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佐藤 美馬先生はさまざまな難病を扱う神経内科専門医でありながら、社会学、哲学、倫理学、経済学などの分野を超えた研究を続けておられます。そして度々、特定のリスクを特別視することの危険性を説かれていますね。一つのリスクだけに注目することで全体像が見えにくくなる。場当たり的な対処法ばかりが先に立ち、根本的な解決方法や、内包するその他のリスクを見過ごすことにつながりやすい、と。
美馬 リスクというものは多面性や広がりを持っているということが、グローバル化する中で浮き彫りになってきましたよね。医学においても、科学一般においても。かつて干ばつや地震といった自然災害こそが最大のリスクだった時代には、人間は雨乞いをしたり神に祈ったり、あるいは諦めたりと受身で対応するしかありませんでした。けれど現代では、リスクはコントロールできるはずという考え方が前提になってきている。たとえば、今の地球温暖化の問題も、元をたどると産業革命の時代、燃料として石炭を燃やし始めたころからの影響が積み重なっているわけです。つまり多くのリスクは人間がつくり出している。ならば事前に対応策を取りましょう、というのが、リスクマネジメントの発想です。それで、本当にリスクから逃れられるのかには疑問を感じています。

佐藤 リスクにおける人間の要素というと、東海村臨界事故のときに原子力安全委員長だった佐藤一男さんが書かれた『原子力安全の論理』という本の中に興味深い記述があります。すなわち人間には4通りの動き方がある、と。①やるべきことをやる人。②やるべきことを不十分にしか行わないか、やらない人。③やってはいけないことを行なう人。④やってはいけないことをやらない人。1と4のリスクマネジメントはできますが、2と3は自覚がないから矯正も難しい、という。
美馬 やってはいけないことを狙いすましたようにやる人は、確かにいますね。何かが見えていないので、ちぐはぐなことをするんでしょうね。
佐藤 医療現場でもしこのような、自分の行動がリスクだと気づいていない人がいたとして、まわりが気づかせるにはどんな方法があると思われますか。
美馬 その人の中で『このやり方が絶対に良い』『反対意見は確実に間違っている』という物語が出来上がってしまっていたら、通常の人間関係で修正はムリですね。
佐藤 よくわかります。ある種の強制力が必要になる。
美馬 そうですね。医療現場ではそうならないよう、多職種連携といって、一人では意思決定できないシステムにしています。必ずカンファレンスをするとか、いろんなチームをつくるとか。

美馬 いまは科学技術の分野でもたいていそうなっていますよね。
佐藤 何事も偏りは良くない状況を招きがちですからね。
美馬 実際に起きてしまう事柄には、現在の人智で観測しきれない要素もあると思うんです。偶然的なもの――平たくいうと「運」というような。でも現在のリスクマネジメントは、リスクは制御できることが前提なので、問題が起きたら何かしらの失敗があったと考える。この感覚も行き過ぎるとあまりよくないですよね。というのも、リスクを予測できなかったときに、なぜ予測できなかったのか? と遡ってみていくやり方は、どうしても犯人探しじみてしまう。それではどんどん窮屈になっていくと思うんです。誰かをダメな人に仕立てて責任を取らせて、繰り返さないためにあのリスクを排除しましょう、このリスクも排除しましょう、こんな手続きを増やしましょう……というように。

佐藤 先生は『リスク化される身体』でも、行き過ぎたリスクマネジメントが及ぼす個人・社会への影響を詳しく論じられています。『生を治める術としての近代医療―フーコー『監獄の誕生』を読み直す』は、読みながら獄中生活を思い出して身につまされるものがありました。監獄では管理して秩序に組み込む過程が圧縮されていますから。リスクマネジメントが徹底されたパノプティコン(全展望型の監視システム)の中では囚人は自ら従うようになる。見られているかどうかわからないのだけど、いつも見られているという精神状態になるから。その感覚は獄中にいるとよくわかります。
美馬 それが緩くなったものが学校ですよね。

佐藤 優 さとうまさる 作家。1960年生まれ、東京都出身。元外務省・主任分析官として情報活動に従事したインテリジェンスの第一人者。“知の怪物”と称されるほどの圧倒的な知識と、そこからうかがえる知性に共感する人が多数。第68回菊池寛賞受賞。近著に『よみがえる戦略的思考 ウクライナ戦争で見る「動的体系」』など。

佐藤 しかも新獄舎なんて、分厚い壁におおわれて外の天気もわからない、音も何も聞こえません。
美馬 それは拷問ではないかという説はずっとあるんですよね。脳科学でも感覚を遮断するとどうなるのかという人体実験があります。それを洗脳に使えるんじゃないかということで1950年代にCIAがずっと資金援助していたという話があって。
佐藤 ありうる話です。管理しやすいですからね。
美馬 フーコーのいう生権力の概念で面白いと思ったのは、第一次大戦後に生まれたいわゆる福祉国家は徴兵制や戦争とペアになっている、という考え方です。「殺すぞ」と脅すのではなく「さあ殺し合いにいきなさい。あなた方には長くて快適な一生を約束しましょう」といって言うことをきかせる。一方で、本当に不要と思えばナチスドイツのように容赦なく排除する。それが今の国家のひとつの本質をついているかなと思っています。

佐藤 『感染症社会 アフターコロナの生政治』の、植民地支配とコロナの関係、帝国主義的な植民者からの裏面性、このあたりの視点も非常に面白かったです。「検疫」というシステムは、もともと人種主義の要素が合わさっていたという。
美馬 検疫を一番厳しく始めたのは、移民国家であるアメリカです。ニューヨークとサンフランシスコに大きな検疫所があって、引っかかると入国できずに強制送還です。そのとき、ずらっと並ばせるんです。ヨーロッパ、特にフランスやイタリアではいまでも列に並ばないほうが普通です。そういった行列経験のない人々を並ばせて、裸にしてチェックする。それがある種のイニシエーションというか、裏の教育になっていたんじゃないかという話がありますね。そうして秩序や上下関係を刷り込んで、適応できた者だけがアメリカで労働者になれる。
佐藤 通過儀礼になっているわけですね。
美馬 フーコーの生権力という概念に触発された思想家には、人間が自分自身を家畜化してきたのが近代や文明、文化なのではないかと言っている人たちがいて、それも興味深い指摘だなと思います。

美馬達哉 みまたつや 医学者。1966年生まれ、大阪府出身。京都大学大学院医学研究科博士課程修了。立命館大学先端総合学術研究科教授。主な著書に『リスク化される身体 現代医学と統治のテクノロジー』『生を治める術としての近代医療―フーコー『監獄の誕生』を読み直す』『感染症社会 アフターコロナの生政治』など。

佐藤 私は以前から伝統的自由主義の愚行権をとても重要と考えています。愚かなことをする権利。幸福追求権と言い換えてもいい。唯一の例外に他者危害排除の原則がありますが、つまり他者に危害を与えなければ、個人は、他者や社会全体から見て、たとえ愚かな行動であっても自由に行動をする権利を持っている。お互いにそれは尊重するべきものであって、多少の迷惑には目をつむる。ただ今の時代は、その権利が脅かされているように思います。偏ったリスク管理を行った結果、どんどん窮屈に、がんじがらめになってしまったら本末転倒です。
美馬 渦中にいるとなかなか自覚できないのですが、もし、いまの生活に窮屈さを感じている人がいるとしたら、一番気になる事柄やシステムから少しだけでも距離を取ることを勧めたいです。普段スマホをよく見ている人なら、スマホに触れない日を1日つくるだけで世界の見え方が変わるはず。そして新しい別の価値観を取り入れてみる。便利さとかお金とか自己実現とか、日頃重視している価値観から一度降りて、いつもなら選ばないような選択肢をわざと選んでみる。職業柄あまり大きな声ではいえませんが、「健康」第一でない暮らしもありでしょう。実店舗の本屋さんで、アマゾンのリコメンドには出てきそうにない本を見てみるだけでもいい。そうすることで、誰かから押し付けられる価値観に翻弄されることなく、自分の豊かな人生のための行動を見直せるようになるのではないかと思います。

撮影/伊東隆輔 構成/藤崎美穂 スタイリング(佐藤)/森外玖水子
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