FILT

大屋 「多様性」について考えるとき、まず「選択の多様性」と「帰結の多様性」を区別する視点が重要だと思っています。選択の多様性とは、他者による抑制や妨害のない状態で個人が自由な選択をできること。その結果、過度に偏りのない結論が導き出されれば、帰結にも多様性があるといえます。けれども実際のところ、自由な選択を保障した場合、帰結が多様になるとは限りません。
佐藤 自由な選択の結果、たった一つの結論になることだってあるわけですからね。特にメディアの機能を加味した場合、どこまでが個人の自由意志による選択なのか。非常に複雑な話です。
大屋 環境やロールモデルの欠如が影響する可能性もあります。例えば大学で進学先を選ぶ際、学生の多くが男性で教授も全員男性という学部において、女子学生が積極的に学びたいと思えるかどうか。
佐藤 それがアファーマティブアクション(大学や企業における男女格差の是正など、社会的に弱者とされている人たちを優遇する措置)に繋がってくる。しかしクオータ制(格差是正のためにマイノリティに割り当てを行うポジティブ・アクションの手法の一つ)などはすでに問題が指摘されています。

大屋 アファーマティブアクションも、格差を是正する上で、例えば対象となる受験者に得点を5点プラスするというような形であれば影響は少ないのですが、クオータ制は場合によって個人の選択が大きく阻害される上に、カテゴリー化されたもの以外がむしろ阻害される可能性がありますよね。アメリカの高等教育におけるアファーマティブアクションは、実質上は黒人に下駄を履かせるためのもので、結果的にアジア人を排除する流れになっていると指摘されています。ジェンダー・クオータで議員などの男女比が1:1になり、じゃあLGBTQはどっちに入れるんだみたいなことを言い始めると、むしろ排除される結果を生みかねない。
佐藤 旧ソビエトではユダヤ人のクオータ制がありました。公にはされてなかったんですけれども。ユダヤ人は非常に限られた人数しか高等教育機関に入れなかった。
大屋 法哲学は一時期、ユダヤ人が言ったことをユダヤ人が批判する学問といわれていました。というのも、同じような事情だと思うんですが、戦前のドイツでもユダヤ系は公職につけなかったんですよ。
佐藤 マルクスがユダヤ人問題を書いた頃からの話ですね。

大屋 ええ。法学部を出ても政府に入れないから、結果、大学に居場所を求めるようになった。20世紀最大の法哲学者の1人ハンス・ケルゼンも、改宗したけれどユダヤ系だったので政府に入れず、教員としての道を歩んだというふうに指摘されています。そうして権力から疎外された弱者が集中しがちなセクションというものはいたるとこにあり、過剰に目立つことでさらに憎しみを生むような連鎖はあると思います。
佐藤 多様性を語る上では国家統合の問題もありますね。特にアメリカの民主党では多様性とアイデンティティが非常に強く結びついていて、無限に分かれていく。例えば黒人の中におけるLGBTQはどうなるのか。アフリカ出身の人もいればカリブ出身の人も、奴隷の系譜を引く人たちだけでなく、移民系の人もいる。宗教も違う。それぞれが独自の記念日を持っているから、7月4日の独立記念日が以前のように祝われなくなっています。一方で、西側の標準的な価値とは全く異なる価値観を持つ国もある。

佐藤 プーチンは9月30日の演説で、アメリカや西側諸国で当然となりつつあるダイバーシティの考え方に関して『道徳、宗教、家庭を徹底的に否定する方向に進んでいる』『人間の完全否定、信仰と伝統的価値の破壊』『悪魔崇拝の特徴を帯びている』と述べました。そしてこれはイタリアのベルルスコーニ元首相の発言ですが「たしかにこの戦争でロシアは西側から孤立したが、西側とは、欧米諸国と北米、そしてアジア太平洋地域のアメリカと特殊な関係を持つ島嶼国だけだ。西側はそれ以外の全世界から孤立したんだ」と。この問題は深刻になってきている。つまり、何をもってグローバルスタンダードとするのか、という観点も忘れてはいけないと思います。

佐藤 優 さとうまさる 作家。1960年生まれ、東京都出身。元外務省・主任分析官として情報活動に従事したインテリジェンスの第一人者。“知の怪物”と称されるほどの圧倒的な知識と、そこからうかがえる知性に共感する人が多数。第68回菊池寛賞受賞。近著に『よみがえる戦略的思考 ウクライナ戦争で見る「動的体系」』など。

大屋 2つの極端なものを廃した道を探って行く必要があるんですよね。ただ理念だけで動いている限りは平行線のままで、結果つぶし合いになってしまう。そして歴史を見ても、それをやって疲れ果てたところで出てきたのが「寛容」という価値なんですよね。ある意味、諦めの思想です。
佐藤 ええ。宗教戦争でプロテスタントとカトリックが殺し合って、お互い殺しきれないとわかって寛容に至る。
大屋 そのことを、自分たちが強くなってくると忘れてしまうんでしょう。自分と違うものは排除したほうが早いんじゃないか、という傲慢な考えが出始める。
佐藤 トップの思想にも左右されますね。多元論者が権力を握っているときは、多元論を否定する一元論者が存在することも許されるけれども、一元論者が権力を握ると、多元論者は存在を許されなくなってしまう。

大屋 ヴィーガニズムにしてもLGBTQにしても極端に過激なパフォーマンスに出る人は、自分と違う意見に出会うと攻撃されているように感じる一元論者なのでしょう。個人はどのような信念を持ってもいいのだけれど、「自分とは違うけれど、そういう人がいても構わない」「みんなが一つの考えに賛同しなければいけないわけじゃない」と捉えられるかどうか。もともと日本は宗教観としても非常に多元的な社会なはずなんですよね。原理原則がはっきりしないという面もあり、良し悪しはありますが。
佐藤 お話を伺っていて、そして、ご著書を読んでいても思ったのですが、大屋さんは本当に社会のことを考えているオーソドックスな知識人なんですよね。最近は大学の先生でも、自分の知識を社会に還元しようという意識のある人が減ってきている気がします。大屋さんは自治省の官僚だったお父さんの影響もあるのでしょうか。自治官僚というのは極めて能力が高く、かつ自分の利益より何が国民のためになるかを真剣に考えている人が多い、珍しい役所ですから。

大屋雄裕 おおやたけひろ 法学者。1974年生まれ。慶應義塾大学法学部教授。東京大学法学部を卒業後、同大学助手・名古屋大学大学院法学研究科助教授・教授等を経て2015年10月より現職。著書に『自由か、さもなくば幸福か?』『裁判の原点:社会を動かす法学入門』など。

大屋 ありがとうございます。たしかに影響はあるかと思います。この歳になって思うのですが、私は子どもの頃、父の転勤で5つの小学校に転校しました。そこで東京以外の地方の生活を直に知ることができた。東京で生まれ育ち、幼少期から受験教育、そして中学高校から同一の集団に属してそのまま大学や役所に入った場合、社会のためになることを考えていても、想定する社会のイメージがどうしても狭くなってしまうんですね。その点でいうと、私は高校も桐朋で都心からは少し離れていましたし、東京大学を出たあとも名古屋大学に就職して、法整備支援でアジアの開発途上国にたびたび出張したりと、少しずつ外れた道を歩んできたので、その分いろいろな経験ができて良かったと思っています。最初のアジア出張ではだいたいみんな痩せて帰ってくるらしいんですが、私はのほほんと順応していて体重の変動もプラマイゼロ。何キロ痩せるか賭けていた同僚陣がつまらなそうな顔をしていました。
佐藤 そういった耐性が強いのはいいことですよ。だからご本も面白い。特に今のように1ヵ月先の国際情勢もなかなか読み取れないような激動の時代では、理念だけではない実経験、皮膚感覚で物事を知る姿勢がより重要になってくるでしょうね。今はネットニュースやSNSの影響が大きくて、誰もが視野狭窄的になりやすい状況です。自分の視野が狭くなっていないか、定期的にチェックする意識は忘れずにいたいものです。

CONTENTS