佐藤 小川さんは文化人類学の研究で、主にアフリカの商人を専門にされています。2020年に河合隼雄学芸賞と大宅壮一ノンフィンション賞をW受賞した『チョンキンマンションのボスは知っている‐アングラ経済の人類学‐』は、一攫千金を夢見て香港に集まったタンザニア人たちの刺激的な仕事ぶりや日常が鮮やかに描かれていて、非常に面白かったです。
小川 ありがとうございます。大宅壮一ノンフィクション賞で、佐藤さんが選考委員としてくださった選評もとてもうれしく拝見しました。
佐藤 私は積極的にこの作品を推しました。タンザニアの商人たちは来るもの拒まず去るもの追わずの姿勢で、騙し騙されることも多いのに「自分はみんなに愛されている」と口々に話す。その構造が興味深いですよね。
小川 私の調査者ってギャンブラーのような人たちなんです。数撃ちゃ当たるじゃないけど、種を撒くだけ撒いて放置して、良い反応があればラッキーっていう。この本ではアフリカ諸国とアジア諸国のインフォーマルな交易について書いたんですが、人間関係も同じで、そもそも個人に期待をしていないから、反応しない相手のことは考えないし、反応してくれたら「俺のことが好きなんだな」と考えます。だから人の悪口は言わないですね。合わなければ関わらないだけ。
佐藤 ストレスは少なそうですよね。
小川 “ストレスの先延ばし”が上手なんだと思います。問題はたくさんあるけど、一つひとつ対処していくとキリがないから考えない、失敗しても振り返るより次に賭ける。香港で失敗したらタイ、タイで失敗したら別の国へ……ってどんどん次にいく。本当にどうしようもなくなったら追い詰められた馬力によってなんとか切り抜けて、「俺もまだやれる」って生きる力を取り戻す(笑)。もっとも、どうにもならなくなっちゃってる人もいるんですけど。
佐藤 でも互助支援のセーフティネットが結構しっかりしているから、意外となんとかなってしまうのでは。
小川 そうですね。この前面白かったのが、彼らの中にも一応、香港タンザニア組合というものがあるんですが、組合はコロナ禍になってすぐ解散したらしいんです。「大変な時こそ必要なんじゃないの、なんで?」って聞いたら「全員にとっての危機なのに、寄り集まっても愚痴大会になるだけ。みんながバラバラのことを試せば誰かチャンスを掴むだろうから、そしたらそこに全員ぶら下がればいい」と。もともと、なるべく違う種類の人たちがいたほうが全体としての生存率が上がるっていう、多様化戦略で生きている人たちなんですよ。
佐藤 ぶら下がっていいっていう発想もパッケージなんですよね。それなら人の成功をいくらでも応援できる。
小川 はい。それにダメ人間も応援できます。自身も道を踏み外したり、落ちぶれたりする可能性はあるという考えが前提だから、その時に傷をなめ合えるダメ人間も必要。結局、大企業の社長、警察官から詐欺師までいる。
佐藤 ゆるやかで多様なネットワークにしておけば、状況に応じて自分に合った人付き合いができるから。
小川 「子どもができちゃったから真面目に働くことにした」ら堅気の人たちと仲良くして、「堅気になったけどうまく行かなかった、やべえわ」ってなったらまた裏家業を持つ人との関係に戻る。そういう流動性が非常に高いんです。日本は一度作った人間関係を維持しようとするから、それがストレスになるんだと思うんですけど、商人たちはその人たちと距離を置こうとする。
佐藤 農民もそうですか?
小川 私たちに比べたら流動的に見えますけど、狩猟採集民や牧畜民のように転々としている人たちに比べると、農耕民の文化には妖術とか呪術が多いともいわれます。固定化した人間関係の面倒くささはどこにもある程度あるのかも。都会の商人は完全にフラフラしているので。
佐藤 なるほど。
小川 今回は「ストレス」がテーマと聞いていたので考えてきたんですけど、日本の場合もやっぱり流動性の低さが大きいんじゃないかと思うんですよ。
佐藤 あと、金の問題もあるんじゃないですか。一般的に見聞きするストレス、例えば子どもの教育とか親の介護あたりは、金があれば解決するものが多いと思う。
小川 お金。身も蓋もないですけど(笑)。
佐藤 優 さとうまさる 作家。1960年生まれ、東京都出身。元外務省・主任分析官として情報活動に従事したインテリジェンスの第一人者。“知の怪物”と称されるほどの圧倒的な知識と、そこからうかがえる知性に共感する人が多数。第68回菊池寛賞受賞。本連載をまとめた『賢人たちのインテリジェンス』(ポプラ社)が発売中。
佐藤 資本主義システムの中では、お金に起因するストレスは大きいです。ぜんぜん違う価値観で生きている人、たとえば極左過激派のアジトに住んでいる人は月給2万円でもストレスはないはず。熊谷や前橋の駅前にたむろしているマイルドヤンキーもストレスは少ないと思う。年収2000万、世帯年収3~4000万円くらいのタワマンに住んでいる人たちが一番ストレスを抱えている感じがしますね。周りにも似た人しかいないから狭い世界の評価軸や義務感に縛られて、常に誰かと比較して苦しんでいる。
小川 そういう意味では私はあまり囚われていないかな。海外にいるときなんて、カメレオンみたいに「その場」に合った自分になります。今は素ですけど、アングラな人たちといると口調も別人みたいになります。
佐藤 まさに参与観察向きですね。
小川 現地に行って帰って来ると、論文を書く素の自分に戻るんですけど、普段から全く違うキャラ設定や職業で、三重生活みたいなことをしたいという夢もあります。Aという生活に飽きたらBという自分になって、嫌なことがあったらCという自分になって……ってちょっと面白そうだなって。人類学者って割とみんな、そういうところがあるんじゃないかと思っています。
佐藤 諜報機関の潜入工作員のようですね。研究や諜報というミッション、メタな視点がないと、アイデンティティの崩壊につながる危険性はありますが。ただ複数の居場所を持つことは、たしかにストレスを軽減する方法論の一つです。行きつけのスナックを作るとか、囲碁クラブに所属するとか。宗教団体の集会もそうですけど、会社や家庭とは違うヒエラルキーの中に身を置く時間があると、煮詰まった価値観がリフレッシュされます。馴染みのない文化や社会について書かれたノンフィクションを読むことも、同じ効果があるでしょう。
小川さやか おがわさやか 文化人類学者。1978年生まれ、愛知県出身。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。専門は文化人類学、アフリカ研究。主な著書に『都市を生きぬくための狡知』、『「その日暮らし」の人類学』、第8回河合隼雄学芸賞と第51回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『チョンキンマンションのボスは知っている‐アングラ経済の人類学‐』など。
小川 そうですよね。常識とされている概念を外してみるだけでも気持ちは変わるかなって。例えば文化人類学の説明をするときによく話すんですが、一夫多妻制って現代の先進国の感覚だとジェンダー不平等という議論になりますけど、奥さんは全員平等にすべきという規範があり、家事労働は分担できるんです。私が今アフリカの田舎にいたら絶対に第二夫人を目指します。第一夫人は荷が重いし、第四夫人は可愛いキャラを演じ続けるのが大変だから、裏番的な第二夫人がおいしいなと。
佐藤 外からと内側からでは見える風景が違いますね。
小川 異文化や他人を100%理解するなんて無理ですから、私もタンザニアでは今でも怒られまくりです(笑)。ただ人類学者の中には子どもを連れてアフリカ奥地のフィールドワークに行く人もいるんですけど、子ども同士ってすぐに勝手に仲良くなるんですよ。文化とか倫理とか常識みたいなものが固まっていないから、お互いに遊んだりケンカしたりする中で「いい奴やな」とか「アホなことするなあ(笑)」と関係を作っていく。そうやって自分の物差しで決めつけることなく、意見が違うことを前提に、目の前の人と交流していけたら、それも人間関係のストレスを減らすコツかもしれませんね。
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