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バブルも経験をせず、終身雇用という概念も崩れ、社会の恩恵を肌感覚で感じにくい40代前半より若い世代。まさに「右肩下がり世代」といっても過言ではない彼らは、厳しい現状の中でも新しい生き方を模索しています。「知の巨人」であり、グローバルな視点で国内外の問題を語る佐藤優がメンターとして、右肩下がり世代で活躍する人々と話し新しい時代の価値観を浮き彫りにしていきます。

佐藤 富永さんは社会運動を中心とした人々の政治参加についての研究をされています。博士論文をもとに編纂された『社会運動のサブカルチャー化』(せりか書房)では実際に多くの若い活動家にインタビューしつつ、徹底して観察者としての立場をとられている。今流行りの参与観察スタイルだけにとどまっていないところに、好感を持ちました。
富永 ありがとうございます。23歳から6年間かけてまとめたものなんですが、実際に活動家の方にお会いして思ったのは、年長というか熟練の方はとても細かいところにも気を配っているなと。インタビューの場所をスタバにして怒られ、年賀状に「平成」と書いて怒られ……。
佐藤 平成って書いて怒られたの?
富永 怒られました。天皇制を支持しているのかって。
佐藤 西暦で書くとキリスト教徒っていうことになるのかな。
富永 難しいですよね……。何かしらを支持していることにはなりますよね。私自身は左派的な立場ですが、デモにあまり参加もしませんし、社会運動にもいまだに抵抗があります。……すみません、佐藤さんも学生時代はされていたのに。
佐藤 いえ、私もああいう運動はもともと大嫌いだから。周囲との関係で逃れられなくなったというのが実態です。

佐藤 東京にいたらどうだったかわからない。私が大学生だった1980年代前半に、東京で新左翼系の学生運動に関与すると、完全に市民社会から出なければならないというくらいハードに煮詰まっていた。それと比べると京都はぬるくて、暴力沙汰になっても人は殺しませんでしたから。
富永 どこまで暴力を許すかは、活動する方の作法として大きな違いがあるようですね。
佐藤 その通りです。社会運動では暴力の問題が必ず出てきます。「暴力反対!」と書いたプラカードに釘が打ってあって、それで殴りかかってくる学生とかもいて、めちゃくちゃでしたよ。でも外務省って学生運動をしていた人が多いんです。ただし逮捕歴はない。
富永 ご著書の『紳士協定』でも書かれてましたね。
佐藤 要領がいいんだよね。組織を裏で引っ張る力と自信を持ってる、ずるい奴ともいえる。でもそういう奴のほうが伸びしろがあるし、いろいろな場面で使い勝手がいいから採用される。まじめな完璧主義みたいなのが一番だめ。そういう観点からいうと、SEALDsってどう思いました?
富永 彼らは実は、いわゆる典型的な活動家の人と変わらないような生育歴を持っている人が少なくないんですよね。親御さんが社会活動家であったり、出身高校が都市部にある文化資本が高い私立だったり。

富永 そういうことを考えると、本質は変わっていない部分もあるけれども、普通の人向けにデザインするのが上手い。問題は、それを大人が「完全に新しいもの」として評価してしまったところがすごくありますね。
佐藤 僕も同じ評価です。それと偏差値50台の大学生を中心とする運動だと思うんですよ。中間層の学生が、社会運動をすることによって応援する有識者と知り合える。それで就職やメディアへのコネができる、つまり社会的な上昇を遂げることができるわけなんですよ。なおかつ、そろそろ賞味期限が切れてきた学者や作家のじいさん連中が、彼らに乗っかる形でまた論壇に出てくるという現象もあって、実に新自由主義と親和性の高い運動だなと思いながら見ています。
富永 今おっしゃられたような「賞味期限の切れてきたじいさん」に抵抗するすべを若者は持っていないんですよね。

佐藤 抵抗する術はあるはずなんだけれども、それをしないということは不作為なんだよね。ただそれをやりだしたら、一生、若者をやらなきゃいけなくなる。60歳をすぎても学生服や剣道着を着ることを求められる森田健作のように、永遠の若者でいなければならなくなる。そして参与観察的に若者論で食っている学者は、自分より若くて影響力を持つ人間が出てきたときに賞味期限が切れる。
富永 それは若者運動の宿命だと思います。
佐藤 ただ群衆はある程度の数を超えると、暴力に転嫁していくから権力者として無視はできない。今回の運動にしても、コントロールできない、集合的無意識の怖さを権力者に感じさせたという意味では、意義があったでしょうね。

佐藤優 さとうまさる 作家 1960年生まれ 東京都出身。元外務省・主任分析官として情報活動に従事したインテリジェンスの第一人者。"知の怪物"と称されるほどの圧倒的な知識と、そこからうかがえる知性に共感する人が多数。近著に「ゼロからわかるキリスト教」(新潮社)など。

富永 たしかに(笑)。なるほど、そういうふうに今回の運動の帰結をみることができるのかもしれません。個人のキャリアという見方をすると、苦労される方ももしかしたらいるのかもしれません。
佐藤 運が悪かったか要領が悪かったかその両方か、いずれにしても自己責任ということにされてしまう。
富永 もっともそれでも、私はSEALDsにしても、女性がやりたいようにやれているのはうらやましいですけど。この世界でも、どうしても「女だから」と言う人もいます。
佐藤 そんなのに負けたらダメ。色々な分野の人と話すけれど、期待している人は女性に多いですよ。例えばアダルトグッズの店を経営している北原みのりさんと今度共著を出すんだけど、彼女は摘発されても「はいはーい認めます」って逆らわないの。国家権力に逆らっても意味がないからって。権力者と同じ土俵に乗らない。世の中――特に知的な世界はマッチョすぎるから、そのあたりをうまく受け流せるバランス感覚の良さって女性のほうが持っているよね。おっしゃるように今回の社会運動の動きでジェンダー的な変化ってすごく大きかった。

富永 力づけられていいのかわかりませんが、社会運動をしている人たちは力づけられる発言だと思います。運動は多くの場合、失敗として認識されがちなので。
佐藤 社会運動の成功例なんてすべて後付だからね。そのときに権力を持った人間が、のちに「自分たちの勝ち取った運動こそ抵抗権だった」と正当化するわけで。
富永 あとからならどうとでも理屈をつけられるところがありますから、過去の運動を指して「なぜうまくいったか」という分析は難しいですね。
佐藤 でもひな形はある。今回のSEALDsの運動も、見え方は違うけれども、構造としては全共闘の焼き直しであって、新しさはないでしょう。結果うまくやった奴は、全共闘世代なら「島耕作」になれた。限られた数人だけが、会長や代表取締役社長として取れる果実をとったけれど、他の人たちはそうはいかなかった。島耕作の部下なんかになったら人生最悪ですよ。今ならセクハラ大魔王でコンプライアンス室に訴えられますよね。

富永京子 とみながきょうこ 社会学者 1986年生まれ。立命館大学産業社会学部准教授。社会運動論、国際社会学を研究。博士論文を元にした「社会運動のサブカルチャー化」(せりか書房)が発売中。また、本の紹介サイト・ホンシェルジュで「マンガを社会学する」を連載中。

富永 社会運動って、バンドマンの世界とか、女子高生の世界とかと変わらないものなんですよね。ただ目的を達成することが目的ではなく、生きることそのものになっている人にもたくさんお会いして。
佐藤 ものによってはサークル活動のノリでもある。
富永 フェスみたいなノリは感じますね。例えば一部の運動になってくると、全共闘時代を引きずっているようなおじさんとかは歓迎されなかったりします。
佐藤 運動が継承されてきたわけではないんだ。
富永 では、どこでノウハウを学んだのかと聞くと、学園祭の実行委員会やサッカーチームのサポーターとか。そういう経験値から人を集めてデモをするので、ノリの合わない人には厳しい部分もあります。
佐藤 闘争的ではないけれど、排他的だね。
富永 いまや社会運動って「自分と同じ意見の人と会える場所」であり、「率直な意見を言っても大丈夫な場所」でもある。一般の人が思うイメージとは変わってきています。そういったことをリターナブルに伝えて行けたらいいなと思っています。

構成/藤崎美穂 撮影/伊東隆輔 撮影協力/PROPS NOW TOKYO
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