やがて本になるwebマガジン|FILT BOOK
原田龍二
象徴的な一つのキーワードについて、
原田龍二が縦横無尽に語る。第34回は「死後」。
 おかげさまで僕のYouTubeチャンネル「ニンゲンTV」が好調でして、1月9日には大阪のミナミで2回目のリアルイベント「心霊感謝祭」を開きました。来ていただいた皆さんに感謝の気持ちを直接お伝えできたのは、とても良かったですし、行けなかったけど普段から応援しているという方にも、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。いつもありがとうございます。
 昔はこんなふうに感謝することもありませんでした。特にデビューしたばかりのときは生意気でしたから(笑)。もう35年近く前になりますが、デビューライブのときも、盛り上がっている観客を前に「なんで俺のことをよく知らないのに、そんなにワーキャー言えるの?」と言い放ちましたからね。ステージに立つ人間が絶対に言っちゃいけない言葉ですよ。でも、僕も若かったですし、単純に不思議だったんです。デビューしたばかりの若造に熱狂できることが。
原田龍二
漁港で見た水死体に、
命の儚さや尊さを感じた。
 年を重ねるに従い、ファンの方々がいないと成立しない仕事だということがわかってきました。「ワーキャー」言ってもらえるからこそ、僕は活動ができているんです。街でファンの方が声をかけてくださるということは、その人の気持ちに何か引っかかった仕事ができているという証でもありますから。
 ただ、「ニンゲンTV」に関しては、僕のファンというよりも、原田龍二のやることに興味を持っているという視聴者が多いと思うんです。いつも変なことばかりしているなって(笑)。そんな僕の活動に対して、時間やお金を使ってくれるわけですから、楽しんで帰っていただきたいというのがイベントをやる上での最優先事項でした。
 イベントではトークを中心に、いろいろな企画を行いましたけど、目玉企画の一つがYouTubeでは公開できなかった、いわゆる“お蔵入り映像”の上映です。来場者の皆さんには「会場を出るときには忘れてください」と伝えて、観ていただいたんです。
 どういったものかというと、青木ヶ原樹海で白骨死体を見つけたときの映像なんですね。樹海の白骨死体って、モザイクをかけて普通に公開している他のYouTubeチャンネルもありますけど、「ニンゲンTV」では倫理面から公開を控えました。会場にいらっしゃっているコアな視聴者なら大丈夫だろうと。
 死体って残酷でグロテスクなものですし、当然見たくない人もいるかもしれませんけど、僕は積極的に見たいんです。昔、『世界ウルルン滞在記』でタイを訪れたときに、ある漁港で水死体を見ました。真っ黒な水死体で、どこかから流れ着いたんだと思います。港のゴミ溜まりみたいなところに浮かんでいましたが、まったく気持ち悪いとは思いませんでした。どちらかというと、命の儚さや尊さを感じたと思います。明日は我が身じゃないですけど、いつかは僕も死ぬわけですから、自分と重ね合わせていたのかもしれません。
原田龍二
未知なる世界への好奇心が
勝ってしまっていた。
 小さい頃から人は死ぬとどうなるのか、すごく興味がありました。当然、子どもなので、死んでしまったら親や兄弟や友達といった親しい人たちと会えなくなるという怖さはありました。“死”は悲しくて寂しいものだという植えつけもあったと思います。
 でも、いつからか、それ以上に未知なる世界への好奇心が勝ってしまっていた。早くあっちの世界を見てみたい。あの世と言われている場所では、自分が生きていた理由もわかる気がするんです。わからないかもしれないけど(笑)。気がつけば僕にとって、死は悲しくて寂しいものではなくなっていたんですね。
 そうした希望を抱いているから、死ぬことも怖くない。死後の世界が今から楽しみで仕方ないです。
 日本のお葬式は静かですけど、ある国では、みんなでお祭り騒ぎをして、にぎやかに死者を弔っていました。死の捉え方も国や地域で変わるものなんだなと。
 僕はカミさんに「僕が死んでも葬式はやらなくていいよ」と伝えています。そうは言ってもやらないわけにもいかないだろうから、やってもいいし、どっちでもいい。庭に埋めてくれてもいいし、海に骨を撒いてくれてもいい。庭に埋めるのは死体遺棄ですけど(笑)、どうにでも好きなようにしてくれと。立派なお墓もいらないし、とにかく余計なお金だけはかけないでよって。こだわりはないですし、お任せします。死んだら、僕は次の世界に行ってしまっているわけなので。
 もし、生きているうちに未知の世界について少しでも知ることができるのであれば、積極的にいろいろ試してみたいというのが、僕がYouTubeをやる大きな動機でもあります。
 今回のイベントでも、神島編に出てきた呪物の鏡を持参しましたけど、僕は本物の呪物がこの世に存在しているなら、本当に呪われるのか試したいんですね。信じていないわけじゃないし、疑っているわけでもありません。単純に確かめたい。許されるのであれば、呪物と呼ばれている絵画や人形を壊したり、焼いたりしてみたいんです。当然、持ち主がいらっしゃいますし、霊視した方にも失礼ですから、そんなことはできっこないんですけど、その好奇心が僕のモチベーションになっています。