俳優として、男として、父として……
寺島進の半生を振り返りながら、
その生き様、哲学に迫る連載、第三回。
撮影/伊東隆輔
取材・文/大道絵里子
俳優として、男として、父として……
寺島進の半生を振り返りながら、
その生き様、哲学に迫る連載、第三回。
俺が入った剣友会っていうのは殺陣師の集団でさ、スターさんに斬られたり、吹き替えで屋根の上から飛び降りたりする、常に危険を伴う仕事なんだ。ちょっとしたミスで大怪我につながる世界だから、ある程度の技術を身に付けるまでは、もう、稽古、稽古、稽古の日々だった。当時、成城にあった三船プロには時代劇のオープンセットがあって、そこで毎朝9時から稽古するの。まず木刀の素振りをやって、立ち回りの稽古や空手アクション、トンボをきる練習……トンボきるって、斬られながら前にクルッと宙返りして、ケツからドーンと落ちるやつ。あとは、スタント系もしなきゃいけねぇから、マットを引いて時代劇のセットの屋根の上から落ちる練習をしたりして。そういうのを全部先輩たちに教えてもらうんだけど、殺陣のことはもちろん、あいさつの仕方から、先輩との付き合い方、酒の飲み方、すべてを学んだのが剣友会だった気がするね。バイトする時間がなくてカネもなかったけど、なんとか食えてたのは、いろんな先輩が奢ってくれてたからだった。
本番は一発OK。
どんな殺陣も、
気合いでやってた。
俺の師匠の宇仁貫三さんは『太陽にほえろ!』の殺陣もやってたんだけど、撮影の前日になると国際放映から事務所に、「明日、チンピラ5人お願いします」とか電話がかかってくるの。すると電話を受けた事務所の当番の人が白板に「チンピラ5人」って書いて、その下に誰が行くか名前を書いていくんだけど、俺、しょっちゅう事務所に詰めてたのよ。用もないのに、お茶汲みやったり、灰皿替えたりしながら。そんなとき電話があると「寺島、入れとくか?」ってなるじゃん。で、「ありがとうございます!」みたいな(笑)。そうやってよく仕事をもらってた。殺陣の技術も大事だけど、やっぱり元気でかわいげのある人間に情をかけてやりたいってのはあるんじゃない? だからいろんな現場をやったよ。火の見櫓から飛び降りたこともあったし、俺、タッパがないから女性の吹き替えとかもよくやった。『帝都物語』の原田美枝子さんの吹き替えもやったな。白馬に二人乗りして槍を持って走るシーンで。でも乗馬の二人乗りって難しいんだ。先輩と乗馬クラブに行って練習したときは馬に何度も落とされたけど、本番は一発OK。どんな殺陣も、気合いでやってた。
チンピラA、Bじゃなくて、最初に役をもらったのは『私鉄沿線97分署』ってドラマだった。『西部警察』を手掛けてる高倉英二さんって殺陣師の方が「寺島の雰囲気がいいから」って抜擢してくれてね。暴走族のリーダーの杉山って役で、事件を起こして死んじゃうんだけど、やっぱり殺陣は気合入ったなぁ~。それ以降も高倉さんがやってる十二騎会って剣友会からもよくお仕事をいただいたんだけど、それは演技がどうこうじゃなくて、俺が持って生まれたものを買ってもらってたってこと。俺自身、アクション俳優としては仕事をしたかったけど、演技がしたいとかは考えてもなかった。
演技や表現ってことを意識し始めるのは、やっぱり舞台の稽古だろうなぁ。四月館っていう劇団の舞台があって、その殺陣を先輩の二家本辰己さんがやるからって、俺も誘われたんだよね。俺はしゃべれない忍者の役で……まぁセリフをしゃべれる信用がなかったからだと思うけど、恐い顔すりゃいい役とは違う毛色の役を初めて与えてもらったわけ。で、試行錯誤してたとき、主宰の野瀬哲男さんは『探偵物語』の初代イレズミ者役の人で、松田優作さんのグループの人だった縁で、稽古場に優作さんが遊びに来たの。緊張して稽古したんだけど、終わったら俺のところに優作さんが来て「いいなぁ」って褒めてくれたんだよ。「これ以上テンション上げると臭くなって成立しないから、本番まで保って行けよ」ってアドバイスまでくれて。
カットがかかったら
俺のところに来て、
褒めてくれたんだよ。
俺、この業界に入って初めて褒められたからすげえうれしくてさ。しかも優作さん、自分が監督する映画『ア・ホーマンス』にもヤクザ役で呼んでくれたんだ。ヤクザA、B、Cの一人だったけど、組長役の工藤栄一監督と一緒に歩くシーンがあって、カットがかかったら、また俺のところに来て、「いいなぁ、いいなぁ」って褒めてくれたんだよ! 何がいいのかよく分かんないんだけど(笑)。だから、そうやって刺激を与えてくれる作品や人に出会っていくうちに、だんだんと役者の道へ進んで行きたいと思うようになったんだと思う。人生は出会いだよな。俺は本当に縁に恵まれてるんだよ。
役者ってことを意識し始めたのが23歳くらいで、初めて結構セリフのある役をもらったのが、和泉聖治監督の『親分の後妻はクリスチャン』っていう2時間ドラマだった。今じゃ暴対法であり得ないドラマだよな(笑)。親分が田中邦衛さんで、後妻が黒木瞳さんで、峰岸徹さんや安岡力也さんも出てる、コメディタッチのドラマだったと思う。俺は住み込みの若い衆役で……でも、このときの俺、クサい芝居してたよ。まだもらえる仕事は悪役ばっかりだし、悪役とはこうだっていう、雰囲気だけの芝居でやってたから。
ただ、この作品は俺にとって別の意味でも重要な作品になった。ここで出会った助監督が、しばらくしてから「寺島君、オーディションがあるよ」って声をかけてくれたんだけど……それは北野武さんが初監督をする『その男、凶暴につき』という作品のオーディションだった。
寺島進 てらじますすむ 東京都出身。俳優・松田優作が監督した「ア・ホーマンス」でデビュー後、北野武作品で活躍の場を広げる。映画のフィールドからテレビドラマの世界でもその顔は知られるように。
撮影/伊東隆輔 取材・文/大道絵里子