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佐藤優

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バブルも経験をせず、終身雇用という概念も崩れ、社会の恩恵を肌感覚で感じにくい30代中盤より若い世代。まさに「右肩下がり世代」といっても過言ではない彼らは、厳しい現状の中でも新しい生き方を模索しています。「知の巨人」であり、グローバルな視点で国内外の問題を語る佐藤優がメンターとして、右肩下がり世代で活躍する人々と話し新しい時代の価値観を浮き彫りにしていきます。

佐藤優

構成/藤崎美穂
撮影/伊東隆輔

地方都市に暮らすということ

ニュータウンの高齢化と人口減が問題 ―― 佐藤

地方都市はこれから二極化していく ―― 藤村

佐藤 藤村さんは埼玉県の大宮駅東口プロジェクトに携わり、地域住民がまちづくりに参画する場「まちラボおおみや」の企画・運営も手がけられています。私は大宮付近で育ちましたから、とても注目しているんですよ。書籍や対談記事も拝読しましたが、一貫して都市のあり方を踏まえたアプローチをされていますよね。
藤村 私は76年生まれで、民間ニュータウンが成熟してきた時期に所沢で幼少期を過ごしました。また父の出身地である神戸市も、当時の原口忠次郎市長の発案により日に日に開発が進んでいて、遊びにいくのが毎回とても楽しみだったんです。そういう原体験から、都市開発にポジティブな印象を持ってこの道に進みました。
佐藤 原口市長はもともと土木工学博士だったんですよね。
藤村 ええ。ただバブル以降の建築業は、ゼネコン汚職などの問題もあってイメージが悪くなってしまった。さらにバブル崩壊や阪神大震災で行きづまり…。そういう中で地方を考えなおそうと、田中角栄元首相の『列島改造論』を読み直し、いま起こっている人口移動の問題なども基本的には、当時の議論の反復ではないかと考えるようになったんです。
佐藤 当時の建設論は、土木建築を中心とした富の再分配だったわけですよね。日本型社会民主主義。あちこちに腹黒いとっつぁんがいて、さらにそれを束ねる下品極まりない政治家がいて…。彼らは小泉改革で一掃されたことになっているわけですが。ただ合理化が進めば、今度はスラム街ができます。事実、東京でもすでに兆候は出始めている。
藤村 都市間競争が激しくなった結果は、アメリカを見れば一目瞭然です。成功すればニューヨークやポートランドに、失敗すればデトロイトになる。今後日本の都市も、二極化していくと思います。
佐藤 藤村さんは川越の西から鶴ヶ島のあたりの再開発も手がけておられます。私が育ったのは大宮の公団で、当時は画期的な初期型テラスハウスでした。ところが小学校高学年の頃に川越に霞ヶ関ニュータウンができて、みんなそっちに引っ越していった。大宮よりも東京に近く、本格的なニュータウンということでみんな憧れたものですが、最近は寂しい雰囲気ですね。
藤村 当時人口が一気に入ったゆえに、急激に高齢化して。今後国や県の補助がない場合、行政の予算内では建築も道路も3分の1しか維持できないという試算もあるんです。残りは管理放棄するか壊すかしなきゃいけなくなる。そういう問題がこの10年くらいで急速に顕在化してきました。
佐藤 同じ問題を抱えているニュータウンは多くあるでしょうね。
藤村 活気のあるニュータウンもあるんです。例えば千葉のユーカリが丘はデベロッパが開発を抑制して、年間200戸限定販売で、33年間かけて6600戸に広げました。毎年新しい世代が入ってくるので人口のバランスが取れていますし、高齢になってきた人が駅前に住み替えたりと、地域内経済が循環している。だから地価も下がらず、いまだにシネコンやショッピングモールが進出しています。都市開発に経営の思想があった街は、生き続けるんですよ。
佐藤 そういえば大宮の隣にさいたま新都心ができました。あれは大宮と有機的に繋がらない計画ですよね。さいたま新都心のカフェのほうが、居心地もよさそうですしね。
藤村 長い目で見るとどうかわかりませんよ。私自身ニュータウンの出身なので、新しい街が一斉に古びるという経験をしています。神戸のポートアイランドしかり、さいたま新都心も油断はできません。
佐藤 これから家を持とうと考えている人は、どんなところを見たらいいと思いますか。

都市も家も、形あるものはいずれ壊れる。

円滑なコミュニケーションが大切 ―― 藤村

藤村 都市に限らずですが、形あるものはいずれ壊れるという視点が必要かと。そういう意味では、タワーマンションも難しい建物ですね。1000戸入っているとしたら、建て替えのときに相当数の合意形成をしなければなりません。10戸のアパートですら揉めますから、普段のコミュニケーションが円滑でないと、苦労されるのではないかな、と。
佐藤 そういえば、仕事用に買ったマンションは面倒見のいい青年が、住人でありながら管理人を買って出てくれているんですよ。すごく助かっています。おかげで空き室も出ませんし。
藤村 住宅単位から都市単位まで同じことが言えますね。空き店舗が出た時、すぐに頑張ってテナントを誘致する商店街は活性化しますが、「別にいま困らないから」と放っておいたままにしたら、賑わいが減り、人出も減り、ついには街自体が消えてしまうことになりかねない。

佐藤優

都市開発はタブーに切り込むこと ―― 藤村

街の歴史と文化を残した開発になれば ―― 佐藤

佐藤 大宮も昔は最先端の街でした。大宮駅東口に電光時計があるんですけど、埼玉初の電光時計だったんですよ。みんな時計の下で記念写真を撮ってた。大宮市民の誇りでした。それがあるがゆえに、東側は開発に取り残されたっていうのもあるけど。
藤村 たしかに、そういう思いがあったからバブルの時に開発が頓挫したんですね。東日本大震災をきっかけに、再び再開発に取り組む議論が高まってきましたが、一歩引いてみると、大宮のように都心から近く、新幹線も停まるポテンシャルのあるところですら、社会的投資は2020年前後が最後のチャンスだと思います。大宮だけでなく、日本全国の地方都市全体がそうですけれど。
佐藤 東口の独特のすさんだ雰囲気をつくっている大宮競輪場も、1940年に開催予定だった、幻の東京オリンピックのために建てられた施設なんですね。
藤村 いま、ちょうどその文化が書き換えられそうな時期になっているのですね。大宮の方々に話を聞いていると強い変身願望を感じます。傍からみたら個性だし残したいと思うところも、変えたいという思いがある。それこそ、全国を均一化している非常に強い原動力にほかなりません。大宮でいうと、競輪場を封鎖、あるいは移転すればがらりと変わりますが…そのあたりをどう提案していくか。
佐藤 競輪場を動かすとなったら大変でしょう。既得権益に切り込むことになりますから、なかなか触れなかった部分です。
藤村 タブー感は強いですよね。でも一般的に都市開発というのは、タブーにどう切り込むかです。問題を表に出して生かせたら、それがポートランドのように生まれ変われるきっかけになると思います。
佐藤「いずみや」ってご存知ですか。朝時から開いている飲み屋。かつて国鉄の工場で働いていた人が夜勤明けにやってきて、午後は競輪場帰りの客がなけなしの残り金で一杯やる店。マカロニサラダ、ハムカツなんていうメニューが人気で、テーブルはこぼれた酒でベタベタなんだけど、煮込みは抜群においしいし、280円でとんかつが食べられるし、残ってほしいな。
藤村 あれは大宮の歴史街区みたいなものですよね。街の文化。吉祥寺のハーモニカ横丁がちょっと大宮東口の路地と雰囲気が似ていたんですけど、最近リニューアルをして、路地の持つ雰囲気を生かしたままうまく観光地化したんですよ。目指す方向性の一つとして注目しています。

佐藤優

放っておくと限界集落のようになる ―― 佐藤

土地の個性や文化を発掘して未来につながれば ―― 藤村

佐藤優

佐藤 大宮公園内の小動物園って、野良猫にしか見えないヤマネコや普通のニワトリがいる地味な無料動物園なんですけど、ハイエナの飼育で賞をとったりしてるんです。そういうちょっとよくわからないような個性がじつはあるんですよね。
藤村 どの地方都市にも個性って絶対ありますよね。土地には歴史や独特の文化があるはず。住んでいるとわかりにくいかもしれないけれど、そこを意識的に発掘したりしていくことが、自分の街の未来につながるのではないかと思います。
佐藤 藤村さんをはじめとした、理念を現実に起こせる人に力を借りながらね。ほったらかしておくと限界集落のようになりますから。
藤村 地方都市の将来を考えるうえで、アーキテクトの役割は必要なのかなとは思います。子どもの頃の自分がわくわくしたような、社会や住む人にとってきちんと役に立つ建築・都市開発をしていきたいですね。

佐藤優 さとうまさる 作家 1960年生まれ 東京都出身。作家。元外務省・主任分析官として情報活動に従事したインテリジェンスの第一人者。“知の怪物”と称されるほどの圧倒的な知識と、そこからうかがえる知性に共感する人が多数。近著に「いま生きる階級論」「知の教室 教養は最強の武器である」など

藤村龍至 ふじむらりゅうじ 1976年生まれ 東京都出身。建築家。 東洋大学理工学部建築学科専任講師。 藤村龍至建築設計事務所代表。ビル及び個人住宅の設計を行いながら、社会の中で建築が持つ可能性とこれからの未来に活用する方法を探る。著書に「批判的工学主義の建築」など

構成/藤崎美穂
撮影/伊東隆輔