映像作品について語る連載の第32回。
台湾の柔らかな湿気を含んだ空気の中で、白石監督は静かに口を開いた。
「なんか合ってるんですよね、台湾。食べ物は美味しいし、台湾のスタッフも一生懸命やってくれている。映画を撮るには最高の環境だと思います」
2025年の9月末に台湾入りしてから、年が変わるギリギリまで撮影は行われた。台湾での暮らしが馴染むにしたがって、見えてくるものがあったという。
「例えば、数日の滞在だったら食事も繁華街にある有名な店とかに入っていたんでしょうけど、長くいるとだんだん地元の人しか行かないような店も目に入ってくるようになるんですよ。小籠包はどの店も絶品だし、酸辣湯(サンラータン)なんかは、もう毎日食べてられるくらい美味しいなって(笑)。日本では特別好きというわけじゃなかったんですけど。台湾にはもう何度も来ていますが、これほど長く滞在することはなかったので、新しい発見が多いですね」
台湾での生活を満喫している白石監督だが、一方で今回の撮影は、自身のキャリアにおいても突出してハードな現場となった。
「ちょっと常軌を逸してますよ。どんな作品でも数カットは大変な撮影があるんです。本当に集中して、気をつけないと事故が起きてしまうので、ちゃんと指差し確認して、みんなで意思疎通してやらないといけないようなカットが。例えば、『孤狼の血』でも3~4カットはそういう撮影がありました。でも、今回の撮影はずっとそんなカットが続く。延々と緊張感を切らすことのできない撮影が続くんです。普段の撮影に緊張感がないとは言わないですけど、一つミスしたら本当に事故が起きてしまうような現場は普通なかなかないので。あとはもうエベレストの頂上で撮るくらいしか、この大変さを超えることはないんじゃないかな。ただ、もちろん撮影は大変なんですけど、だからこそ楽しいとも言える。新しいことにチャレンジして、試行錯誤するからこそ、燃えるというのは確実にありますよ。自分の手の内にあるものだけで映画を作っていてもしょうがないですから」
ハードな現場であるがゆえに、監督自身も生涯で初めてと言っていいほどの怪我をした。
「助監督時代から通算で一度も撮影現場で怪我をしたことがなかったんですけど、12月頭に足首を打撲と捻挫で痛めてしまいました。一瞬、折れたかなと思ったんですけど、骨には異常がなくて、そこは不幸中の幸いだったかなと。思うように体が動かなくて、反応できなかった結果の怪我です。これまで自分を青年監督だと思ってやっていたんですけど、中年監督だったことに台湾で気づかされました(笑)」
撮影が始められなかった。
怪我の他にも、今回の撮影ではトラブルが続出。例えば、物語の要とも言える大型の舞台装置が予定通り現場に届かなかったことで、クランクインが大幅に遅れてしまったという。
「僕は9月26日に台湾に到着したんですけど、そのトラブルのせいで、しばらくは撮影が始められなかったんです。その間、現場では先々やらなければいけないテストとかをしていたんですけど、夜は空いていたので、台中ジャズフェスティバルに出演されていたギタリストの大友良英さんを訪ねたりしました。大友さんが音楽を手掛けている映画もたくさん観ていたので」
さらに、『極悪女王』で絆を深めたあの人とも、台湾で再会を果たす。
「ゆりやん(レトリィバァ)が、初監督を務めた『禍禍女(まがまがおんな)』で台北金馬映画祭のNETPAC賞を受賞したんですけど、その授賞式の翌日に台中へ寄ってくれたんです。一緒に食事をして、けっこう深い時間まで飲んで、一泊して帰っていきました」
『禍禍女』は海外の映画祭を中心に、高い評価を得ている2026年2月6日公開予定の話題作。白石監督も諸手を挙げて称賛する作品だ。
「天才だと思います、マジで。ゆりやんが自分をすべてさらけ出していますし、なおかつそれを嫌味のないエンタメにちゃんとできている。タイトルの通り、入口はホラーなんですけど、どんどん映画がどこへ行くかわからなくなり、ジャンルも変わってくる。あまり言わないほうが楽しめるだろうから詳しくは言わないですけど、すごい映画ですよ。僕も少しだけ出ています」
ド変態の弟子が作った映画。
台湾では、監督と演者ではなく、監督同士として、映画談義に花を咲かせた。
「今度はこんな映画が作りたいとか、演出のことを教えてほしいとか、完全に次の作品に向けた話をしていました。僕もゆりやんも、やっぱり未来の話をする人が好きなので、あまり昔話をすることがないんです。次に何を撮るかは重要なので、こういうのは止めておいたほうがいいとか、実用的なアドバイスをしておきました。彼女も『極悪女王』の頃から、僕の演出から学んでいたと言ってくれているので、もう“直弟子”と呼んでいいのかなと(笑)。『禍禍女』を観ていただければわかると思いますけど、本当にド変態ですよ。サイコパスの師匠を持つド変態の弟子が作った映画です」
“弟子”から大いなる刺激を受けた白石監督。いったい2026年はどんな年になるのだろうか。ハードな台湾の撮影を終えても、今年は日本で2本の撮影が控えている。
「台湾でもずっとリモートで打ち合わせをしていて、準備を進めていました。上半期の6~7月くらいまで忙しいのは確定しているので、それまでは健康に気をつけながら、がんばっていきたいですね。下半期は仕上げをやりながら少し休みたいです。なんだか毎年同じようなことを言っている気もするけど(笑)。釜山国際映画祭の企画マーケットに出していた企画も、映画関係者の反応がよくて、なんとか前向きにやっていきたいというのはあります。たぶん、この人とだったら勝負ができるというキャストが一人見つかれば、一気に決まっていくはず。そういったことも考えながら、今年もいろいろと並行して動いていく年になるんだと思います」
撮影/野呂美帆