どうしても一度訪ねたかった場所があると三島有紀子監督は熱っぽくいう。監督がそう話す場所とは、鳥取県にある「植田正治写真美術館」だ。
植田正治といえば戦前・戦中・戦後と活躍をした日本を代表するカメラマンだ。鳥取の砂丘を背景に、まるで人を物のように写真の中に配置し、モノクロームの写真で独特の世界観を作り上げた。
「植田さんの写真を初めて見たのは、多分20代の前半だと思います。神保町の古本屋だと思うんですが、そこで『カメラ毎日』という雑誌を開いた時に出会って、そこから植田さんの写真が出ている本を集めだしました。一枚の写真の中にまさに植田さんにしか作れない小宇宙を見ることができて、夢中になって上田さんの写真が出ている雑誌を探したり、いただいたりしました」
植田正治というカメラマンに出会った時にはすでにNHKで映像の仕事をしていたという三島監督。
「写真と映像は全然違うんです。写真はフレーム一枚で完成をさせる世界ですが、映像は連続写真ですから。植田さんの写真を拝見すると写真一枚で彼の描こうとしている世界観が完璧に表現されています。でも、私が映像を製作する際には、フレームを完璧にしすぎないようにお願いしているんです。映像では芝居を観客に見せるために、そこに出ている人に一番の集中を持って行きたい。だから植田さんと同じフレームを切りたいと願うことはないのですが、それでも植田さんの写真には強く心動かされます」
これまで三島監督に話を聞いていると、「視覚に訴える物の持つ力」をとても大切にして、仕事はもちろん自身の生活も送っているように感じる。
「そうですね。でも大切にしているものが具体的に物語を感じさせるものだけとは限らないんです。これは植田さんの写真にも共通するのですが、“光と影”つまり黒の出方というものをとても意識をしています。黒を出すということは、つまりは光を描くということ。植田さんの写真はモノクロなので黒の締まり具合がすごいんです。そういうところは少なからずとも影響
は受けているかもしれませんね。私も映画を撮るときに光の陰影の時を狙いたいというのがあって。だから度々撮影のスケジュールを変えてしまうんですけどね(笑)。『繕い裁つ人』の時もフェルメールのような光を目指していて、まさにそんな光が落ちてきた瞬間があったんです。その瞬間に主演の中谷さんとパッと目があって、二人、阿吽の呼吸で“このシーンを撮らなくては!“という感じになって、中谷さんは着替えに行ってくれました。でも、この”今、この瞬間を撮りたい!“という思いは植田さんの写真に通じるものがあると思うんです。植田さんの写真は人や物の配置などしっかり設定されていますが、
そこに雲とか、風に舞い上がるスカートの裾とか、演出した背景に思い描いていた自然が作り出した瞬間を映し出されていると思うんです。それは映画監督が演出を決めたうえで、頭に思い描いていた映像が作り出された瞬間を写すのと同じ作業かもしれません」
いつかは全編モノクロの作品も撮影してみたいと話す三島監督。
「先ほど話した光と影ではないですが、黒にはいろんな表情があるんです。それにカラーで撮影をするにしてもグレーディングと言って全体の色味をどうするか決める際に、私は割と黒を締めて、渋めにお願いすることが多いです。もちろん木下(恵介)監督の『カルメン故郷に帰る』のような鮮やかな色もいいなとは思うのですが、私はカラーにするにしても少しくすんだ色にする傾向があるかもしれません。そのくすんだ色を目指す中で、他にどういう色味を配置するか考えるのが好きなんです。その時の主人公の心境を考えて、背景に馴染むような衣装を着せるのか、もしくは物語の要となる小物があ
るなら、その色を少し背景からは目立つような色にするなど、色のバランスを考えるのも映画を作る楽しみの一つです」
こういった話を美術部のスタッフの方と話す時間はとても大切だそうだ。
「実は色よりもこだわっているのが、キャラクター設定です。映画で描かれる人を物語る上で小道具はとても大切なんです。例えば『繕い裁つ人』では中谷さん演じる市江さんが使うミシンはどういうタイミングで、どのように譲り受けたのかなどということも話してます。それにハサミ一つとっても、ハサミは使い手の癖がつ
くから譲り受けたものではないだろうと。でもこだわりを持つ市江だし、神戸が舞台だから舶来のものが多いだろうということで、輸入品のはさみを用意したり。とにかく細かいものまで美術部と話をします。だって私たちは映画のなかで生きている人を、ひとり生み出しているわけですから、その人となりが道具や洋服などにも現れるように、些細なことも大切にしています。あとは想像をしながら、こういう話をするのが好きなんです、もともと(笑)」
美術館には植田さんの代表作とも言えるような作品が数多く展示されている。三島監督はその一つひとつを体に刻み込むようにゆっくりと見ていく。そしてある写真の前で、ふと立ち止まった。
三島有紀子 みしま・ゆきこ 大阪市出身 18歳から自主映画を監督・脚本。大学卒業後NHK入局。数々のドキュメンタリーを手掛けたのち、映画監督になる夢を忘れられず独立。近作は『繕い裁つ人』『オヤジファイト』などがある。
その写真はあの砂丘を舞台に撮り続けた、私たちがイメージする植田さんの演出により作り込まれた写真ではなく、荒ぶる波の水面をモノクロで印画紙の全面に映し出したものだった。その波の写真を見て、監督はひと言「切ない写真ですね」とつぶやいた。
映画の主人公の人物像から小物まで、語られることのない多くのことをワンシーンに込めて作る三島監督。砂浜も、水平線も映らず、ただ寄せては返す波だけを写したその写真に、三島監督はどんな物語を感じたのだろう。何もないところから物語を生み出す同士として何か共鳴したものがあったのだろうか。
もしかしたらこの写真から新しい物語が生まれたのかもしれない。そんな静かな興奮を思わせる瞬間だった。
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