FILT

佐藤 我が家の水槽にはアカオビシマハゼとホンヤドカリとイソガニとムラサキウニとコトヒキとエビがいて、最近はボラもやってきました。
森田 たくさんいますね(笑)。
佐藤 コトヒキがなかなか凶暴で、ある時ホンヤドカリを4匹食べちゃったんです。それでか弱いエビを別の水槽に移した――と、なんでこの話をしたかというと、森田さんの『僕たちはどう生きるか』の序文に、庭で見守っていたアゲハの蛹が、鳥に食べられてしまったであろう記述があるでしょう。そこですぐに「これも大きな自然の営みの一つ」と考えられる視座に感銘を受けました。私なら「クソ鳥め」と思いますし、次に蛹を見つけたら網をかけて保護するかもしれない。エビを別の水槽に移したように、目の前の命に執着して、自然を無視する形を選択してしまいます。
森田 そういうところも佐藤さんの魅力だと思います。眼の前のものにぐっと関心を集めていくその解像度の高さ。頭だけではなく感性をベースに知が動いているというか。
佐藤 感性といえば、森田さんは大学や研究所といった制度化された組織には属さずに京都の古民家をラボにされていて、研究スタイルも独特です。そもそも数学や身体性に興味を持ったきっかけがあるんですか?

森田 遡ると、2歳から10歳までシカゴにいた経験も関係すると思います。当時はシカゴ・ブルズの全盛期でマイケル・ジョーダンが神様みたいな環境でしたから、全試合を見て真似して、帰国してからもバスケの強い中学に入りました。そのバスケ部のコーチの一人が、本業は山伏という面白い先生でした。なので練習だけではなくヨガをしたり、『雀鬼流』やクリシュナムルティの本を渡されたり。武術家の甲野善紀さんの話を聞く機会もありました。
佐藤 古武術の本を多く出されている方ですね。
森田 はい。そこで、頭だけを使うのではなく自身の身体を変容させながら学問を探求していく可能性を知りました。その後、大学は文系で入学したのですが、人工生命を研究する研究室にいた鈴木健さんと出会い、数学やコンピュータが身体性について厳密に語るための強力な道具であると知り、きちんと数学を学び直すために転部しました。岡潔のエッセイに出会って感銘を受けたことも、数学の道に進みたいと思う大きなきっかけでした。
佐藤 海外に出ようとは考えませんでしたか。
森田 出ようと思っていましたが、子どもが生まれてから考えが変わっていきました。

森田 いまは京都という場所だからこそできることをしたいと考えています。松の木などに登って庭木の剪定をしながら、考え、書き、ときに各地で開かれるトークショーに出かけていくような毎日です。
佐藤 数学にはもともと興味が?
森田 小さな頃から好きでした。怪我して泣いていても、母親に計算問題を出されると泣き止んで考えだす子だったらしいです。でも中学高校くらいになると、疑問も増えてきました。例えば中高で学ぶ幾何学では、形の学問といいながら、基本的には代数多項式で書けるような非常に限られた形しか扱っていない。もっと絵の具をぶちまけたような形とか、目を閉じたときに浮かんでくる形とか、いろいろな形を考えられないのだろうか、と。
佐藤 すでに大学以降の問題意識になっていたんですね。

森田 まさに、大学以降の数学と出会うと、これが本当に面白かった。同時に、その歴史や概念の起源を学んでいくうちに、数学といわれている学問がそれ自体、近代ヨーロッパの中でさまざまな思想に制約されながら、固有の条件の中で作られてきた思考であるとわかってきました。
佐藤 対数は天文学の発展とともに登場しました。
森田 数学だけを他から切り離すことはできないし、数学にはもっと多様な可能性があるはずです。いま僕は、子どものための学びの場所を作る活動もしているのですが、子どもたちが身近な環境の中で学び、新しい経験や感覚を培っていくことが、未来の数学の基本を支えていくと思っています。

佐藤 優 さとうまさる 作家。1960年生まれ、東京都出身。元外務省・主任分析官として情報活動に従事したインテリジェンスの第一人者。"知の怪物"と称されるほどの圧倒的な知識と、そこからうかがえる知性に共感する人が多数。第68回菊池寛賞受賞。近著に『正しさってなんだろう: 14歳からの正義と格差の授業』など。

森田 長期計画ではありますが、子どもが育つ環境を作ることが、すごく大事だと考えています。
佐藤 ある意味では歴史主義的なアプローチでもありますね。
森田 そうですね。イスラム世界からヨーロッパに数学が伝わって、デカルトによる体系ができるまでに4~500年かかっています。日本に数学が伝わってからはまだ百何十年と考えると、独自の数学が花ひらくまでには、時間がかかるかもしれません。そして、どんな抽象的な思考も、その根底には「感じる」ことと「動く」ことがある。生きているものはみんな、感じる力と動く力を授けられている。世界全体を見渡すことができない以上、動き回って感じてみることを通して、自分のいる場所を理解しようとするのが、生命システムの基本ですよね。
佐藤 ムラサキウニは脳も心肺装置もないけれど、管足でそれはそれはよく動き回ります。日高昆布なんかあげるとガラスを登ってきますよ。

森田 ガラスを? 昆布の匂いを感じて動いているんでしょうか。不思議だけど、脳も肺も心臓もなく、だけど感じながら動いて生きているって、この地球上ではむしろ多数派ですよね。植物も然りです。でも現代を生きる人間は「感じる」と「動く」を繋げづらい状況が増えていると思います。そもそもなぜそこが分かれはじめたのか、その問題を考えながら書いたのが『計算する生命』でした。
佐藤 教えている学生たちにも読むように薦めています。神学をやっていると、数学の問題は避けては通れないものですから。特に分析と綜合の相補性に関する記述は衝撃でした。引用されていたリーマンの言説を僕は知らなかったんですよ。よく気がつきましたね。
森田 うれしいです。今ちょうど『計算する生命』の文庫化の作業をしていて、そのあたりも含めてもう少し補完できればと思っているところです。
佐藤 楽しみにしています。数学を学ぶ人は多いけれど、長く打ち込み続けるにはおそらく強靱な意志力と、本当に数学が好きな気持ち、自分の感動や知識を世の中に伝えたいという気持ちがないとできない。森田さんの場合は自分で環境を作る能力もすごいけれど。

森田真生 もりたまさお 独立研究者。1985年生まれ、東京都出身。京都に拠点を構えて、研究・執筆の傍ら、国内外で数学の講演会や数学ブックトークなどのライブ活動を実施。主な著書に『数学する科学』『計算する生命』『僕たちはどう生きるか』など。

森田 究極的には僕は、新しい「行為」を作りたいのです。何かを理解しようとして動いた結果、動き方のスタイルそのものが新しく生まれることがある。まだ「数学」のように名前はついていないけれど、長く続いていく行為が生成していく。そんな場面に立ち会えたら素晴らしい。
佐藤 いま30代前半くらいまでの人たちを見ていると、理想とするロールモデルに出会えないまま急き立てられたように起業をするか、あるいは安定した組織に入りたくて思うように行かずストレスを抱えている人が多い。その中で、森田さんの精微な視線と身体性――つまり「生きていること」を結びつけようという試みは、非常に魅力的に映るんじゃないかな。
森田 ありがとうございます。「未来」って、現在から見たらどうしても残酷な面がある。変化することは、いまの自分ではなくなることなので。そこに現在の延長線上の希望を見出そうとすると、辛くなるかもしれない。だから蝶が芋虫から蛹になり羽化するように、植物が季節ごとに姿を変えるように、もっと人間も大胆に変化していいと思うんです。夏に会った人と冬に会ったら、見た目も名前も肩書も変わっているっていう、それぐらい軽やかでいいんじゃないかと。そうやって、自分が変わり続けること、自分たちはやがて違うものになってしまうという感覚を受け入れる姿勢が、むしろ、いまを生きることになるんじゃないかなと思います。

撮影/伊東隆輔 構成/藤崎美穂 スタイリング(佐藤)/森外玖水子
top
CONTENTS