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佐藤 佐々木さんは東京、軽井沢、福井という3つの生活拠点を持ち、SNSでも積極的な発信をされています。私は売文業者として「金にならない文字は書かない」という確固たる決意でSNSを使わずにいるのですが、2018年に上梓された『広く弱くつながって生きる』はコミュニケーション論としても、社会論、世代論としてもとても面白かったです。ネット上でもリアルでも年齢や職種関係なく多くの方とリアルな接点を持たれていて、バランス感覚の非常に優れた方なのだなと。
佐々木 ありがとうございます。社会の発展やイノベーションには、リアルな人の交流や議論、それも雑談のようなものが不可欠だと思うんです。ただコロナ禍でなかなか集まりにくくはなってしまいましたが。
佐藤 リモートワークによりオンラインミーティングはいっきに普及しましたけれども。私はむしろ今はZoomなどのほうが、顔全体が見えていいと思うこともあります。マスクだと表情がわからないですから。
佐々木 たしかにそれはありますね。ただオンラインミーティングは、複数人の雑談にはまだちょっと向かないんですよね。わざわざ挙手しないといけない雰囲気があるし、技術的にも同時発声したときに相手の声が聴こえないとか、とても微妙な0.0何秒くらいのタイムラグもあるので。

佐藤 5Gになったときにどうなるかですよね。
佐々木 ええ。5G、あるいはその次の6、7になるかもしれませんが、電話回線と同じ感覚のリアルタイム感で映像通話が可能になり、さらにVRも8Kや16Kくらいの解像度が実現すると、もう本物とアバターの区別がつかないくらいのリアル感になります。人間の目の解像度が8と16の間と言われていますから。近い将来、10年以内にはそういう時代がやってきます。
佐藤 触感や匂いが次の課題になってきますね。匂いの再現は可能かもしれないけれど、触感は脳神経をいじるレベルじゃないと難しい。
佐々木 そこまでくるともう『マトリックス』の世界ですよね。端末のウエアラブル化はやがてコンタクトレンズレベルになるとは思いますが、さすがに五感の再現は簡単ではないかなと。ただそこまでいかなくても、コミュニケーションという意味では限りなくリアルに近いことができるようになります。そうなったとき、じゃあ会わなくてもいいや、となるかというと、それはやっぱりまた違って。世界と直に触れ合う摩擦の感覚、身体感覚は、逆により貴重になっていくと思います。
佐藤 テクノロジーは急速な進化を続け、生活もコミュニケーションの形も変わっていくでしょう。ただその恩恵をすべての人が享受できるのかどうか。

佐藤 今の時代、かなりの数の子供が経済的な理由から進学を諦めていますよね。教育の格差は確実に拡がっていく。そうなると最先端の技術を作り、使いこなせる人たちと、それに振り回される人たち、そして、そこから完全に阻害されてしまう人たちが出てくる。
佐々木 実際、有名ではない大学に行って就活に苦労するぐらいなら、中学卒業と同時に手に職をつけて働いたほうが生活は安定する――というような実学志向の流れは、ここ10年でかなり感じますね。一言で若者と言っても、環境によってすでに同じ国とは思えないくらいの差が出てきています。東京で一流といわれる大学を出て一線で働いている20代30代は、聞くと両親も大学教授やら弁護士やら会社の社長なんですよ。もう現代の貴族です。一方、地方の田舎は本当に仕事がなく、コンビニのアルバイトも狭き門。若くて健康だけど仕事がなく、周囲も無職や生活保護の人ばかりという環境で暮らしている若者も少なくはありません。

佐藤 ただ、もし中世時代の人間が現代にやって来たら、東京でエリートとされる、投資会社で一日中ディスプレイに張り付いて株価を見ている証券マンや、霞が関のキャリア官僚は奴隷だと思われるかもしれません。何にも束縛されない完全な自由民であるニートのほうが貴族に見えるかもしれない。
佐々木 そうですね。ニートの生活費の出処が親ではなく国家になると、それはつまりベーシックインカムで。
佐藤 ただし国家の介入によるベーシックインカムは、ファシズムに結びつきやすい。戦後の日本の福祉は企業が担っていて、そこからはみ出た非正規や片親家庭にはもともと冷たい国だった、という中央大学の宮本太郎さんの福祉論が腑に落ちたんですけれども。

佐藤 優 さとうまさる 作家。1960年生まれ、東京都出身。元外務省・主任分析官として情報活動に従事したインテリジェンスの第一人者。"知の怪物"と称されるほどの圧倒的な知識と、そこからうかがえる知性に共感する人が多数。第68回菊池寛賞受賞。近著に『還暦からの人生戦略』など。

佐藤 なのに企業共同体も崩れた今、何でも政府に求める声が大きくなっていますよね。その行き着くところは自由なき支給制限です。今のロックダウン論争にも通じますが、自由を求めるくせになぜか強力な制限を求めるリベラリストの論調には、矛盾した心情を感じますね。
佐々木 となるとやはり共同体が重要になってくる……。
佐藤 それと『貧乏物語』の頃の河上肇をもう一回見直す必要があると思っています。要するに「富裕層が宴会を自粛してその分を貧困層に回せ。成功者が再分配するモラルが必要だ」と説いているのですが。
佐々木 日本はノブレス・オブリージュの感覚が今までなかったんですよね。特に社会的成功者の位置にいる団塊ジュニア世代は生存バイアスが強くて、新自由主義的なリバタリアンが多い。実力主義に傾斜しすぎた世代がちょうど40代半ばくらいで社会の中心層になってきているのは、あまりよくない流れのように感じています。

佐藤 団塊ジュニアはある意味キーですよね。自分だけ総取りするのを良しとするつまらないエリートになるかどうかは、教育――知識や教養次第だと思うんですよ。
佐々木 80年代生まれ以降になるとだいぶ公正な感覚になっていって、さらに今の20代30代は、全体の構造を改修しない限り物事は解決しない、そのためには政治権力とも仲良くしていかなきゃいけない、という感覚が強いと思います。シェアハウスもその表れのひとつだと思いますが、自分たちの共同体を作っていくことを無意識的にやっています。その共同体思想みたいなものが社会全体をどう変えるかという意識につながっている部分があるのでしょう。
佐藤 そういう動きはエンカレッジしていきたいですよね。あと私が注目しているのは、国家と個人の間に位置する中間団体です。農協や創価学会のように、中間団体として黒字で機能している組織がこの先さらに重要になってくる。
佐々木 宗教団体は強いですね。
佐藤 もっとも新宗教でも、創立期の魔術的な要素をなくしてアカデミックな方向に行っている教団もあります。

佐々木俊尚 ささきとしなお 作家、ジャーナリスト。1961年生まれ、兵庫県出身。毎日新聞社などを経て2003年に独立。近著に『広く弱くつながって生きる』『時間とテクノロジー』など。総務省情報通信白書編集委員。TOKYOFM放送番組審議委員。情報ネットワーク法学会員。

佐藤 そうするとある種の力がなくなってくる。要するに、外の基準と違うスタート時のエネルギーを持ちつつ、社会的に影響力を持つというのはなかなか難しい。
佐々木 カルト的な要素が訴求力にもなるというか。人間ってある程度の束縛があったほうが安心というのは、やっぱりあるのかもしれない。でも70年代に世界的にヒッピー・コミューンが流行って、日本でも吐噶喇列島(とかられっとう)や紀伊半島にできたんですが、その後のてんまつを調べるとだいたい3パターンあるんですよね。1つ目は喧嘩別れで解散。2つ目は地元の共同体に吸収される。3つ目は宗教団体になる。どれもあまり明るい印象の結末ではなくて。
佐藤 何もしないほうが良かったんじゃないか、という。
佐々木 でもテクノロジーが進化することによって、新しい形の共同体ができてくることも期待しているんです。広場があってカリスマ的なリーダーがいて……という、従来の求心力が強すぎて束縛のある形とは違う、年齢や職業にも関係なく個人が網の目の点と点でゆるやかにつながっている、SNSのような共同体。それが希望であり、現時点の仮説なんですけれども。
佐藤 単なる仮説ではなく、佐々木さんは実体験として一つのモデルを作っておられます。ネットの中だけではなく、人に会うというリアルな関係も大切にされているからこそ見えてくるものがあるのでしょうし、それはやはり、良き時代の新聞社の気風を継いだジャーナリストの視点なのだろうなと感じますね。

撮影/野呂美帆 構成/藤崎美穂 スタイリング(佐藤)/森外玖水子
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