やがて本になるwebマガジン|FILT BOOK
佐藤 優×井手英策
佐藤優がさまざまな知識人と語り合う対談録。 今回は慶應義塾大学経済学部教授の井手英策さんが登場。
佐藤 今、サボっている学生への忠告で、一番“効く”言葉は何だと思います? 「そんな調子だと、中の下になるぞ」です。「ちゅ、中の下ですか、先生!?」って真っ青になります。つまり、自分が「下」、ましてや「下の下」には絶対に行かないと思っているんだよね。井手先生はだいぶ前から、日本人が総中流神話を維持できる臨界点は超えてしまった、と説かれています。でも、中流幻想はまだまだ根強いですね。
井手 OECD(経済協力開発機構)加盟国38ヵ国の中で「自分の生活は中の下です」と答える割合がダントツで多いのが日本です。つまり、自分は中流で踏みとどまっている、と信じたい人が大勢いる社会だということですよね。ただ国際的に見ると、実際にはもう中も下もない、発展途上国の一歩手前まで来ているのが実情です。日米比較ってよく言いますけど、日本の1人あたりのGDPは現在世界38位。アメリカは7位です。31位も開いている。では日本に31を足した69位はどこかというと、カザフスタンです。アメリカからすると日本は、日本から見たカザフスタンなんですね。所得水準はアメリカの4割以下ですから、慶應義塾大学の教授でも家族で1年アメリカで生活なんてできません。お金がかかりすぎて。
佐藤 優
日本は発展途上国に
足を踏み入れかけているかもしれない。
佐藤 今、ニューヨークでちゃんと家を借りて家族で1年暮らすとしたら、5000万円はいりますからね。
井手 このまま行けばさらに円安が進み、農作物も輸入するより自分たちで作ったほうが安い時代になると思います。木材もそうですね。人件費だって相対的に低くなりますから、海外の企業がどんどん入ってくる。一見、経済が潤うように見えます。でも、農業が儲かり、人や企業が外から来て喜ぶ。これを、発展途上国といいます。一歩手間どころか、もう足を踏み入れかけている状況かもしれません。オージービーフも「うわ、高!」って思いますもん。若者の未来への期待感みたいな統計データだって、先進国の調査でたいていビリですからね。
佐藤 では、アメリカはみんな所得が高く豊かなのかというと、別の問題があります。学校の先生や看護師さんと、投資ファンドのマネージャーでは、給与が5000倍離れている。同じ大学を出ても、片や日給1万円、片や日給5000万円という、おかしな社会になっているんですよ。それを踏まえてマイケル・サンデルは『平等について、いま話したいこと』というトマ・ピケティとの対談本の中で、格差を5倍から10倍程度までにおさえたい、という話をしています。マイケル・サンデルはいわゆる共同体論者、コミュニタリアンで、日本では平等論者と見られていますよね。その彼ですら10倍の賃金格差を認めている。でも、年収が300万円の人と3000万の人では、食事する店も遊び方も同じではなくなるでしょう。
井手英策
井手 もはや格差社会ですらありませんね。次元が違う。
佐藤 そう、階級社会になってきているんです。
井手 しかも途上国化している日本では、格差といっても、上と中ではなく、中と下の間で分断が生まれてしまう……。
佐藤 身も蓋もない状況です。
井手 ただ若い人たちは、こういった状況を変えるのではなく、自分たちをどうアジャストしていくかを、したたかに考えているように見えます。たとえばうちのゼミ生でも、去年慶應を出て消防士になった子がいます。今年は介護士の道を選ぶ子も出そうです。それも大手の介護ビジネスではなく、現場に出る一般的な介護職員。
佐藤 慶應の女子学生は、メガバンクや総合商社の一般職も増えていると聞きました。総合職ではなく。
井手 異動がなくて、家族を持ちたいから。
佐藤 ええ。一般職として入社して、慶應出身の先輩やその周辺の男性社員と結婚するケースは少し前から結構見聞きします。これは「男女雇用均等法はなくなったけれどガラスの天井があるから」という理由ですらなく、生き延びていくためのセーフティネットとしての家族を求めているんですよね。他方で、なんとか世の中を変えていかなきゃ、という思いもある。だから、自分たちの属人的なネットワークの中で、少しずつでも変えていこうという、しぶとい前向きさがあるように思います。
佐藤 優×井手英策
若い人たちに
税や財政を学んでほしい。
井手 なるほど、たしかにそれは実感があります。
佐藤 あと、学生たちも刺激の与え方によって、ガラッと変わることがありますよ。この社会はおかしい、でもまずは生き残らないといけない。そのために学ぶ、ということを教える側がまずはっきりさせるんです。たとえば私は今、週3回、朝5時から8時までリモートで読書会をしています。
井手 朝5時から!
佐藤 8時には家を出ないと1限に間に合わない学生もいるから。今読んでいるのは、ハンガリーのマルクス主義哲学者であるルカーチが1952年に出した『理性の破壊』。なぜ、ドイツのような知的レベルの高いところからナチズムのような恐ろしく野蛮な運動が出てきたのかを解き明かしている本です。読書会に参加している学生は、やはりみるみる変わります。すでに280時間かけて『資本論』を読破しましたから。根性があります。非常に本をよく読み、よく考える学生ばかりですよ。そして就職先も一定以上の給与と自由時間が保証された「勉強し続けることが可能な環境」を選んでいます。学びが社会や自分の人生に直結していると同時に、社会でサバイブするツールであることをまず意識させて、そこから、学知、教養の世界に引きずりこんでいかないと、今は難しいですね。
井手 素晴らしいです。うちのゼミも考えることを厭わない、良い意味で変わった学生が多いのですが、そうではない多くの学生を見ていて思うのは、ひたすら無批判、現状肯定なんですよね。若者が保守化しているとか言いますが、とんでもない。右傾化も左傾化もしていません。ただの無批判、現状肯定だから、社会が右傾化したら一緒に右傾化しちゃうだけなんですよ。「だって、しょうがなくね?」って。これはすごく深刻な問題だと思っています。
佐藤 なるほど。たしかに、大学生も二極化しているのかもしれません。学ぶ子は「しょうがなくね」で済ませてしまう子とは、どうしても別のグループに分かれてしまう。
井手 一部で優秀なやる気のある学生が育っても、そのムーブが全体に広がらないのが、悩ましいところですよね。
佐藤 学生たちからも「大正時代の旧制高校で切磋琢磨しあっていたくらいの環境が一番いいんじゃないか」と言われます。周りがみんなやっている、読んでいるなら、自分もせねば、と自然に学びの循環ができていく。そのコミュニティでの「楽しみ」も変わっていく。なんせ授業以外でも、大学近くのコメダ珈琲でずっと本の話をしていますから。
井手 まさに大正デモクラシーを思い出しました。若きインテリ層が本を読み始める。ただ、その反動で、右傾化が生じてくることもまた、歴史の経験ですよね。そういえば、『令和ファシズム論――極端へと逃走するこの国で』という本を出したんです。最初に佐藤さんへのお礼を書いているので、またお送りさせていただきます。
佐藤 ありがとうございます。ファシズムといえば私も『21世紀の独裁』という、舛添要一さんとの対談本を7月に出しました。1週間で重版がかかりましたから、かなり読者にとっても関心の高いテーマなんだと思います。
井手 そうですよね。先ほどナチズムという言葉を聞いて思い出したのですが、結局ファシズムの一番の原動力になったのは、退役軍人と職のない若者でした。つまり、社会的に居場所のない人たち。そういう、ある一定層の怒りが大きな原動力になっていく様子が、今の政治を見ていても感じられますよね。
佐藤 そう思います。それが技法としてのポピュリズムと合わさっている。特に怖いのは、反ワクチンのような考え方です。要するに、体内に外部の何かが入ってくるのが諸悪の根源だと言っている。反ワクチンの人ってみんな健康食志向でしょう。彼らは特定外来生物も駆除しろと言います。これは外国人排斥と根底は同じ。草思社文庫から出ている『健康帝国ナチス』の論理とも一致します。
井手 2010年、当時93歳の元フランス外交官でありレジスタント活動家だったステファン・エセルさんは、無関心な若者に向けて『怒れ!憤れ!』という32ページの小冊子を書きました。これはヨーロッパで300万部を超えるベストセラーになり、僕も当時読んで、怒りは人間の重要な感性の一つだと改めて感じたものです。ただ、社会をより良く変えるエネルギーにも、悪くしてしまうエネルギーにもなりえる……。
佐藤 学生たちにも相当怒りがありますね。教育改革やコロナ禍に振り回されてきた世代ですから、大人も教師も、学校も、全く信頼していない。
井手 そうですよね。そんな今のような状況下で、あえて若い人たちに伝えるとするなら、もっと税や財政の勉強をしてほしいということです。よく「税金を取られっぱなしで自分はもらっていません」と、怒りも隠さず言う人がいますが、病院が3割負担で済んでいるのは7割税金で賄われているからだし、水道をひねって水が出るのは水道施設や設備に税金が使われているからです。でも、人によって使うもの、使わないものはある。たとえば僕は、あまり高速道路は使わないけれど、図書館はよく利用します。逆の人も当然いるでしょう。そういう、いろいろな事情がある中で、お互いが必要なものを、痛みを分かち合いながらみんなで満たし合っている仕組みが税であり財政なんですよね。みんなにとって何が必要なのか。そのためにお金をどう使っていくのかという話です。「増税は悪」と考える人は多いのだけど、では減税すればいいのかというと、「じゃああとは自己責任で」という話になるわけです。医療費は10割支払い、管理された安全な水も自分で用意してください、という社会。
佐藤 それでいいから税を取るな、という愚かな意見が増えているんですよね、困ったことに。
井手 ですよね。僕が以前から提唱している“ベーシックサービス”とは、逆方向の社会です。ベーシックインカムではなく、サービス。つまり、行政サービスの中で誰もが必要とし得る基礎的なものを無償化しようという考え方です。たとえば、医療、福祉、教育……。何をベーシックと考えるか、そして、誰にどれくらいの負担をお願いするか、議論の余地は多いですが、だからこそ民主主義も活性化する。
佐藤 現金を配ったら、子どもの教育費をお父さんが競馬に使ってしまってもわからないから。
井手 ええ。サービスなら本当に必要な人しか使いませんから安く済むし、「あの人は不正受給をしているんじゃないか」というような疑心暗鬼にならずに済みます。ただ実現するには、やはり増税は免れないでしょう。これに関しては、2021年に単行本で出した『どうせ社会は変えられないなんてだれが言った?―ベーシックサービスという革命―』を大幅に加筆修正し、『ベーシックサービス 「貯蓄ゼロでも不安ゼロ」の社会』と改題したものが2024年に新書になりました。加筆修正にあたり、やはり税の問題について大幅にページを割いています。どんな世論調査でも2割はいる増税賛成派は、こういった公共のサービスのことをよく考えている層ではないかと。
佐藤 わかります。ただ、それを政治家として実行できる人がいるかというと、なかなか。
井手 ですよね。政治家ではなく学者だから言えるんだ、という批判はもちろんあります。でもだからこそ、若い人たちに税や財政のことを学んでほしいし、自分でも考えてほしい。そして、決して諦めることはなく、一緒に社会を変えていってほしいと思うんです。財政を変えることは、社会を変えることなんですから。