「非常に自分勝手で傷つきやすい、そういう少女たちの時代を一度、描いてみたかったんです」
三島監督の最新作、『少女』が今秋、公開される。湊かなえの小説が原作で、"人の死ぬところを見てみたい"という欲求を持った女子高生とその親友を主軸に物語は展開する。
「17歳くらいって、『キラキラしていて、一番良い時』とよく言われますが実際はとても息苦しくて、窮屈なことが多い。閉塞感の中、みんないろいろなものを抱えていて、もしかすると一番“死”と背中合わせの時期かもしれません」
“死にたい”“死んじゃえ”と軽々しく口にする少女たち。それは死に囚われているからこそだと監督は言う。
「でも、あるとき、フッとその囚われたところから抜けることがあるんです。世界が広く見える瞬間というか。少女という時代は、そこを行ったり来たりする時期。原作に『ヨルの綱渡り』というワードが出てきますが、まさに何も見えずに綱渡りをしている状態で、それを象徴的に表していると思います」
三島監督は、撮影に入る前、10人くらいの女子高生を集め、好きにしゃべってもらったという。どんな音楽を聞き、どんな友達がいて、どんな話をしているのか。そこから見えてきたのは、危ういリアルな女子高生の姿だった。
「『我思う故に我あり』じゃないですけど、大人は少なくとも考えている自分という存在だけは確固たるものとして持っていますが、彼女たちはそれもまだ持っていない。信じられるものがないんです。自分の感情に振り回されてしまう。根拠のない自信には溢れているのに、何者でもない自分に焦りも感じている。その葛藤に揺らいでいる。あきらめた顔をしながら、そんな感情が渦巻いている。私自身もそうでした」
こうありたいと思う理想の自分と、そうではない現実とのギャップ。自分の能力や今いる位置を客観的に見ることができないからこその苦しみ。
「世の中、楽しいことはいっぱいあるし、常に苦しんでいたわけではありませんが、やはり高校生くらいの頃は息苦しさを感じていました。ただ、クラスの男子には『お前、ほんま楽しそうやな』って言われていましたが(笑)」
「実感として、実は今もそれはあまり変わらず、世の中って生きにくいものだと思っています。例えば私は、作りたいものができた瞬間から、生きづらいと感じます。だってそれは成し遂げられるかどうかが分からないから」
それは、三島監督ならではの、映画を通して人に何かを伝えたいという想いがあるからこその生きづらさとも言える。
「こんな映像表現がしたい、という想いもあると思うのですが、自分は常に伝えたいことがあり、そのために撮りたい。それは答えではなく、『こうだと思うし、こうかもしれない、みんなはどう?』という伝え方をしたいんです」
映画を撮るとき、三島監督はいつも自分に問いかけていることがあるという。
「これは観る人に伝わるのか、伝えたいことが届くのか、ということを常に考えながら作っています。その上で極力、人間を描きたい。人って、一人の人間の中に驚くほど善い部分もあれば、どこまでも愚かな部分がある。失敗もするし、卑劣なこともする。今村昌平監督の『復讐するは我にあり』という好きな映画がありますが、その映画のように、そこで描かれている人間の卑劣な部分も含め、人間が非常に複雑で愛おしいと思いながら作りたいですね」
映画という自由な表現方法を持つ媒体だからこそ、三島監督のそんな想いを伝えられるのかもしれない。三島監督も敬愛しているという今村昌平はもちろん、黒澤明や小津安二郎ら映画界の巨匠たちは、世代を超えた普遍的なテーマを描き、今なおその感動を人々に伝えている。
「でも、この尊敬する監督たちにできなくて、自分がやれることはただ一つ。今、生きている人たち(自分も含めて)に向けて何を作れるのかを考えることなんじゃないかと思うんです。みんなが何に悩み、何を思い、どんな気分なのか。それに応えられるのは、今、生きている人にしかできないこと」
『繕い裁つ人』で、中谷美紀演じる市江が、「今、生きているお客さまにあった服は、今、生きている私にしか作れないんですもの」と言うシーンがある。「あれは実は、私の宣言なんです」と、監督は教えてくれた。
「私の映画を観た人には、1度でも体温を上げて帰ってもらいたい。普通に生きていれば体験できないことを映画では体験できる。そこで何を感じてもらえるか。説教くさくなるのではなく、あくまでエンターテイメントの中で、どう伝えられるかが大事なのかなと」
三島監督の信念は揺るがない。例えばある企画が監督のもとに持ち込まれても、その時、監督の“やりたい”と思っていたエッセンスや描きたいと思えるエッセンスがない場合、その企画に参加することはないという。
三島有紀子 みしま・ゆきこ 大阪市出身 18歳から自主映画を監督・脚本。大学卒業後NHK入局。数々のドキュメンタリーを手掛けたのち、映画を作りたいと独立。近作に『繕い裁つ人』『オヤジファイト』など。今秋、『少女』が公開予定。
三島監督だからこそ撮れるもの、三島監督でなければ撮れないもの。それ以外は監督の視界に入らない。
「自分が撮る限りは、こういうことを伝えたい、こういう人間に寄り添いたいというのが見つからないとできないんです。不器用なんですね。最近気づいたのですが…(笑)。伝えたいことがない、描きたい人間がいないのに作品を作ることはできないと思います」
『少女』には、きらめくような恋も、おしゃれでポップなライフスタイルも出てこない。鬱屈とした毎日の中で生きる等身大の少女たちを描いたこの作品を、三島監督は"いびつな青春映画"と言った。映画からいったい何が伝わってくるのか。今から楽しみで仕方ない。
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