今回は、東京財団シニア政策オフィサーであり、法学博士の森信茂樹さんが登場。
――「給料が上がったのに手取りは変わらない」「長時間働いても暮らし向きが楽にならない」。そんな実感を持つ現役世代が少なくありません。今回はお二人に、税金と社会保障の現状と再分配のあり方、そしてAIによって激変する世界を生き抜くための心構えについて話を伺います。
森信 手取りが増えない、つまり税や社会保険料の負担が大きい。この根本原因は少子高齢化の進展です。20年前は、現役世代3人に対して65歳以上の高齢者は1人でした。現時点では2人で1人を支えている。さらに、75歳以上の後期高齢者の比率が増えています。後期高齢者の医療費は前期高齢者の4倍かかっています。医療、介護の費用の増大は避けられない現実で、その費用を皆さんで負担する必要があるということです。
ただ、見落としがちな視点があります。それは「受益と負担」、つまり税と社会保険料の負担(国民負担)と社会保障給付のバランスです。先進諸国と比較すると、日本は社会保障の充実の割には国民負担が低い国なんです。
佐藤 わかります。私のような作家でも、1万円の原稿料のうち所得税や住民税などを引かれて、手元に残るのは3,300円です。でも文句はないですよ。日本の税金は、しかるべきところにちゃんと使われているとわかっていますから。
森信 公務員の定数が抑えられる中、防衛や教育などに使われていますからね。
佐藤 ええ。医療費としても、私自身、人工透析をしていた際に経済的負担はほとんどありませんでした。
森信 そうですよね。しかも日本は世界に冠たる医療のフリーアクセスを維持できています。保険診療で患者が自由に医院を選ぶことができるというのは、世界的に非常に珍しいシステムですから。
世界の国々を見ると、社会保障が手厚いけれど税・社会保険料負担が重い「親切・重税国家」と、その逆の「冷淡・軽税国家」に大別できます。前者は北欧やフランス。後者はアメリカが顕著でしょう。「親切・重税国家」と「冷淡・軽税国家」、日本がどちらに進むべきなのか。これは政府が決めることではなく、国民全体で真剣に議論し選択すべき問題なんですよ。
佐藤 大学病院での待ち時間に文句を言う人もいるけど、システムは「時間」か「価格」で調整するしかありません。旧ソビエトは価格が一律固定だったから、良いものにとんでもない行列ができた。アメリカの病院は、調整された価格を払える人しかいかないから行列がない。どちらがいいかと聞かれたら、2時間3時間待ちの15分診療でも、時間で調整する国のほうがいいと個人的には思います。
森信 「価格」で調整したら、金持ちは医療を受けられるけれど、そうでない人は死んでもらうしかないというところまで追い込まれますからね。
これは医療福祉だけではなく、生活全般に言えることです。税金が安くなれば、その分、社会保障も公共サービスも薄くなる。いわゆる自己責任の世界になっていきます。「税金が安いほうが本当にいいのか?」という議論が十分なされないまま、選挙で票を集める目的で一時的な減税や給付金をうたう「財政ポピュリズム」が拡大しているのが、現状の大きな問題点だと思うんです。
専門家や官僚の意見が抜け落ちている。
佐藤 極端にいくと、財務省が諸悪の根源だという「ザイム真理教」みたいな話になる。あれは財務省の人たち、たまらないでしょう。警察がしっかりしているから今のところ大丈夫だけれども、状況によっては財務官僚がテロに遭う可能性だってある。
森信 そうなんです。財務省の話は全部嘘、というようなことを言う人もいますけど、財務省は嘘を言っていません。指標について少し都合のいいように解釈することはあるでしょう。でも嘘は絶対に言わない。一時期は財務省の前でデモもありましたが、これでは新卒の優秀な人が入ってこなくなるんですよ。
佐藤 萎縮しますよね。しかも現役の官僚は、そういった議論に正面から反論できません。
森信 そう、プライベートな立場としてSNS等で発信することも事実上禁じられています。
佐藤 だから、ちょっとずるい発想かもしれないけど、財務官僚たちは世間からある程度は叩かれる覚悟を持ちつつ、世の中のイメージはともかくとして、最終的に国民のためになる税と社会保障の一体改革となる制度を作る。その説明は政治家に任せる、というふうに現時点ではやっていくしかないのかと。
森信 それに、お金儲けに興味のないまっとうな学者も、SNSで発信するメリットがない。
佐藤 論文を書いたほうがいいですからね。
森信 となると、SNSで出回っている発信情報は、多くがお金儲けの極端な言論ということになります。まっとうな専門家や現場の官僚の意見が抜け落ちているんですよ。そこで私は、オードリー・タンのいうような、SNSの声を集めて政策を作ればいい、というデジタルデモクラシーは必ずしも成り立たないと思います。
増税できない分がシフトしているから。
森信 「なぜ手取りが増えないのか」という疑問へのもう一つの観点が、労働分配率です。日本の法人は現在、史上最高利益を出しています。株の配当もすごくしている。けれど労働分配率、つまり労働者への分配は、バブル崩壊後の失われた30年間、右肩下がりを辿ってきました。最近も、企業収益が最高益を達成する中で落ち続けている。これは正社員が給与引き上げより雇用安定を求めた結果でもあるのです。そこで「もっと法人税を増やすべきでは」という議論が出始めています。個人的にも間違っていない方向だと思いますが、法人税以外にも着目すべき税がある。法人が株式や配当として株主へ分配した金融所得への課税強化です。こちらは個人の所得税ですが、元をたどると法人の利益です。
佐藤 どちらも、資本から生まれたものですからね。
森信 そうなんです。ですから、法人だけではなく、株主に対してもっと税負担を引き上げるべきという議論は格差是正にもつながる。
佐藤 賛成です。それなら、減税ポピュリズムともぶつからない。ここでいう株主というのは、NISAとかそういうレベルの話じゃありません。桁がまったく違う。ほとんどの人はそんなに株を持っていないでしょ。
森信 AI半導体株で突然莫大な富を得た余裕のある株主にもう少し負担を求めてもいいのではと思います。それともう一つ。社会保険料が高くなっているのは、増税できない分の負担が社会保険料にシフトしているからで、日本独特の現象です。世界的には全員が負担する消費税が高くて、現役勤労者だけに負担を求める社会保険料はそんなに高くない。日本は税負担の議論を避けた結果、社会保険料が重くなった。勤労世代の負担を軽くするには、これを直していく必要がある。
森信 もう一つ、佐藤さんと会うので議論したいと思っていたテーマがあるんです。アメリカでは、共和党系の政治哲学者のパトリック・デニーンや、民主党左派のバーニー・サンダース上院議員が、AIがもたらす莫大な富について、その利益は誰のものか、国民に還元すべきではないか、といった発言をしています。つまり、国家が企業の株式を保有しその配当を国民全員に配るという、ベーシックインカムの発想が出てきている。ChatGPTを開発したOpenAIのアルトマンは、持ち株5%を政府に提供すると報じられています。サンダースは、データは国民から勝手に盗んだものだから50%は国に返せと言っています。
佐藤 面白いですね。ただ、AI先進国のアメリカでしかできないのではありませんか。
森信 日本でも国家資本主義の下で莫大な補助金や減税を半導体企業などに与えています。AIが雇用を縮小し、富の偏在を大きくする中、補助金をもらった企業が成功した暁には国に成果を還元することを考える必要があります。AI時代の再分配は、今後の大きな論点になるでしょう。
佐藤 ベーシックインカムに関しては、貨幣での給付は、ギャンブルやアルコールで溶かしてしまう人がおそらく出てくる。それよりは、井手英策さんの提唱する、ベーシックサービスのほうが面白いと思いました。
森信 わかります。現物給付でね。それには莫大な費用がかかるので実現は難しかった。しかしAIのもたらす莫大な超過利益によって、可能性が出てきました。
再分配の話では、私は給付付き税額控除をずっと言い続けてきました。「セーフティネットからトランポリンへ」。落ちてくる人(失業者)を抱きとめるだけじゃだめなんです。給付に職業訓練などを組み合わせ、もう一度勤労に戻ってもらわないと。イギリスでブレアがこれをやって、大きな成功を収めた。この話を6年前に高市さんにして、彼女が自民党総裁選挙の公約に入れました。彼女が総裁になり日本でも2029年4月からの本格導入が決まり、2027年から先行導入が予定されています。
単なるバラマキではなく、所得に応じた給付と、人的資本を上げる仕組みをセットにする。私は理想的な制度だと思っています。実際に導入して、毎年改良していくことが、これからの課題です。ぜひこれを読んでいる皆さんからも、意見を寄せていただきたいですね。
撮影/野呂美帆 構成/藤崎美穂
スタイリング(佐藤)/森外玖水子
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