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寺島進

寺島進

寺島進

撮影/伊東隆輔
取材・文/大道絵里子
取材協力/ホテル日航アリビラ

俳優として、男として、父として……

寺島進の半生を振り返りながら、

その生き様、哲学に迫る新連載。

少年期・前半
 俺の一番古い記憶は、幼稚園までの道のりを、お袋と一緒に歩いてる情景。その日は雪が積もってた。長靴で雪を踏むザクザクって音が印象的で……それと足跡。長靴特有のギザギザした、タイヤでいうとジープみたいな凸凹の足跡を、並んで歩いてるお袋が振り返って見ながら「これが進の足跡なのねぇ」なんて言ったの。俺も『ああそうか、これが俺の足跡かぁ…』って。シャレじゃないけど、それが俺の足跡の始まり。

 俺は東京の下町、深川の畳屋の次男坊として生まれ育った。周りから聞くとこによると、目がパッチリしてすごくかわいい子だったらしいよ。でも、すんごい無口。多分、赤ん坊のころから高倉健さんを意識してたんだろうな(笑)。運動神経はよかったんじゃないの? でも友達を作るのはヘタだった。それは今でもそうだけどね。俺、後輩はいるけど芸能界の友達は少ない。人の偽善が見えたりすると引いちゃうんだよね。結構、疑り深いんだろうな。

電飾をつけて、

デコチャリを作って

乗ってたね(笑)。

 うちの親父は、一言でいうと"不言実行"。中学卒業してから、家業の畳屋を継いでやってきた職人だから、あんまり喋らないけど、やるときはやるっていうか……。酒は好き。俺が子供のときは昼間から日本酒飲んでたからね。でも飲むと仕事がはかどるんだよ。畳の縫い方まで早くなるの(笑)。

 昔は畳職人もいっぱいいてさ、夏休みになると江東区の畳職人の連合会で、でっかい観光バスを貸し切るんだ。家族も一緒に日帰りで木更津あたりの海に行くんだけど、みんな朝から飲み始めちゃってさ、バスガイドさんが使うマイクで好き勝手に歌い出すんだよ。カラオケなんてない時代だからアカペラだったのかなぁ。うちの親父は前の方に座ってるんだけど、俺と一緒に後ろに座ってる若い職人さんが「もう少しお酒が入ったらお父さん歌うぞ」って囁くの。そしたら案の定……オヤジ、民謡か何か習ってたらしくて、上手いんだか下手なんだか分かんないんだけど、楽しそうに歌うのよ。みんなを盛り上げてさ。子供心に『親父かっこいいじゃん』って、ちょっと誇らしい気持ちだった。

 うちには住み込みの職人さんがずっといてさ。初代はヤスオちゃん、その次はミオさん、その次はアキラくん。みんな千葉の銚子の方から中卒で働きに来てた若者で、住み込みだからご飯も一緒。俺らは茶碗だけど、若いからどんぶり飯でガンガン食ってた。俺なんかよく遊んでもらったね。ミオさんは結構ヤンチャでさ。深川の暴走族の兄ちゃんたちを束ねてたから、そういう兄ちゃんたちの溜まり場だったのよ、うちの店。小学生のころだから、みんなすごい大人に見えたなぁ。俺はそこの倅だからってことで、みんなに可愛がってもらって、いろんな英才教育を受けて育つことになった(笑)。

 子どものころはよく錦糸町にある楽天地って映画館に親父に連れて行ってもらったけど、いつも満杯でさぁ。通路に新聞紙ひいて座って見てたね。最初はゴジラシリーズが大好きで、高学年になるころには菅原文太さんの『トラック野郎』に憧れるようになった。トラック野郎のネオンピカピカのデコトラがかっこよくて、将来はトラック野郎になりてぇなぁって思ってたよ。だから自分で自転車を改装してさ、ハンドルをグワッと上にあげて、そこにピカピカ光る電飾をつけて、デコチャリを作って乗ってたね(笑)。それが6年生のころ。目立つもんだから、近所の先輩に呼び出されて脅されたりもしたけど、気にせず乗ってた。

寺島進

お袋は俺に

どうなって

欲しかったのか。

 実際に中学に入ったら、一つ上の先輩がすごい大人に見えた。オールバックにしたり、リーゼントにしたり、髪の毛のセットの仕方もかっこよくてさ。俺も早く大人になりたいと思ったもんだよ。中2のころにはサイドバックのリーゼントにして、初めて自分で白いバギーパンツを買ったの。バギーって太いズボンね。あれはかっこよかったなぁ……。ただまぁ、お袋は嫌がってた。そう、俺、先輩から中ランを何代目かで受け継いだのよ。それで張り切って、初めてズボンのオーダーメイドをしたの。砂町銀座に専門の店があってさ、俺らずん胴っていってたけど、いわゆるボンタン。それがいざ完成して、さぁ明日は気合い入れて学校行くぞと思ったら……。

寺島進

 翌日、そのズボンを履こうと思ったら細くなってんだよ! 歌であるだろ?母さんが夜なべをして手袋編んでくれた~♪って。うちは母さんが夜なべしてズボンを細くしてくれちゃった(笑)。「こんなのはいて家から出ないで!」って激怒されてさ。あれはホント頭きたね。だって初めてのオーダーメイドだよ? お袋には「勉強しなさい、勉強しなさい」ってよく言われた。「やっぱり成績が良くなきゃダメだ」って塾にもむりやり入れられたけど、ダメだよ、俺、勉強嫌いだし、やる気もねぇもん。どうせ行くなら武道系の道場に行きたかったけど、痛いことはやらせてくれなかった。もうそのころ畳屋は斜陽だったから親父は「好きな仕事をやれ」って、継いでくれとは言わなかったけど、お袋は俺にどうなって欲しかったのか……。

寺島進

寺島進 てらじま・すすむ 東京都出身。俳優・松田優作が監督した「ア・ホーマンス」でデビュー後、北野武作品で活躍の場を広げる。映画のフィールドからテレビドラマの世界でもその顔は知られるように。

撮影/伊東隆輔 取材・文/大道絵里子
取材協力/ホテル日航アリビラ