力を桁違いに鍛えるんだそうです。人材管理能力はもちろん、トラブルにも動じなくなる。トータルで千房という会社が強くなる。要するに雇用支援の社会的な意義と、会社の利益が連立方程式になっているんですよね。それを聞いて、人間という動物の機微に触れているなと思ったんですよ。
藤原 連立方程式って興味深い言葉ですね。私が『縁食論』で一番言いたかったところも連立方程式的、いやもっと言えば多元方程式なんです。現代社会は、ある企画の効果を考えるとき、変数ないし解を一個に絞る社会になってる。一対一対応のモデルが多すぎる。食は本来的には変数が多く、効果も多様なので、子ども食堂の効果といっても幅広い。食に限らず、経済効果とか少子化対策とか大きな目的だけでなく、互いに網目状につながったり、将来つながる可能性のある小さな目的をわんさか組み込んだ政策を立案していく。それが結果的に、誰もが息をしやすい社会につながっていくと思うんです。
佐藤 泉市長にしても中井会長にしても、常識とされているところからちょっとズレた論理を組み立てられる人が、社会の包括度を強くするんでしょう。しかし今は特にコロナによってグローバリゼーションに歯止めがかかり、文化的な拘束性がより強まっています。同時に格差が急速に拡大している。国家間格差、地域間格差、階級間格差、ジェンダー間格差……。食の問題は誰にでも身近な分、差別と結びつきやすい構造にあることは、気をつけておきたいですね。

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