「森の中に誰も触れていない石があって、それを捲ると現れる蠢いている虫のようなもの」
“闇”についてのイメージを三島監督に聞いてみると、そんな答えが返ってきた。
「それから目を逸らしたくないし、向き合いたい。捲らない方がいいのかもしれないけど、捲ってしまう性分なんです。それは自分のことに対してもそうですし、人のことに関しても」
もしかしたら、全ての映画監督がそうではないのかもしれない。ただ、確実にいえるのは、三島有紀子という映画監督は、自ら闇に近づき、闇を見つめながら作品を紡いでいくタイプの人だ。10月8日、そんな三島監督の最新作『少女』が公開される。
「創作活動って、登場人物や取材対象など、他者の闇に寄り添い、それを自分と共有することだと思うんです。そして、その闇は全て自己の闇に跳ね返ってくる。そこから目を伏せられないというのは、覚悟としてあるんです。少なくとも自分は、蠢く闇を見ないのであれば、作ることはできない気がします」
『少女』は、由紀と敦子という、2人の女子高生を主軸に物語が展開する。作中、ある場面で稲垣吾郎演じる高雄孝夫という男性が、こんな言葉を敦子に投げかける。
「小説を書くって大変なことだよ。主人公の心の闇に深く踏み込んでいく、それって強い覚悟がないと書けない。自分が壊れるのも恐れずに」
三島監督が脚本に書いたこのセリフは、まさに、監督自身のそんな想いを表していた。映画では、剣道の団体戦のミスがきっかけで虐めを受ける敦子を、山本美月が演じている。
「山本美月でいえば、彼女は、敦子の闇にひたすら向き合わなければならなかったわけですよね。撮影中は彼女に対し、家に帰ってほっとしたり、友達に愚痴を吐き出してスッキリしたりしてほしくなかった。だから、地方に泊まり込みで、敦子から逃げられないようにしました」
ある意味、キャラクターに取り込まれるようにして、山本美月は敦子を演じた。
「虐めている役の子たちとも極力仲良くならないようにしましたし、紫織役の佐藤玲さんとは物語上の上下関係があったので、佐藤さんの凄さをわざと彼女に聞かせたりしました」
“闇から抜けるな”という暗示を、環境から作り上げていったという監督。しかし、山本自身が、「そっと寄り添ってくれました」と語る通り、三島監督は、常に彼女に寄り添いながら、共に敦子の闇に向き合った。
「もちろん、芝居として具体的な指示もしますけど、そこに至るまでの精神状態を作ってもらいたかったんです。ちゃんと敦子の闇に付き合い続けていくという。それはこの役を演じるにあたって、絶対に必要なことだったから。でもそれはとても精神的に辛いことだし、大変だったと思います。だから、私も一緒に敦子の闇を抱えるから、という姿勢で彼女の側にいたんです」
そして、それは、敦子だけではなく、本田翼の演じた由紀や、他の登場人物にも及ぶ。たとえ何が起きても寄り添う覚悟。その人の膿が見えても、踏みとどまり見続ける覚悟が監督の中にしっかりと根ざしている。
「アンジャッシュの児嶋(一哉)さんが演じた国語の先生も、小説家になりたかったけど何者にもなれていない闇を、由紀のお父さんやお母さんも家族関係の闇を、紫織も大人の男への不信感という闇、住宅展示場のサラリーマンの男も、みんな闇を抱えている」
人の闇を見続けるのは、監督にとって、辛く苦しい作業ではないのだろうか。
「苦しいと思うことはないです。役者さんたちが、ちゃんと闇と向き合って苦しんでいるな、とか、冷静に観察するのが仕事なので。だから苦しいというよりも、むしろ、面白いです。いいぞいいぞって(笑)、それに、もともと自分自身が闇の中にいると思っていますし(笑)」
そう言い切る三島監督。闇からは逃げられない、それなら受け入れてしまえばいい、向き合っていこう。そんな想いに至ったのには、小さな頃のある出来事が関係している。
「私が幼稚園から小学校へ上がるちょうど春休み、まったく知らない男から路上で性的ないたずらを受けたことがありました。道を聞かれてそのまま、駐車場に引きずり込まれて。最初は親にも言えずに、自分が悪いんだと思っていました。このことがあったから、自分の中の闇を見ざるを得ないというか、それは避けては通れないことなんだなって。いや、恐らく、生きて行くために…闇に逃げこんだんだと思います」
この出来事は監督の死生観にも、大きく関わってくる。
「小、中ぐらいまで、自分の肉体を冷静に見ては“今日は死んでない、なんで死んでないんだろう。なぜか生きている。あ、自分は生きる事を選んでいるのかな”と、毎日問いかけていました。もちろん、『赤い靴』や、身近な友達の死という要因もあるんですけど、この出来事があって、肉体と精神と死みたいなことに想いを巡らせていました。これを受け入れるためには闇と向き合う覚悟をしないと生きてはいけないわけです」
全ての原点ともいえる幼い頃の経験があり、創作者として、この頃にはある種の決意ができていたのではないだろうか。
「おそらく一生消えないと思います。小さい頃に、闇からは逃げられないんだって想いがあって、そこから闇に飛び込んだ瞬間があり、その上での覚悟なので」
三島有紀子 みしま・ゆきこ 大阪市出身 18歳から自主映画を監督・脚本。大学卒業後NHK入局。数々のドキュメンタリーを手掛けたのち、映画を作りたいと独立。近作に『繕い裁つ人』『オヤジファイト』など。10月8日、死に囚われた女子高生達の、いびつな青春を描いた『少女』(主演・本田翼、山本美月)が公開。
誰もが闇を抱えている。しかし、その闇と向き合えるかどうか、その覚悟ができているかどうか。どちらが良い悪いということではなく、クリエイターと呼ばれる人と、そうではない人の違いは、そんなところにあるのかもしれない。
「『少女』のように、闇を描く場合もあれば、『しあわせのパン』みたいに、闇は想像してもらうくらいにして、日の当たる場所を描いて、光に満ちたこんな世界があると思いたいという欲求も存在する。でも、どこまで描くにしても、登場人物の闇は見ておきたい。普通に生きていく中でも、他者の、そして自分の闇から目をそらしたくはないんです。本当は石を捲らないほうが楽だし、幸せなのかもしれない。でも、そこに蠢く何かを感じたら、もう素通りはできないです」
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