「うつしだす世界」を紐解いていく。
夏の暑さがまだまだ残る9月下旬、海を越えてうれしい知らせが届いた。イタリア南部の港町・トロペアで開催された第3回トロペア映画祭において、三島監督が『一月の声に歓びを刻め』で国際長編部門最優秀監督賞を、前田敦子が同部門最優秀主演女優賞を受賞した。映画祭に参加した監督は、現地の観客や映画人たちと、特別な時間を過ごしたという。
「映画『ドッグマン』で第71回カンヌ国際映画祭の男優賞を受賞したマルチェロ・フォンテさんも来られていて、気さくに声をかけてくださったりしました。でもとても印象的だったのは、われわれの映画で上映トラブルが起きてしまった時のことです。映画祭ではボランティアスタッフとして自主映画を作っている学生の皆さんがお手伝いをされていたのですが、「監督とスタッフが誠実に心を込めて作った映画をちゃんとした形でみんなに観てもらいたいから」と奔走してくださって。私には濃いエスプレッソを買ってきてくれて、「ちょっと待っていてほしい。自分たちが頑張るから」と気遣ってくれました」
学生たちに感謝したい。
ボランティアスタッフが力を尽くしたおかげで、映画は無事に上映された。学生たちのその情熱に、三島監督は深く感銘を受ける。
「上映後のQ&Aでは、皆さんも手を挙げてくれました。ある学生は、目に涙をためながら、「この作品を作ってくれてありがとうございます。今日、映画を観られてよかったです。このテーマで映画を作ったあなたの知性に心から感謝します」とはじまり、「愛のある幸せなセックスという行為を、好きな人とできない人生があるということ。そして、そのことを抱えながら生きていく人生があるということに、ものすごく衝撃を受けたし、今後もそのことを考えていきたいです」と伝えてくれました」
記憶を刻むように作られたその映画が、イタリアの人々の心にも静かに響く。授賞式では、学生たちが三島監督の周りに集まり、口々に「おめでとう」と、声をかけてくれた。
「実は、帰国後、中日新聞の連載『エンタ目』に彼らのことを書いたんです。それを、行動を共にしていたコーディネーターの井谷さんが翻訳して向こうに送ってくださって、そしたら、彼らからこんなメールが届いたのです。《映画『Voice』は、私たち全員の心を深く打ちました。それは観客としてだけでなく、映画を愛し、その力が人を変えると信じる、私たちのような若者にとって、とても大切な作品だと思います。上映前の困難な状況における三島さんの繊細さ、穏やかさ、そして強さを今でもはっきりと覚えています。情熱と献身があれば、どんな障害も真実の瞬間へと変えられるのだということを、三島さんは私たちに教えてくださいました。「この映画が私たちの人生を変えた」という言葉は、今も私たちの心に響き続け、創り続けること、夢を見続けること、そして誠実な物語を語り続けることへの励ましとなっています》この言葉たちは、私の大きな誇りとなりました」
映画祭の審査員長は、『キング・オブ・ニューヨーク King of New York』や『パゾリーニ Pasolini』などの作品で知られるアベル・フェラーラ監督。彼を筆頭に、審査員たちからは「洗練された芸術的演出と作家としての感性が讃えられた」「観客を映像の奥行きに引き込み、映画芸術の洗練を再確認させた」「若い観客にも理解しやすく、それでいて芸術性を損なわない稀有なバランス」といった絶賛の声が相次いだ。
急に青空が広がって晴れた。
美しい港町のトロペアで三島監督は最良の日を迎えたが、実はイタリアへの渡航は、この映画祭だけが目的ではなかったという。
「ローマである方と会う約束をしていたんです。9月19日・20日と映画祭に参加して、その後ローマに移動しました。ローマで2日間の時間を作ったのは、その方と会いたかったからです」
三島監督の会いたかった人とは、監督が敬愛するイタリアの映画人の一人。知人を伝って紹介してもらい、会う約束を取り付けたのだという。
「その方からの提案で、「誰かを介さずに、直接やり取りをしよう」ということになりまして、他の人をCCにも入れず、直接メールでやり取りをしました」
しかし、決してスムーズに敬愛する人と会えたわけではなかった。ローマ滞在の1日目には、なんと市街でデモが発生。パレスチナ・ガザ地区での戦争への抗議デモで、道路が封鎖され、地下鉄も動かなくなってしまう。
「どこへも行けないし、タクシーもつかまりません。何もできない状況でした。ただ、抗議デモには賛同していたので、せっかくだからと、私もそのデモに参加したんです。デモを行っている人たちに許可を得て、動画を撮らせてもらい、発信しようと考えました。実は、その敬愛する方も朝一番にテルミニ駅に集合しデモに参加されていて、その日は「デモに集中してください」とメールしました」
最終日となるローマ滞在2日目。今度はローマに大雨雷雨警報が発令。ミラノは冠水しているとローマの友人から伝えられる。雨による電車の遅延など、移動の大変さを危惧した監督は、時間と場所の変更を打診。ローマのトラステヴェレという街のカフェが、約束の場所となった。
「雨の弱まるであろう時間に変更してもらい、その方のお好きな町のカフェを指定していただきました。約束の時間まで4時間ほどあったので、ちょっと早めに向かったのですが、そこから土砂降りだった雨がやみ、急に青空が広がって晴れたんです。トラステヴェレはローマの下町でして、人と人の距離が近い素敵な工房などもある町で、映画人もたくさん住んでいると聞きました」
そして、ついに迎えた邂逅の時。いくつもの予期せぬ出来事を乗り越えた末に訪れた瞬間は、まるで一本の映画のように凝縮されていた。
「何を大切に映画を作っているのか、何を考えて生きているのか……お互いに映画と人生について語り合いました。内容については、またいつかお話しする機会があるかもしれませんが……今は秘密です。イタリア語でpiacere (ピアチェーレ)という言葉があります。自由に心ゆくまで歓びを感じるといった意味合いで使われたりしますが、その時間はまさにピアチェーレでした」
帰国の時間が迫っていたこともあり、名残惜しみつつ三島監督は席を立つ。
「彼も私に「子どもを迎えに行かなきゃ」と帰っていきました。カフェから出て別れるときに、街のみなさんがその方に気さくに声をかけていたのがとても印象的で、人気のある映画人ですけど、彼はひとりの人間、つまり“個”として存在していました。それがとても気持ちよかったですし、こんなふうにお互いの考え方、ものの見方を知るためにきちんと向き合う時間を重ねていくこと、自分もそんな映画作りをしていきたかったんだとあらためて気付かされました」
三島監督にとって、この日の出会いは、これからの映画づくりを支えるお守りのような記憶となった。
撮影/野呂美帆
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