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佐藤 大澤先生は、歴史上の出来事を哲学的な手法を用いて紐解いていく画期的なシリーズ『<世界史>の哲学』をライフワークにされているほか、ジャンルに囚われない自由な視点から、さまざまな分野にわたって研究を続けられています。私より2学年先輩ですけれども、思考や分析に使う道具が明らかに先進的なんですよね。私のほうがジジイです。
大澤 ジジイってことはないけど(笑)。いや、褒めていただいてありがとうございます。佐藤さんに言われるとこそばゆいな。僕がいろいろな分野に、ほかの人よりも多少広めに目配せしているのだとしたら、それは結果論なんですよ。というのも、自分のその時々の関心を掘り下げていくと、世界で起きているさまざまな問題はすべてつながっているじゃないですか。若い人たちを見ていると、勉強意欲はあっても何から勉強していいかわからないという意見が結構あります。それって自分の問題とつながっていないからなんだよね。学んだことが身につくかどうかは、個人のスペックや学習時間の問題ではなくて、究極には自分の問題だと思えるかどうかだから。
佐藤 知識欲は興味関心の強さに比例しますよね。突然「ビットコインの現在価格は?」と尋ねられて答えられる人は、まず間違いなくビットコインを持っている。

大澤 そうですね(笑)。いま話していて思い出したのは、吉本隆明が書いていた井の中の蛙論。吉本隆明って若い読者のみなさんはわかるかな。僕らより上の世代の、思想界のリーダーみたいだった人。
佐藤 作家の吉本ばななさんのお父さんでもある。我々の世代だと『共同幻想論』を読んでいない人はいないくらいでした。
大澤 難しくて言っていることがわからないようなところも本当はあるんですけれども。彼は戦後、それまでヨーロッパの受け売りをしてきた学者や思想家を批判する形で、日本は今後、大衆の真実の実感を根に思想を掴みきるべきだと説いたんです。「井の中の蛙」でいいんだ、大海に幻想をもつのではなく、井戸を掘り下げることで井戸の外に出ることができるんだと。
佐藤 イメージ的には井戸をずっと掘っていると、そこに地下水脈があって、その地下水脈が地球全体につながっているっていう。
大澤 そう。実際にそういう感覚を戦後25年くらいはみんなある程度は持っていたんじゃないかな。でもそこそこ先進国として豊かになってくると、だんだん深く掘ることも難しくなって、掘っても世界とつながる感覚を持てなくなってきた。

大澤 そうして学問的な知識によって世界にアクセスできなくなってきたとき、反作用的に生まれたのが「オタク」なんですよね。ちょうど私たちくらいの年代がいわゆるオタクの第一世代だと思うんだけど。で、オタクの一番の特徴は、特定の狭い領域にその人の世界がすべて投影されていることだと思うんです。
佐藤 マイクロコスモスになっているわけですよね。
大澤 そう、コスモス。宇宙だからそこで完結していて外の世界なんかなくていい。むしろあったら意味がない。世界にアクセスできなくなったときに、小さな領域を「世界」そのものと見なし、そこにアクセスして満足する。ただそれって危ういよね。完全に閉じてしまって、広がらないから。井戸を深く掘って大海へとつながっていくのとは真逆で、井戸の中に永遠に留まることになる。

佐藤 昨今のメディアを見ていても危機感を覚えます。ロシア―ウクライナ戦争でも、元プラモデルオタクのような人が軍事評論家として出てくると、兵器体系や性能には詳しくても、歴史や民族の事情を理解していないから、とんでもないでたらめな分析や予測をしたりする。
大澤 周辺知識がないとそうなってしまうんですよね。
佐藤 もっともそれは本当の専門家であるアカデミズムの人たちが臆して黙っているのもよくないんです。きちんと発信すべきときに自分の学知にもとづいた発言をしないのであれば、なんのための学問かと私なんかは思いますけどね。

佐藤 優 さとうまさる 作家。1960年生まれ、東京都出身。元外務省・主任分析官として情報活動に従事したインテリジェンスの第一人者。“知の怪物”と称されるほどの圧倒的な知識と、そこからうかがえる知性に共感する人が多数。第68回菊池寛賞受賞。近著に『国難のインテリジェンス』など。

大澤 たぶん使命感のようなものも重要なんですよ。佐藤さんも僕も、なぜいろいろなことを知りたいと思うのか、それを発信しているのかというと、極論すれば世界から問われている、呼びかけられている感覚があるからだと思う。中途半端な答えでは納得できないから調べ続ける、考え続ける。結果、自然と井戸を深く掘っている。でもいわゆるオタクの人や、必要なときに発信しない専門家っていうのは、その感覚が弱いんじゃないかな。
佐藤 キリスト教でいうところの「コーリング(召命)」に通じるものがありますね。
大澤 たしかに。僕は佐藤さんのような神学の専門家でも信者でもありませんが、キリスト教というものに対する勘はあると思います。というのも、現代を理解するには、西洋のアイデンティティであるキリスト教の知識は必須だから。『<世界史>の哲学』をキリストの死の出来事から始めたのもそういう理由です。これは学問的なものだけではなく、いまのウクライナ戦争に関しても同じ。西側のキリスト教と東側のキリスト教があって、その中で戦っているし、資本主義もある種キリスト教の応用ですからね。

佐藤 そのあたりを詳しく知りたい人には大ベストセラーにもなった橋爪大三郎先生と大澤先生の対談本『ふしぎなキリスト教』がおすすめです。キリスト教的なる価値観というものを持っているその構造、その危うさにも触れておられる。『おどろきのウクライナ』も大変おもしろく読みました。
大澤 佐藤さんは80年半ばにヨーロッパやロシアに行き、決定的な歴史の転換点にあたるときにソ連にいたわけですから、もう肌感覚で世界と接していると思うんですよ。そういう経験はなかなかできるものではないけど、何か学びたいと思ったら、まず個人的に一番重要な問題を深めるのがいいと思うんです。たとえばいま求職中だけど仕事が見つからない、恋人ともうまくいってない、という悩みがあったら、その人生の問題と向き合って解決のための情報を集め、それらの間の関係を徹底的に探究する。すると、自分の生活には関係ないと思っていた戦争も、実は大きなところでつながっていることがわかってくる。

大澤真幸 おおさわまさち 社会学者。1958年生まれ、長野県出身。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。近著に『この世界の問い方 普遍的な正義と資本主義の行方』『私たちの想像力は資本主義を超えるか』など。

佐藤 大澤先生が世界から呼びかけられていると感じたのはいつですか。なにかきっかけが?
大澤 中学1年生の3学期でした。当時読んでいた本の影響もあるんだけど、やはり社会の空気の変化とも関係があって。一番印象的だったのが連合赤軍事件。あさま山荘の銃撃戦の頃はまだ連合赤軍を応援する雰囲気もあったんですよ。当時日本の3割くらいのリベラルな人はそうだったんじゃないかな。理想の社会を求める若者たちの変革への意志に共感していた。ところがその後の顛末で事実が発覚すると、子どもながらに救いようのない暗い気持ちになった。と同時に自分が世界と接していく感覚が芽生えたのを、わりとクリアに覚えています。
佐藤 知識人としての使命感の強さが大澤先生の説得力にも魅力にもなっているんだなと改めて思いますね。
大澤 いやいや。ただそういう感覚を今の若い人は持ちにくくなっているとは思います。世界に接したい気持ちがあっても難しいから、何かのオタクになっているんじゃないかと。
佐藤 代償行為のような形で。
大澤 ええ。セカイ系の物語が流行るのも同じ理由ですよね。フィクションを媒介にして現実の中核にある構造を知るというのであればいいんだけど、フィクションの中で閉じて完結してしまうと、どうしても、何か満たされないものが出てくるんじゃないかと。それを満たすには、やはり自分の井戸を掘り進めて、現実の世界である地下水脈まで堀りつくす覚悟がいると思うんです。

撮影/伊東隆輔 構成/藤崎美穂 スタイリング(佐藤)/森外玖水子
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