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佐藤 『人新世の「資本論」』、久しぶりに読みごたえのある面白い本が出てきたと思いました。非常に真っ当なマルクスの読み方をされている。純粋な資本主義は資本家階級と労働者階級によってなされるわけですが、実際にはもう一つ、地代を得る地主という階級が出てくる。マルクスはそれを三位一体の公式として『資本論』に書いている。ただ、そこだけ読むと論理的におかしいんです。最終的には二つの階級に収斂するはずであって。しかし「土地」はまさにエコロジカルな事柄を含んだものと捉えるとしっくりくる。土地、エコロジーは資本によっても労働によっても作ることはできない、という環境規約制の話なんですよね。
斎藤 この本をそんなふうに読んでくださって嬉しいです。自然の限界が社会や経済に制約を与えていることを常にマルクスは意識していたにもかかわらず、彼の環境思想は150年ものあいだ眠っていました。そのせいで、20世紀のマルクス主義の議論は、マルクス自身の思想的到達点とはかけ離れたものになり、「生産力を増強して自然を乗り越え、労働者たちに潤沢な財を供給して、人間の解放につなげよう!」という議論に陥っていました。けれど、「人新世」という環境危機の時代に突入したこともあり、私たち文献学者が発掘したマルクスの危機への処方箋が世界的に注目を集めているのです。

斎藤 もうひとつ、執筆のきっかけは、グレタ・トゥンベリを始めとする、若い世代の環境運動です。「もっと真剣にシステム・チェンジに取り組め」という彼らの声に応答し、日本での運動を鼓舞するようなものを理論家として書きたかった。だから若い人でも手の届く新書として出版しました。
佐藤 キリスト教の視点からすると、エコロジーの問題には創造の秩序の問題が絡んでくるんですよ。プロテスタント神学の主流派は創造の秩序を認めないから、エコロジーの発想が出てきにくい。一方カトリックには、自然の中にも神の啓示があるという自然神学があるから、自然は自然のままで人間が手を出すものではない、という論調になる。そちらにいくとまた胃袋がねじれるような世界になってくるわけですが。
斎藤 そうですよね。私の場合は宗教なしでヒューマニズム的立場から環境問題を考えたいと思っていますが。
佐藤 それにグレタさんが出てきたときに「落ちこぼれの高校生が生意気だ」というようなズレた感覚で批判する人たちも一定数いますよね。それはもう、そういうイデオロギーで動く人たちだから、彼女が何を言っても、その言葉に耳を傾けない。

斎藤 「経済成長こそ人間に繁栄や幸福をもたらす」というイデオロギーは強固で、資本主義が、環境破壊や貧困を引き起こす原因なのは明らかなのに、人々はそこから目を背けてきました。成長さえしていければ技術が発展して、気候変動でも貧困問題でも、なんでも解決するはずだというという「信仰」です。でも、そうではないことに、コロナ禍で日本人もうっすらと気づき始めた。技術だけでは、コロナも気候変動も解決できない。環境危機に歯止めをかけるためには一定の限界内で生きる必要があり、そのためには経済をスローダウンするしかないと。
 しかし、これは、「みんなで貧しくなろう」という議論ではありません。世界人口の半分の人が排出する二酸化炭素の二倍の量を、1%の超富裕層が排出しています。その人たちの浪費にまずブレーキをかける。

斎藤 また、世界で26人の金持ちが、世界の下位半分の人と同じ富をもっています。これをもっと平等に富を割り振っていけば、より少ない消費量、生産量でも、多くの人たちのより良い暮らしを実現できる可能性が残っていると確信しています。
佐藤 ただ、その議論が逆用される可能性もあると思うんです。例えば「じゃあ低成長で、一人7万円あれば生活できるでしょ。ベーシックインカム投入しましょう、その代わり生活保護はなし、社会保障はなし」というような。ベーシックインカムが脱成長のシンボルとして使われ、実態としては富の偏在をますます拡張する可能性があると思う。この瞬間においては。
斎藤 日本はそういうところが非常に弱いですよね。

佐藤 優 さとうまさる 作家。1960年生まれ、東京都出身。元外務省・主任分析官として情報活動に従事したインテリジェンスの第一人者。"知の怪物"と称されるほどの圧倒的な知識と、そこからうかがえる知性に共感する人が多数。第68回菊池寛賞受賞。近著に『池田大作研究 世界宗教への道を追う』など。

佐藤 いわゆる日本型社会民主主義。付加価値税に反対する社会民主主義は世界でもまれなモデルですからね、じゃあ、財源どうすんのかと。
斎藤 僕自身もベーシックインカムには反対です。
佐藤 井手さんが言ってるようなスウェーデン型の社会は、つまるところ総合監視社会ということだから。
斎藤 福祉国家も気候危機対策も国家の権力が強くなるソフトファシズム的要素がある。これが社会民主主義の一つの限界でしょう。
 それに対して、私が提唱しているのは、<コモン>を再建し、民主的に管理する社会です。<コモン>とは、水や電力、教育、医療など誰もが必要とする共有の富のことです。<コモン>に依拠した社会だから、コミュニズムです。もちろん、これは、国家をなくすという意味ではないし、ソ連型の共産主義とも違います。

斎藤 人類のもつ最大の<コモン>は、地球環境です。私は15年間、海外で暮らしていたのですが、帰国して驚いたのは、環境問題に関する危機感が欧米に比べて低すぎることでした。
 政府の対策も「やっている感」だけ。たとえば、レジ袋の廃止だけでは全く意味がない。レジ袋をやめたところで、石炭火力の発電所が一つできればチャラです。個々人の消費のレベルだけでは不十分で、グレタたちがやっているような運動のように、大きな社会問題として、システム・チェンジを求めていくべきです。
佐藤 そういった活動の周辺で注意しなければいけないのは、彼らを利用してビジネスをしようとする人が必ず出てくることですね。反原発運動の背後にメジャー(国際石油資本)がいたっていうのは公知の事実ですから。

斎藤幸平 さいとうこうへい 哲学者、経済思想家。1987年生まれ、大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。『大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝』で、ドイッチャー記念賞を日本人初、歴代最年少で受賞。近著に『人新世の「資本論」』(集英社新書)がある。

斎藤 おっしゃるとおり、運動には常にジレンマがありますよね。マルクス主義哲学者スラヴォイ・ジジェクが「権力を取ることのジレンマ」という言い方をしています。外野から批判しているだけでは社会は変わらないけれども、実際に権力を得て権力の中に入っていくと、それが新しい体制の始まりになってしまう。その結果、最初持っていた運動のポテンシャル、革命性が失われ、保守化してしまう、と。
 ただ現時点の日本の意識では、それを心配する次元にもないという状況です。そういった不安が出てくるようなところまで、まずは運動を拡めたいですし、今回の本も、そのエンパワーメントになることができればと考えています。
佐藤 権力の本質は暴力です。私はソ連崩壊の過程を見て、暴力を伴う形での体制変動が、個々の人々にどれだけの悲しみや苦痛をもたらすかを皮膚感覚で知ることになりました。だから反革命派なんです。でも斎藤さんはこういった形で、日本の既存の論壇やヘゲモニーとは一線を画したところで、真剣に世の中を良くしようと真っ直ぐに考えられている。その生真面目さと優しさから、いずれ斎藤さんにしかできない世界が出てくるだろうと期待しています。

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