やがて本になるwebマガジン|FILT BOOK
原田龍二
象徴的な一つのキーワードについて、
原田龍二が縦横無尽に語る。第35回は「相性」。
 最近はありがたいことにロケの仕事も多く、先日は松本明子さんと義理の兄妹ペアとして『アイ・アム・冒険少年』で無人島からの脱出に挑戦しました。その少し前には、『5時に夢中!』で中尾ミエさんと有馬温泉や湯村温泉に行かせてもらって。ご覧いただけましたでしょうか?
 お二人とも長年いろいろなお仕事をされてきた百戦錬磨の方ですからね。いくら僕が傍若無人な振る舞いをしても、すべて許してくれます。僕なんかは番組に出演するときに「原田龍二が出るんだから、何か起きるんじゃないか」と視聴者の方に思ってもらいたいので、コンプライアンスの厳しい時代ですが、ギリギリのところを攻めていきたいんですね。だからロケではいきなり裸になることもあるし、変なことを言うこともありますけど、お二人とも大きな器ですべて受け止めてくれました。生意気かもしれませんが、とてもやりやすかったですし、番組も面白くなったと思います。ロケのパートナーとして、お二人とも最高でした。
原田龍二
じっくりと時間をかけて
愛されるほうが曲も幸せ。
 いろいろな形のパートナーがありますが、僕の中で歌のパートナーといえば、水森かおりさんでしょうか。前もお話しましたけど、昨年末に二人のデュエット曲「モナムール・モナミ~愛しい人よ~」をリリースしまして、最近はBS日テレの歌番組『歌謡プレミアム』に出演したり、一緒にインターネットサイン会を開いたりしました。
 インターネットサイン会というのは、僕らがサインを書いている様子を配信しながら、チャットでファンの方々とやり取りができるというもので、コロナ禍で生まれたアイデアだそうですね。今回、僕は初めて経験しましたけど、リアルタイムでみなさんと交流できましたし、遠方の方も参加できるので、とても素敵な試みだと感じました。
 曲がリリースされてから半年ほどが経ちますが、じわじわと浸透している感覚があります。今は何かとすぐに結果が求められる時代ですけど、長い年月をかけて、じっくりいろいろな人に愛されるほうが、曲も幸せなんじゃないかな。
 そもそもデュエット曲って、ソロの曲に比べると圧倒的に数が少ないんです。演歌じゃなくて、みんなが知っている有名なデュエット曲だと「ロンリー・チャップリン」とか、わずかな曲しかないのかもしれません。そんな状況の中で、このキャッチーな曲を水森さんと歌わせていただけるというのは、本当に喜びしかないです。
 この前、水森さんとも話したんですよ。この曲は季節を感じさせないので、春夏秋冬いつ歌ってもいいよねって。普遍的なことを歌っているので、時間や時代を超えることのできる曲だなと。そこは、この曲の大きな武器だと思っています。
 もちろん、これからも継続して歌っていきたいですけど、例えばアコースティックバージョンなんかを作っても面白いかもしれない。やっぱりいい曲ですから、手を変え品を変えじゃないですけど、より多くの方に聴いていただくにはどうすればいいかを水森さんと考えていきたいですね。アコースティックバージョンをご自身のアルバムに入れるかどうかは、彼女次第ですけど(笑)。
原田龍二
斬る人と斬られる人の息が合わないと、
良い立ち回りにならない。
 そして、歌に相性があるように、芝居にも相性があります。特に顕著なのは、殺陣ですね。殺陣というのは、いわゆる時代劇における斬り合いのことなんですけど、あれはアクションではなく、実は芝居なんです。斬る側と斬られる側による芝居です。
 単に立ち回るだけではなく、斬る側は情念だったり、斬られる側は無念だったりを表現しなくちゃいけない。立ち回り中はセリフがないことも多いですから、斬りかかるときのリズムや刀さばき、表情や力の込め方などで演じるんです。だからこそ、斬る人と斬られる人の息が合わないと、良い立ち回りにならない。
 昨年は3月と11月に、御園座で『水戸黄門』の舞台に立ちましたが、僕のコンディションと斬られる人のコンディションがうまく合わなかった日もありました。それまで何回も稽古をしていますし、その日の朝だって手合わせをしてから臨んだはずなんですけど、やはり本番の空気感は独特というか。大勢のお客さんを前にしますから、知らず知らずのうちに僕も力が入ってしまっていたんでしょうね。うまく見せたい、かっこよく見せたいという思いが強すぎるが故に、息が合わなくなるということもありました。それじゃダメなんですけどね。それを乗り越えたところに、本当のプロフェッショナルの世界があるんだと思います。
 斬られる役って本当に難しいんです。これは観ている人にはなかなか伝わらないかもしれませんけど、斬られる人が上手なら、斬る人も上手く見えるんです。実は僕も片手で数えられるくらいですが、斬られ役をやったことがあります。2018年に放送された田村正和さん主演の『眠狂四郎 The Final』で、僕は物語の冒頭で斬られるんですけど、斬る芝居よりも断然難しかった。なぜなら、斬られる側は斬る側のリズムに合わせないといけないからなんです。斬る人は自分のリズムで動けますけど、斬られる人は受けて動くことになる。タイミングを合わせないといけないので、とても難しいんですね。
 時代劇の見せ場の一つは、さんざん悪事を尽くしてきた悪人が追い詰められて、バッサリと斬られるところだと思うんです。だから、勧善懲悪モノの時代劇であれば、斬られる人は本当に憎まれる芝居をしなきゃいけない。憎まれながら斬られて、観ている人の溜飲を下げさせるのが斬られ役の仕事です。『水戸黄門』でご一緒したときに、里見浩太朗さんが、「最近は悪人の芝居をできる人が少なくなってきた」とおっしゃっていました。昔はそれこそ、「誰かこいつを成敗してくれ!」というような芝居をする人がゴロゴロいたと。そういう人が替えの効かない役者なんだと思います。