原田龍二が縦横無尽に語る。第43回は「源流」。
6月にNHKで放送された『擬人化ドラマ 被告人エモい』に出演させていただきました。ご覧になった方もいるかもしれませんが、擬人化された言葉たちが法廷劇を繰り広げるという非常に斬新で面白いドラマでした。NHKオンデマンドなどで視聴できるので、もし興味があればチェックしてみてください。
ドラマは、伊藤万理華さんが演じる新しい形容詞「エモい」が主人公なのですが、僕はかつて一世を風靡した形容詞「ナウい」として、裁判の途中から法廷に立つ参考人という役どころでした。
撮影は2~3日かけて行われましたが、僕の撮影は1日だけ。つまり、僕が現場に入ったときには、すでにある程度は撮影が終わっていて、現場の空気も完全に出来上がっていたわけです。連続ドラマのゲスト出演などでもよくあることですけど、出来上がっている空気の中に途中から入って芝居をするというのは、意外とプレッシャーのかかるものなんです。
スタジオにいる全員が「ここでナウいが出てくるんだ」と、台本を読んで知っているわけですからね。そして、「原田龍二はナウいをどう演じるのだろう」と、一斉に注目が集まります。検察官役の金田哲くんが「どうぞ」と迎え入れてくれる中、僕は「ナウい」として、その静かな法廷の空気をぶち壊すほどのエネルギーを放出しなければなりませんでした。
結果的に、ダサい衣装にも助けられながら(笑)、ハイテンションで一回転したり、大声で叫んだりと、ぶっ飛んだ芝居をさせていただくことができました。
常に磨いていきたい。
このドラマが素晴らしかったのは、ただのコメディドラマではなく、言葉の歴史や用法などを学べる教育番組的な側面があったことです。いつも何気なく使っている言葉の成り立ちを掘り下げる、非常に有意義な機会でした。
僕自身、普段から言葉のセレクトにはとても気をつかっています。小説を書いた経験からも言えることですが、言葉というのは怖いものです。特にタレントは「この人、つまらないこと言ってるな」と思われたら終わりですから。舞台挨拶やインタビューでも予定調和な言葉は使いたくない。語彙力もさることながら、「この場面でどういう言葉を使うか」というセンスを常に磨いていきたいと思っています。もっとも、バラエティ番組で瞬発的に発した言葉などは、どんどん流れていき、あっという間に過去のものになってしまうという一種の気楽さはあります(笑)。言葉が残る小説などとは、また違いますよね。特に生放送などは、気にしてもしょうがない。変な発言をしても、後の祭り。切り替えていかないといけません。
そういった意味では、イベントの出演時も言葉をゆっくりと選んでいる暇はないですね。生放送みたいなものです。
先日の8月28日には、僕が出演している『湯ったり温泉バラエティ 原田龍二の日本全国!湯一無二』の番組初となるイベント「ウォッチパーティー&座談会」が開催されました。お越しいただいた皆さま、本当にありがとうございました!
会場となったのは、ある意味で忘れられない因縁の「TOKYO MX 8階大会議場」。そう、2019年に僕が謝罪会見を行ったあの場所です。温泉に入り続ける番組がイベントをやるというだけでも意外ですが、あの場所で番組のVTRを視聴者の皆さんと一緒に観るというのは、なかなかない試みだったと思います。
実はこのイベント、番組スポンサーでもある山本漢方製薬さんのご協力のもと、僕の「毎日反省 日めくりカレンダー」の第2弾発売を発表する場でもありました。イベントに来てくださった視聴者の方々とも日々の健康に関する反省を共有し、一緒に省みるという温かい時間を過ごすことができました。
今や『湯一無二』は、僕のライフワークになりつつあります。先日は大分県にある「寒の地獄」という冷泉を訪れました。実は5年前にも訪れたことがある冷泉で、水温が13度という、サウナの水風呂でもかなり冷たい部類に入る温度です。2分も浸かっていられません。温かい温泉との温冷交互浴が基本ですから、行かれる方はご注意ください。
そして、「寒の地獄」は冷泉ですが、江戸時代から続く霊験あらたかな“霊泉”でもあります。全国には霊泉と呼ばれる場所がいくつかあります。以前、山形県にある霊泉を訪れたときのことですが、そこには昔の人々が白装束を着て、手を合わせながら祈るように温泉に入っている写真が飾られていました。医者に見放されたような方々が藁にもすがる思いで、自然のエネルギーを頼りに入浴する。それはもはや、入浴というよりも祈りの儀式でした。それこそが温泉というものの一つの根源的な姿なのだと、僕は思います。
自然のエネルギーといえば、今年の夏に和歌山県の「紀州発信プロジェクト」の一環で、熊野那智大社の「那智の扇祭り」を観覧させていただいたことも非常に大きな経験になりました。
現在、陰陽師の安倍晴明をテーマにした映画の続編を撮影しており、秋にも追加の撮影を控えていますが、それに先駆けて日本三大火祭りの一つであるこの神事をドラマの一部として撮影させていただきました。
別名「那智の火祭り」とも呼ばれる火祭りを間近にして強く感じたのは、日本古来の神道の力強さでした。那智の滝そのものを御神体とし、水の神様や山の神様の通り道を清めるために火を焚く。人間が生きていくために不可欠な火と水に対する畏怖と感謝が満ちあふれていました。時代が進んでも、一年に一度は必ずこうした儀式を行う。それは目に見えない神々への礼儀なのだと思います。
発信しないと届かない。
僕は20代半ばでモンゴルを訪れました。そして、遊牧民が乳製品を口にする前に、まず天と地の神様にそれを捧げる儀式を目の当たりにしました。アマゾンのヤノマミ族の集落では、雨が降れば雨の神様に感謝し、満月が出れば皆で踊る。彼らにとってそれは特別な神秘ではなく、生きるための日常でした。自然は感謝し、畏怖するものだと。こうした経験が、僕の中に自分なりの自然観を作り上げていったのかもしれません。
今も草木や動物などの自然と接する機会は多いですね。僕の現在の拠点は埼玉県の浦和ですが、やはり都市部と比べると自然の豊かな場所ですから。
ブロクでは、猫との触れ合いやゴミ拾い、神社へのお参りなど、浦和での何気ない日々を発信しています。こういう都市部から少し離れた田舎の日常って、発信していかないと、意外と人の目に届かないと思うので。
16年前に浦和へ移り住むことに決めたのは、子どものためでした。当時は上の子が小学校3年生で下の子が幼稚園に入る前だったので、日常的に自然が目に入る環境で育てたいという思いがあったんです。
それに、上の子がサッカーに熱中しはじめており、Jリーグの浦和レッズや大宮アルディージャがある浦和は最適ではないかと。ちなみに、息子の同級生には、現在海外で活躍しているゴールキーパーの鈴木彩艶選手がいて、息子は彼と今もとても仲良しです。
もし、子どもがサッカーをやっていなかったら、僕ら家族は浦和には住んでいなかったかもしれません。妻は茅ヶ崎出身の“海の女”なので、彼女の意向を汲んで海の近くに住んでいたかもしれない。妻は今でこそ浦和での暮らしを心から楽しんでいますが、最初は海がないことを嫌がっていましたから(笑)。
もしかしたら、将来的にはこの浦和から引っ越すかもしれません。僕は先のことを考えずに“ライブ”で生きているので、突然そうしたタイミングが来るかもしれない。
ただ、次に引っ越すとしても、自然に近い田舎になるだろうという確信めいたものはあります。僕が自分の人生の源流として、鮮明に覚えている場所があります。それが生まれてから3歳まで過ごした、東京都武蔵野市の武蔵境です。当時の武蔵境も自然が豊かな場所でした。
母の実家があった武蔵境での暮らしは、今も断片的に、しかし強烈な記憶として残っています。例えば幼稚園の体験入園のとき、なぜか尋常ではないほど大泣きして全力で拒絶したこと。おそらく僕の魂がそこに通うことを拒んだのでしょう。結果的にその幼稚園には入りませんでした。
そして何より、僕が「一番会いたい霊」として前もお話させていただいたことがある祖母との思い出です。深大寺の近くにある神代植物公園へ一緒に行ったときの感覚的な記憶。あるいは、昔のガラス製のジューサーにおばあちゃんが野菜を入れているとき、僕が誤ってスイッチを押してしまい、怪我をさせてしまった苦い記憶。さらに忘れられないのが匂いです。おばあちゃんが押す乳母車に乗せられて散歩しているとき、日本獣医畜産大学(現・日本獣医生命科学大学)の獣舎の前を通ると、強烈な獣の匂いがしました。あの独特の匂いを通じた記憶は、今でも僕の脳裏に焼きついています。
父の実家があり、武蔵境の次に暮らすことになる足立区竹ノ塚の下町情緒あふれる風景も好きですが、武蔵野台地の広大で自然の匂いが濃い武蔵境の空気感は、間違いなく僕の原点の一つになっています。
写真(上から1・4・5枚目)/森田直樹(アフロスポーツ)
写真(上から2・3枚目)/朝倉 健(アフロスポーツ)