佐藤 高橋先生は環境工学、中でも廃棄物工学、リサイクル工学を専門にされています。どういったところから廃棄物を研究テーマにされたんですか。
高橋 学生時代は全く違う研究をしていました。超臨界水という高温高圧の水を使ったダイオキシンなどの有害物質を含む廃液の処理についての研究です。けれど国立環境研究所では別のテーマを研究することになり、分別に興味を持ったのは、さらに九州大学で教えていたときです。環境や資源について研究する学生たちの研究室であるにも関わらず、ごみ箱が汚くて「なぜごみを分別できないんだ?」という疑問を持ったのがスタートでした。
佐藤 「ペットボトルを分別する際、蓋を外す行動は1本につき1.8円」といった評価からのリサイクル活動の分析は、わかりやすくてキャッチーですね。どこからこの発想が生まれてきたのですか。
高橋 分別の研究をしていて行き着いたのが「煩わしさ」でした。では分別する・しないの煩わしさの分岐点はどこにあるのか。例えばペットボトルの資源回収ですが、ごみ集積所では蓋がついたまま、中身も洗っていない物が少なくありません。一方、大きなスーパーマーケットの資源回収ボックスを見ると、ラベルもきちんと剥がしてあって、すごくきれいなんです。その理由を分析するために精神物理学の手法で評価する方法を取り入れて、金額換算までできるようにしたところ、スーパーに持ち込む行為の評価値は1回あたり約50円。50円の煩わしさに打ち勝てるほど資源回収に強い関心を持った人たちですから、蓋を外す1.8円、ラベルを剥がして中身を洗う10円以下の煩わしさも当然クリアしているんです。
佐藤 すべての機会費用を足すとかなりの額ですね。
高橋 はい。それから5万4000本のペットボトルを調べた結果、さらに興味深いことがわかりました。ごみ集積所でも、蓋の取ってあるペットボトルを調べるとほとんどきれいに洗ってあったんです。つまり1.8円の煩わしさに勝てる人は、面倒でもそれ以上の行動をしてくれる。逆にいえば、1.8円の煩わしさに負ける人たちは、「面倒なことはやらない」。たった1.8円なんですけど、人の資質をスパッと分けられるソ―シャルフィルターなのかもしれないなと、意外な発見でした。
佐藤 人間の本質に迫る、ある意味では恐い発見ですね。そこに年収や学歴といった別の指数を結び合わせると、何らか有意な相関関係が出てくる可能性がありそうです。
高橋 ありますよね。実はこれは今の悩みでもあって。分別の研究をしていると、ごみを分けるよりも、人を分けたほうが早いんじゃないか、という推論が見えてきます。つまり1.8円の煩わしさに負ける人のことはもう諦める。でもそれって、すごくディストピア的な管理社会に結びつきやすい。中国では現在すでに、街中の監視カメラと顔認証技術で個人の行動をすべて記録・管理をして、ポイ捨てなどの非道徳的な行動にペナルティーを処すというシステムができあがっています。
佐藤 つまり1.8円の煩わしさを超える恐怖で、人を動かしているわけですね。ロシアもソ連時代から街はきれいでした。雇用対策もあって清掃員があちこちにいて、ポイ捨てなんかしようものならすぐにピーッと笛を吹かれて「おまえ何やってんだ」と同志的指導をされる。ソ連崩壊後にだんだん街が汚くなって、でもプーチン政権以降またきれいになってきました。やはり独裁に近づくほど街はきれいになる。これも世界的傾向かと。
高橋 僕は分別しやすいごみ箱のデザインも研究しているのですが、それだって要は人の行動のコントロールです。研究者としてはやりがいも面白みも感じています。でも直線上にディストピア的な社会があると考えると、無邪気に研究を進めていいのか、解がわからなくなってしまって。佐藤さんはどう思われますか。
佐藤 優 さとうまさる 作家。1960年生まれ、東京都出身。元外務省・主任分析官として情報活動に従事したインテリジェンスの第一人者。"知の怪物"と称されるほどの圧倒的な知識と、そこからうかがえる知性に共感する人が多数。第68回菊池寛賞受賞。近著に『猫だけが見える人間法則』など。
佐藤 ごみの問題は、生活と密であるがゆえに文化や歴史も絡む非常に複雑な方程式です。だからこそ、そうして悩まれている方こそが進められるのがいいと思う。かつて湯川秀樹は核に言及し「我々物理学者は、人道性に反する研究は自粛すべき」と言いました。対して東京大学でマルクス経済学の教鞭をとっていた宇野弘蔵は「それは違う」と批判します。なぜなら、いずれは誰かがやるから。物理学者として重要なのは、その研究が軍事利用された場合にどのような被害が出るか、具体的実証的に明らかにして、公共空間に投げかけていくことだ、と。つまり、自分の研究の孕む危険性も含めて公共圏に委ね、各プロセスにおいて合意を取りながら研究を進めていくという姿勢が、一つの解のように思います。
高橋 プロセスにおいて解を出していくということですね。ありがとうございます。正直かなり悩んでいました。
佐藤 そのあたりのジレンマは、工学的ですね。哲学や理学なら「人間とはそういうものなんだ」というところで論文を書けば収まるのだけれど。
高橋 はい。工学はリアルな社会に役立ってナンボ。僕はごみの発生から最終処理まで研究していますが、いかに役立つかが常に前提にあります。
佐藤 今はどのようなテーマに一番関心がありますか?
高橋 ここ数年は、人の行動のほうに軸足が移りつつあります。ごみの発生から最終処分までのすべてをテーマにしていて、埋め立てられたごみの鉱物学的な分析や、リサイクル資源を液体肥料に変える研究、環境経済的な評価も行っています。もともとデータを積み重ねて考えていくスタイルだったのですが、人の動きはデータでは読み解けない結果が出ますから奥深いですし、難しさも痛感させられています。実際、短期間で失敗に終わると予測したレジ袋有料化は結果として定着し、環境保護面でも好影響の報告があがっています。当時の環境相がどこまで考えていたかはわかりませんが、自分としては判断を読み違えて、自信を失っているところもあって。
高橋史武 たかはしふみたけ 博士(工学)。1976年生まれ、愛知県出身。東京工業大学(2024年10月、東京科学大学に改称予定)環境・社会理工学院融合理工学系地球環境共創コース教授。専門は廃棄物工学、リサイクル工学、環境工学。東京大学工学部都市工学科卒業。東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程および博士課程修了。国立環境研究所資源循環・廃棄物研究センターNIESポスドクフェロー、九州大学特任助教および助教、東京工業大学准教授を経て、2024年4月より現職。
佐藤 社会実装は文化と結びつかないと実効性を持たないので本当に難しいですね。文化は人為的に変容させることはできないから。
高橋 はい。オーバーツーリズムのごみ問題も、海外の観光客に分別までしてもらおうと考えるとかなり難しいんです。何しろ国の文化、生活様式が違うわけですから、意思決定理論や行動理論のモデルで分析しても世界中でみんな違う結果を報告しています。それに国内の観光地のごみ箱のデザインでも、僕らがデータでコツコツ証明しているのに、デザイナーさんは直感的に「これがいいんじゃないかな」と同じ結論にたどり着くことがあって、「すごい!」と(笑)。おっしゃるとおり現実の文化が密接に関わってくるので、工学的なセンスだけでは測れないものが大きいですね。
佐藤 でも、工学的な考えから離れたことは実装できませんから。そうやって真摯に研究活動されている方がおられるのは頼もしいですよ。
高橋 佐藤さんにそう言っていただけると自信を取り戻せそうです。なんだか今日、僕のセラピーになっているような(笑)。ありがとうございます。ごみの問題は生活と切り離せないものでありながら、まだ意識差が大きく、収集や清掃などのサービスに従事する方に対してもリスペクトの念が薄いように感じます。いずれはそういったところも含めて、より良い社会に役立つ研究を進めていきたいです。
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