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佐藤 名越先生は精神科医として医療の現場にいながら、仏教にも深く通じています。同じ1960年生まれとして同世代の医者には珍しいタイプだと思います。ご出身である奈良の風土とも関係が深いのかなと、ご本を読みながら感じていました。
名越 土台にはあるかもしれません。20歳の頃、進路に迷ってうつ状態になったときに仏教書を手にとり、瞑想を始めて気持ちが楽になりました。でも40代半ばに大阪から東京に出てきて、また様々な壁にぶつかって……。本格的に仏教を学び始めて12年ほどになります。初期仏教から入り、サティやヴィパッサナー瞑想を4ヵ月続けました。そうして唯識や中論を勉強して、その後、真言密教の大阿闍梨様と縁があって、いまもずっと通っています。
佐藤 同志社の神学部では、3年かけて仏教をやるんですよ。1年目は阿毘達磨、2年目が中観、3年目が唯識。そこから現代の様々な仏教教団の話になるので、インド仏教学が中心になっていくんですけど。
名越 いまロシア正教の独特の世界観にも非常に興味があって、佐藤さんに教えを請いたいくらいです。というのも、日本の心理学にはいくつも盲点があるんですよ。

名越 海外では神学と哲学があった上で心理学があります。少なくとも心理学が誕生した時点ではそうでした。ところが日本では哲学・神学のような土台のないところに、ポンと心理学が輸入されてきた。だから最終的な治療目標が、わかりやすく社会適応性になってしまいました。社会に適応することが果たしてその人にとって正解なのか。本来の自分とは何者なのか、という議論が完全に排除されているんです。
佐藤 社会適応といっても、組織には必ず変な人間がいますからね。特に官庁や大組織は、明らかにおかしい人間も状況も矯正しないから、変人が増殖しやすい。
名越 自浄作用が働かないわけですね。この疲弊した組織をなんとかしようと思う真っ当な人は弾き出される。
佐藤 そういうチャレンジャーのことを我々は「星飛雄馬型」と呼んでいました。まあ、僻地に飛ばされる。それを見て、上司も部下も2、3年で異動になるから、矯正したり戦ったりする労力を払うより、我慢するほうを選ぶようになる。
名越 一つの生き残り戦略ではありますよね。スケープゴートといって、仕事のできない人間をあえて一人置いておくことで、何かあったときにその人に押し付けるとか、そういうのも組織だとよくある話です。良し悪しは別として。

佐藤 ほとんど無意識でやっていますからね。やられたほうは忘れないけど、やったほうは罪悪感もない。組織が有機体として生き残ろうとしたときはそんなものです。きれいごとは通用しない。
名越 よく言われるパワハラやいじめって、言い換えれば暴力や人権侵害です。れっきとした犯罪であって、そんなものが横行している場所にいたらうつ病や過労死まっしぐらですよ。最近は「SNS疲れ」という言葉も引っかかっています。重度のうつ病だとか、深刻なものも含まれているのに“疲れ”で見過ごされているのを見ると、精神科医としては「早くその場から逃げろ!」と言いたくなる。
佐藤 SNSは同好の士と簡単に繋がれるけれど、小さな差異で簡単に綻びますからね。
名越 しかも対立意見があったとき、歩み寄って意見をすり合わせるのではなく、いかに相手にパンチを入れるかが目的になりやすい傾向もありますし。

佐藤 話の通じない人間やおかしな環境とは接点を極力減らすのも正しい処世術の一つです。そもそも対人関係って、昔からわずらわしいものですよ。夏目漱石や森鴎外だって頭を悩ませている。近代的な自我が成立する前だって、例えば『忠臣蔵』、じいさん一人やっつけるのにあんな野蛮なことをして、最後に全員ハラを切らなきゃいけないとか。ものすごく面倒くさいじゃないですか。
名越 そこから逃げる人のほうに共感しますよね。でも嫌とはいえない状況だったんだろうなあ。

佐藤 優 さとうまさる 作家。1960年生まれ、東京都出身。元外務省・主任分析官として情報活動に従事したインテリジェンスの第一人者。"知の怪物"と称されるほどの圧倒的な知識と、そこからうかがえる知性に共感する人が多数。近著に『君たちが忘れてはいけないこと: 未来のエリートとの対話』『希望の源泉・池田思想』など。

名越 事実は主観によって異なりますしね。精神科医でもいろいろなタイプがいて、全面的に患者さんを信じて寄り添う人も過去にはいました。でも僕は、不穏状態の人物と接していて命の危険を感じた経験がなんべんかありますし、患者さんのお父さん、お母さん、兄弟や学校の先生に会って話を聞くと、同じ事柄についてそれぞれが違う叙述をする、というのもよくある話です。
佐藤 芥川龍之介の『薮の中』のような。それも仏教的な世界観と非常に関係しますね。
名越 その通り。ほんと諸行無常です。だからその人を信じる信じないというより、全ての人が主観でもって、自分の都合のいいように現実を見ている、って常に思ってます。人間は簡単に洗脳にかかりますよ。そして自己洗脳が一番強い。
佐藤 思い込み。それも防衛本能ですよね。
名越 だから煮詰まりやすい人には所属する場所を複数持ったほうがいいとよく言います。別の価値観を持つ集団に所属しておくと、我に返りやすい。ハードワーカーこそ、のめり込める趣味が必要です。アウトドアでもボルダリングでもなんでもいいんですが。

佐藤 いまだって、ウクライナ東部、沿ドニエストル国境あたりはボランティアの義勇軍が警備していることになっていますが、実態はほぼロシア軍の強制休日出動です。私もモスクワにいたときに似たようなことがありました。休暇中、つまり個人の責任で、ある作業をやってほしい、と。そんなのヤバイに決まってるじゃないですか。親しく思っていた上司に相談したら案の定「断ったほうがいい」と言われました。ところが2日後に手のひらを返したように引き受けるように忠告されたんですよね。
名越 うわ、何があったのか。怖いなあ。
佐藤 そういうふうに、味方と思っていた人間が豹変することも珍しくはなかったから、仕事の人間関係でベタベタすることはありません。自分も含めて、人間は必ず悪事を働くものだと思っていますし、忠義を尽くしたところで組織に守ってもらえるとも考えない。自分の身は自分で守ることに関しては、ロシアと外務省でかなり鍛えられました。

名越康文 なこしやすふみ 精神科医。1960年生まれ、奈良県出身。相愛大学、高野山大学客員教授。専門は思春期精神医学、精神療法。臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析など様々な分野で活躍中。近著に『「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』『精神科医が教える 良質読書』など。

佐藤 ヨーロッパやロシアだと教会も息抜きの場所としての意味合いが強いんですよ。役職とヒエラルキーが全く違うから。そして牧師でも信徒が相談に来たとき、親身になりすぎないほうがいいんです。ただでさえ懺悔で恥ずかしい話や悲しい話を共有するわけで、あまり距離が近くなると共依存のようなグロテスクな関係になりやすい。そうなると牧師本人も、事実を捻じ曲げてしまう。
名越 息抜きは人や組織に依存しすぎないものがいいですよね。40過ぎたら1つ、50過ぎたら2つ、60過ぎたら3つ…って、趣味あるいは居場所を増やしていけるといいかなと。没頭できる何かがあれば、つまらない人間関係で振り回されることもない。本気で自分が楽しんでいたら、人にもそれを伝えたくなる。中途半端な自己主張だと叩かれるかもしれないけど、そこまで自己実現できたら、人間関係に振り回されることもなくなります。ただ真剣になれるものを見つけるには模索する時間も必要だから、いろんなことやってみたほうがいいですね。
佐藤 まわりの顔色を伺っているだけじゃ、生き残ったって苦しいだけです。かといって、一人きりで生きていけるわけでもないからね。
名越 瞑想まではしなくても、きちんと睡眠時間を確保して午前中に体調を整えるだけでも気持ちってがらっと変わります。毎朝つめたい水で顔を洗うとか、ゆっくり深呼吸を10回繰り返すとか、仏壇があれば般若心経一巻だけ唱えるとか。複数の場所に所属して、何か気持ち良く1日を始める習慣を持つ。それを続けたら、だいぶ他者や環境に振り回されにくくなると思いますね。

撮影/伊東隆輔 構成/藤崎美穂 スタイリング(佐藤)/森外玖水子
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