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細野晴臣

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失われかけているものの中にこそ、かけがえのないものがある。ミュージシャン・細野晴臣が、今後も「遺したいもの」や、関心を持っている「伝えたいこと」を語る連載の第13回。一つ一つの言葉から、その価値観や生き方が見えてくる。

細野晴臣

取材・文/門間雄介
(C)2019「NO SMOKING」FILM PARTNERS

時代とメロディー。

細野晴臣

フレッド・アステアの曲。

 最近、音楽からメロディーが失われているなと思って、『Daisy Holiday!』の月初めの企画「手作りデイジー」でフレッド・アステアを特集したことは前回話したよね。好きなアステアの曲はいろいろあるけど、あらためて並べてみたら、あんな選曲になったんだ。

①「The Way You Look Tonight」(映画『有頂天時代』から/詞:ドロシー・フィールズ、曲:ジェローム・カーン)
②「Cheek to Cheek」(映画『トップ・ハット』から/詞・曲:アーヴィング・バーリン)
③「Nice Work If You Can Get It」(映画『踊る騎士』から/詞:アイラ・ガーシュウィン、曲:ジョージ・ガーシュウィン)
④「Shall We Dance」⑤「They Can’t Take That Away from Me」(映画『踊らん哉』から/詞:アイラ・ガーシュウィン、曲:ジョージ・ガーシュウィン)

 アステアは1930年代に大活躍したあと、一時期は引退同様の生活を送っていた。だけどジーン・ケリーがケガをして、代わりに主演した『イースター・パレード』(1948)で再び脚光を浴びることになり、70年代には『ザッツ・エンタテインメント』にも出演した。

 ミュージカル映画の大スターだよね。でもアステアは映画以上に音楽がいいんだ。アーヴィング・バーリン、ジョージ・ガーシュウィン、それにコール・ポーターといった“ティン・パン・アレー”の作曲家たちが本当に素晴らしい曲を作っていたから。

 ティン・パン・アレーといっても、僕たちのほうじゃなくて本物のほうだね(笑)。どれも名曲だから、その後スタンダードナンバーになったけど、やっぱり原点のアステアがいちばんだと思う。

 のちの人たちがジャズっぽくしたり、メロディーを崩したりして歌う一方、彼は原型に忠実に歌っていた。だから彼の歌を聴くと真髄が生き生きと伝わってくるんだ。起伏のある難しいメロディーをそのとおりに歌えたということは、優れた音感があったんだろうね。

1930年代のハリウッドの音楽。

 いいメロディーはいっぱいあるけど、飛びぬけていいと思うものはなぜだか1930年代に多い。それは時代背景が密接に関係しているような気がするんだ。

 大恐慌が1929年に起きたあと、おそらく当時の作曲家たちは緊迫した使命感みたいなものを持ってたんだと思う。それでプラスアルファの才能が開花しちゃったっていうのかな。

 バーリン、ガーシュウィン、ポーター……みんな素晴らしいよね。彼らの曲は当時から日本でも人気があって、僕の両親の世代は彼らの音楽が流れる映画をよく観ていた。クリスマスになるとバーリンが作曲した「White Christmas」が日本中で流れてね。

 すごくポピュラーだったし、僕も小さいころから聴き馴染みがあった。4、5歳のころから、自然に吸収していた気がする。家には軍歌とか浪花節とか、いろいろなSP盤があったけど、自分で好んで聴くのはやっぱり洋楽、しかもほとんどが映画の音楽だった。

 アステアはなかったけど、母が買ったような乙女心のある音楽、例えばディアナ・ダービンの「It’s Raining Sunbeams」なんかが大好きだったよ。それが“三つ子の魂”っていうくらいで、いまもずっと影響している。逆にいえば、そこから逃れられないんだ。

 その後、狭山アメリカ村で暮らしていた1970年代初めに興味がますます湧いてきて、ハリウッドの古い音楽をレコードで集めだした。そしてその背景を調べるうちに、バーリンやガーシュウィンたちが集まる音楽出版街があって、そこがティン・パン・アレーと呼ばれていたことを初めて知った。そこら中でブリキ鍋(tin pan)を叩くような、賑やかな音がしていたとか、なんて映画的な光景だろうと思って憧れたな。

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 だから自分の好きなメロディーというと、まずはその時代、1930年代のハリウッドの音楽が思い浮かぶ。狭山にいたころに買った映画音楽のレコード、『Hooray for Hollywood』に収録されていた「I Used to Be Color Blind」(詞・曲:アーヴィング・バーリン)も大好きで、いまだにカバーしたい曲のひとつだよ。

 その一方で、子どものころはやっぱり童謡や小学唱歌に慣れ親しんだ。そういった音楽はアイルランド民謡やスコットランド民謡がもとになっていたりするんだけど、その影響も考えてみればすごく大きい。あらためていま聴きなおしたいと思ってるところなんだ。

 それでさっそく山田耕筰の曲を聴きだしたら、どれも全部よくてね。「ペチカ」とか「からたちの花」とか、ヨーロッパの影響が強いのに、なぜか日本の歌に聞こえる。独特なんだな。その素晴らしさを再確認してるところだよ。加山雄三さんも山田耕筰が好きで、ペンネームの弾厚作は團伊玖磨と山田耕筰から来てるんでしょう? 

日本の親しみ深い音楽。

 唱歌を聴きなおすようになったのは、わりと最近のこと。きっかけは友だちと話していて、その人が小さいころ、お母さんがいつも台所で料理を作りながら歌っていた歌があると言ったんだ。〈朝はどこから 来るかしら/あの空越えて 雲越えて〉って歌う「朝はどこから」(詞:森まさる、曲:橋本国彦)という曲でね。

 それはメロディーもいいし歌詞もいい。すごく素直な曲で、当時の日本人のあり方を表しているなと。それで心が動いて、日本の唱歌を聴きなおすうちに、そういえば「ペチカ」っていいメロディーだったなということを思い出したんだ。

 僕たちが小さかったころは“ラジオ歌謡”と言って、音楽を聴く媒体は主にラジオだった。SP盤の生産が縮小して、安価な電気蓄音機が普及していく時代と重なると思うけど、そういった音楽がラジオから流れてきて、朝は聴きながら起きていたんだね。だから日本の好きなメロディーというと、その辺の親しみ深い音楽になるのかもしれない。

 日本の好きなメロディーってほかになんだろう? このあいだ『Daisy Holiday!』に中沢新一くんがゲストで来てくれたときは、島倉千代子の「からたち日記」(詞:西沢爽、曲:遠藤実)がいいよねっていう話で盛り上がったな。

 もうちょっとさかのぼると、戦前に中野忠晴とコロムビアリズムボーイズというグループがいて、そのSP盤が家にあったんだよね。そのなかでも「山の人気者」という曲のB面「今夜逢ってね」(訳詞:本牧二郎、編曲:杉田良造)は、ディアナ・ダービンの曲と同じくらい大好きだった。たぶん原曲はヨーロッパの古い歌だと思うけどね。

 実は中野忠晴はずっと気になっている人なんだ。戦後には作曲家として、三橋美智也の「達者でナ」(詞:横井弘)を作ったりしている。そういった曲もアイルランド民謡なんかと一緒に無意識のうちに沁みついてるな。アイルランド民謡なら「Love’s old sweet song」が、ひょっとするといちばん好きな曲かもしれないと思うくらい大好きだね。

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メロディーをたどる。

 いいメロディーというのは、つまり生まれたときから吸収してきた、日本の空気のなかにあるってことだよね。それをさらにたどっていくと、日本にも強い影響があった18世紀ヨーロッパのクラシック音楽にまで行きつく。そこにもまた素晴らしいメロディーがたくさんあるから、たどるだけでもう大変(笑)。

 フランツ・リストの「愛の夢」、ドヴォルザークの「ユーモレスク」、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」……すごくポピュラーな音楽だから、自分にとってはもはやポップスなんだ。

 自分の曲だけど、松本隆が詞を書いて、僕が作曲した歌謡曲のなかにも、もう一回見直してみたい曲があるな。それをアステアみたいに素直に歌ってみたら、いまどうなるんだろう? それは僕が歌わなくてもいいから、遺言で誰かに託してもいいけど(笑)、発表するしないにかかわらず、録ってみたいと思う曲がいまはたくさんある。たくさんありすぎて困るくらいだよ。

細野晴臣 ほそのはるおみ 音楽家。1947年生まれ、東京都出身。’69年にエイプリル・フールでデビュー。’70年にはっぴいえんどを結成。’73年からソロ活動を開始、同時にティン・パン・アレーとしても活動。’78年にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成。YMO散開後は、ワールドミュージック、アンビエント・ミュージックを探求、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。

取材・文/門間雄介
(C)2019「NO SMOKING」FILM PARTNERS