俳優として、男として、父として……
寺島進の半生を振り返りながら、
その生き様、哲学に迫る連載、第二回。
撮影/伊東隆輔
取材・文/大道絵里子
俳優として、男として、父として……
寺島進の半生を振り返りながら、
その生き様、哲学に迫る連載、第二回。
高校を卒業したあとは、成城にある三船芸術学院っていう三船プロの俳優養成所に入った。俺、勉強は嫌いだったけど、図工と体育だけは成績が良かったんだよ。中学のときは江東区の美化啓発ポスターで江東区長賞をもらったこともあるくらい。だからデザインの仕事に進むのもいいかなって思ってたんだけど、昔から世話になってる近所の人が「進は目立ちたがり屋だから、芸能界みたいな表に出る世界が向いてるかもよ?」って言ってくれてさ。俺も自分じゃ分かんないけど、そうなのかなぁなんて思って……。俺、人を笑わすのが好きで、意外とモノマネなんかやってたから。親父じゃないけど、遠足に行くバスの中でみんなを笑わせたり、友達と一緒に出し物やったりしてたの。ピンクレディが流行ったころ、俺はミーちゃんが好きだったからミーちゃん役、小西って友達はケイちゃん役をやって、「ペッパー警部」から「SOS」、「カルメン'77」と3曲メドレーで踊ったこともあった(笑)。それはすごいウケた。「寺島~、いいぞー!」みたいな、みんなの歓声がうれしかったね。
硬派だったね、
ストイックだった。
それは今も変わらないよ。
実際に向いてたかは分からないけど、養成所時代は必死だった。基礎的な発声練習とか演劇とかアクションとかいろんなカリキュラムがあるんだけど、女には目もくれないで一生懸命やってたよ。当時は18とか19でしょ。結構モテてさ、いい寄ってくる女もいたけど「遊びに来てるわけじゃねぇから」って全部断ってデートも行かなかった。なんでかっていうと、俺、昼間はドカタやって夜は歌舞伎町で水商売をやって、必死で稼いだ金で学費を払ってたから。親父は「好きな仕事をやりな」とは言ってたけど、養成所は親の反対を押し切って自分で決めた道だった。だから、学費は自分で払おうと思ってさ。でも学費って高いのよ! 養成所は週に3日。学校がない日はほとんど働いてたね。好きな授業も嫌いな授業もあったけど、もったいないから全部に出たよ。ホント、女にうつつを抜かすような時間なんて俺にはねぇよって感じだった。必死だもん、こっちは。硬派だったね、ストイックだった。でもそれは今も変わらないよ。一番は仕事だって気持ちはずっとある。
水商売のバイトもいろいろやったな。歌舞伎町のクラブで黒服やったとき、時給はよかったけどママさんに媚びれないのがキツかった。気に入られるようにすりゃあいいんだけど、それができなくてさ。その次は王城ビルの地下にあった大箱のレディースコンパ。ドレスを着た女の子がカウンター越しのお客さんと話したりお酒作ったりする、今でいうガールズバーみたいな店で、そこのホールで働いてた。そこは俺、面接のときから男の店長に気に入られちゃってさ。面構えを見て戦力になりそうなアンチャンが来たと思ったんじゃない?時給は下がるしハードな仕事だったけど、その店は長く続いた。
歌舞伎町までは深川の実家から都営新宿線か、バイクで通ってた。交通費は出なかったけど、俺が終電で上がるときは店長がラストまでいたように俺のタイムカードを押してくれたり、いろいろとよくしてくれてね。授業がない日は夕方の5時から朝の5時まで入って……ホントよく働いてたよ。
そんな感じで過ごすうちに、少しずつ自分のやりたいことが見えてきた感じかな。まだ右も左も分からないし、勘みたいなもんだけど、俺は映像向きだなっていうのが、自分で分かったの。舞台じゃないなって。新劇の先生がきて舞台の授業を受けたりもするんだけど、そういうのはかったるくて、あんまり好きじゃなかった。
自分の体を動かして、
体を張ってなにかを
やる方が好き。
でも殺陣の授業は面白くてさ。講師として殺陣師の宇仁貫三さんと、宇仁さんのところの若い衆の人たちが教えにくるんだけど、実演で見せてくれた空手アクションとか立ち回りの姿が、もうすげえかっこよく見えてね。やっぱり、俺は「演劇論」とかじゃなくて、自分の体を動かして、体を張ってなにかをやる方が好きだなぁと思ったの。殺陣師は演者であり、裏方でもあるっていうところも面白かったし、俺もこうなりてぇと思って宇仁さんのところに弟子入り入門して、K&Uっていう剣友会に入ることになったんだよ。木刀を持った立ち回りの稽古をしたりしてると楽しくて仕方ないんだよね。やっと好きな道に行けたなって感じだった。
うちの親も最初は反対してたんだけど、養成所の卒業公演のとき、親父が近所の人を連れて見に来てくれてたの。その舞台ではいろんな殺陣や立ち回りを披露するんだけど、トリの大立ち回り、まぁいわゆる立ち回りの主役だよね。それを俺がピンを張ってやったんだ。二刀流でバッサバッサと何十人斬りして……それを見て親父はうれしかったみたいよ。俺には特に何も言わなかったけど、見終わったあと一緒に見た近所の人たちと新宿の台湾料理屋に行って、紹興酒をたくさん飲んでご機嫌だったらしい(笑)。
まぁ、俺の粘り勝ちだな。どうせ養成所なんて途中でやめるだろうって思われてたわけだから……それどころか、こんな風になるなんて思いもよらなかったと思う。
寺島進 てらじま・すすむ 東京都出身。俳優・松田優作が監督した「ア・ホーマンス」でデビュー後、北野武作品で活躍の場を広げる。映画のフィールドからテレビドラマの世界でもその顔は知られるように。
撮影/伊東隆輔 取材・文/大道絵里子