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佐藤優
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バブルも経験をせず、終身雇用という概念も崩れ、社会の恩恵を肌感覚で感じにくい30代中盤より若い世代。まさに「右肩下がり世代」といっても過言ではない彼らは、厳しい現状の中でも新しい生き方を模索しています。「知の巨人」であり、グローバルな視点で国内外の問題を語る佐藤優がメンターとして、右肩下がり世代で活躍する人々と話し新しい時代の価値観を浮き彫りにしていきます。

佐藤優
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佐藤 写真集『キルギスの誘拐結婚』をとても興味深く拝見しました。地域ぐるみで女性を誘拐して妻にする「誘拐婚」は、旧ソ連でもグルジアやコーカサスあたりでの話を耳にします。林さんはなぜ、キルギスに着目されたのですか?
 7年ほど前、ペンシルバニアの大学に留学中に、初めて誘拐婚について知りました。最初に触れた資料がキルギスのものだったので、ずっと取材に行きたいと思っていて。実際に現地を訪れたのは、2012年7月から、約5ヶ月間です。ちょうどキルギスで誘拐婚に関する法律改定が議論されていた時期でした。
佐藤 その後1ヶ月の追加取材を経て、約25組の男女を追跡されています。写真集でありながら、テキスト量も多いですね。誘拐婚が起きる背景や誘拐された女性たちの複雑な心境もわかり、勉強になりました。
 ありがとうございます。取材を始めた当初は、キルギス人の既婚女性からも「誘拐婚は伝統的な風習だ」と聞かされていました。ところが深く調べていくうちに、まだ新しい風習であることがわかったんです。しかも結婚を受け入れられず逃げる女性や、自殺する花嫁もいますし、「伝統だ」と言い切った女性も、自分の娘は誘拐婚をしないでほしいと思っているんです。

 一方、結果として幸せに暮らしている夫婦や、誘拐婚を駆け落ちのように利用して、意にそぐわない結婚を回避した夫婦もいて、「誘拐婚」をひと言で簡単に説明できないと知りました。
佐藤 つまり、誘拐婚をしたすべての女性が不幸なわけではない、と。
 はい。私個人としては、それを踏まえた上で、女性の合意ない誘拐結婚は人権侵害である、というスタンスでいますが、取材者として自分のスタンスが固まるまでにも、かなり時間がかかりました。
佐藤 「幸せだ」と言っている女性に、もしかしたらストックホルム症候群(犯罪被害者が長時間加害者と過ごすことで加害者に過度の同情や好意を抱くこと)の可能性も否定できませんからね。
 現場を見てきて、ストックホルム症候群とは違うかな、と思います。でも、そういった問題の複雑さがそのまま伝わればいいと思って、複数の女性の写真を発表することにしたんです。
佐藤 そう、複雑なことは、複雑なまま受け止めないとダメですよ。世の中は複雑なものです。安易に単純化したら、問題が見えなくなってしまいかねない。ところで現地では危険はありませんでしたか。それこそ林さんが誘拐されるリスクだってあるわけでしょう。それとも外国人女性は誘拐の対象にならない?

佐藤優
 外国人の女性を誘拐するようなことは絶対にありません。それに、キルギス男性が結婚相手に求める条件もあります。キルギス料理を作れるとか、チャイを美味しく淹れられるとか。私は当然何もできないので、「典子を嫁にするのは嫌だ」って実際に男の子に言われました。
佐藤 そこはやはりコミュニティ内の話なんですね。向こうは披露宴も盛大でしょう。承認の儀式だから。
 1週間くらい続きます。本当に、宗教、文化、風習と、複雑な要素がたくさん絡み合っているんです。でも写真集を出した時、誘拐結婚」というキーワードだけで「キルギスは野蛮だ」というような単純化をする方も少なくなかったんです。特にテレビ制作の方からは、センセーショナルな側面だけを切り取る目的で連絡をたくさんいただきました。本意と違うので、ご協力できませんでしたけど。

佐藤 テレビは「つかみ」が必要ですからね。強いインパクトを与えようと思ったら、過激な方向で、誰にでもわかるレベルにまで単純化しないといけない。そういうものに迎合せず、ご自身のスタンスを貫く姿勢はとても尊いですが、たくさん賞も獲られているし、才能があるとヤキモチも妬かれるでしょう。
 才能なんてないのは自分が一番良くわかってるんですよ。特別な技術があるわけでなく、フォトジャーナリストとか、そういう肩書もどうでもよくて。取材していることは複雑なものですが、実際につきあう人間同士は、個人と個人の関係でしかありませんから。
佐藤 でも今は時代がすさんでいて、意地悪な人が多いからね。特に若い女性はいろいろ言われやすいのでは。

佐藤優

佐藤優 さとうまさる 作家。元外務省・主任分析官として情報活動に従事したインテリジェンスの第一人者。“知の怪物”と称されるほどの圧倒的な知識とそこから伺える知性に共感する人が多数。近著に「世界史の極意」「新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方」「修羅場の極意」など。

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 それは日本に戻ってきてすごく感じました。特に、顔に硫酸をかけられた女性の写真を撮ったことに関して「同じ女性が苦しんでいるのを、楽しんで撮っているのか」というような批判がものすごくたくさん届いて。海外では、性別や年齢などで何か言われたことがなかったので、かなり違和感がありましたね。
佐藤 なんでもわかりやすく単純化する一方で、良いものを素直に良いと認められる人が少なくなっているんですよ。非常に矛盾した状態であるけれども。その息苦しさで、優秀な人は海外に出て行ってしまうんだよね。それに、日本の出版社や新聞社では50代以降、自分で現場に出て記事を書き続けるジャーナリストはほとんどいない。出世するとペンを捨ててしまうんですよね。それも世界的に見ると異常なことです。
 大学時代にアルバイトしたガンビアの新聞社では、ジャーナリストたちは文字どおり命がけで取材をしていました。社会的地位も低く、報酬も安い。言論統制が厳しく、命を狙われて亡命した友人も、不慮の死を遂げた友人もいます。それでも自分の使命として真実を追い続けている。真のジャーナリストというのは、彼らのような人のことだと思います。
佐藤 今後は、どんなテーマを考えているんですか?
 いつか、もう一度ガンビアに行って、当時お世話になったジャーナリスト達の現在と過去の軌跡とを、写真か、映像にしてみたいと思っているんですけど。
佐藤 西アフリカもこの2年でだいぶ様相が変わったでしょうね。フランスがマリに空爆したあたりから。長期海外取材となると、結構お金もかかるのでは?
 そうですね。私自身のプロジェクトとしての取材だと渡航費や滞在費、通訳、食費などすべて自費ですし、、やはりお金はかかってしまいます。だからこそ、スポットニュースのような取材方法ではなく、深く対象に関わって行きたいという気持ちで取材をしているのですが。ただ取材中は、取材以外のことには一切お金を使いません。その点、日本にいる時のほうが、友人との食事や美容院代などで、ついついお金を使う機会が多いようにも思います。

林典子 はやしのりこ フォトジャーナリスト。「ニュースとして表に出てこない人々」の姿を世に伝えるべく、世界を飛び回る。英国のフォト・エージェンシー「Panos pictures」所属。キルギスの誘拐結婚の写真が世界で注目。著書「人間の尊厳」、写真集「キルギスの誘拐結婚」が発売中。

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佐藤 お話を伺っていると、行動力があるというか、やりたいことをまっすぐにされている印象です。
 意外と慎重派なんですよ。取材では日本でも海外でも熟考してから動きます。だからこそ危険も回避できているところはあるかもしれません。でも興味のあることにはわりと柔軟にトライしますね。最初から写真を仕事にしようと思っていたわけではなく、興味の赴くまま動いているうちに、今に至っているくらいですから。
佐藤 やりたいことに正直であれば、結果はついてくるということでしょう。よく若い世代は夢がないというけれど、実は、萎縮してトライする前から諦めてしまっているケースが多いと思います。林さんのように現地へいきなり飛ぶのは難しくても、まずは本や写真集を読んで疑似体験するのでもいいから、先入観を持たず、この複雑な世界に飛び込んでみること。あるいは安易に単純化されたものを疑うこと。それはこれからの時代を生き抜く上で、非常に重要なスキルになるでしょうね。

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撮影/伊東隆輔 構成/藤崎美穂
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