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白石和彌
映画監督の白石和彌が、現在手掛けている 映像作品について語る連載の第30回。
 2025年3月中旬、白石監督は東京でも有数の繁華街に仕事用の事務所を構えた。雑踏と熱気ときらめくネオン。混沌としたエネルギーに満ちたこの場所から、どんな作品が誕生するのだろうか。まずは、今の“暮らしぶり”を聞いてみた。
「とても快適で作業に集中できています。広告トラックが騒音を鳴らしながら事務所の前の道を頻繁に通るんですけど、もう慣れちゃいました(笑)。自宅からも近いですし、月に20日以上は来ていると思います。脚本を書いたり、絵コンテを作ったりする以外に、ちょっとしたスタッフとの打ち合わせもここでしています。前はスタッフルームに行っていたんですけど、今は事務所に来てもらっているので、とても楽になりましたね」
白石和彌
昼夜問わずうるさい環境には、
すっかり慣れてしまった。
 事務所には映画関連の書籍やフィギュアなども置かれている。
「自宅や倉庫にあふれていた資料や献本された本がほとんどで、これでも極一部です。フィギュアは絵コンテを書く際に動きを確認するためのもので、僕の趣味じゃないです(笑)。趣味のアイテムはチェロが唯一かもしれません。昼夜問わずめちゃくちゃうるさい環境なので、楽器を鳴らしても近隣からは何も言われないんです(笑)」
 仕事と趣味に集中できる場所を手に入れた白石監督だが、こんな憂いもある。
「いろんな人に事務所の場所がバレはじめていて。まぁ別にいいんですけどね。この前も『極悪女王』に出演した唐田えりかさんやえびちゃん(マリーマリー)たちとご飯を食べに行ったんですけど、帰りにみんなで事務所に寄って、飲んだんです。実は10月から撮影がはじまるので、しばらく事務所を留守にするんですけど、彼女たちが「その間、鍵を貸してください。ここ集まるのにちょうどいいんで!」って。いやいや、そのために事務所を借りたんじゃないから(笑)」
 『極悪女王』といえば、7月には第51回放送文化基金賞のドラマ部門で奨励賞を受賞。白石監督は出演者のゆりやんレトリィバァや剛力彩芽らと共に、都内のホテルで行われた贈呈式に出席した。
「歴史のある賞ですし、ありがたいことですけど、『極悪女王』に関しては本当に俳優やスタッフの力だと思っているので、自分が受賞したという感覚はないですね」
 壇上ではおなじみのシーンが繰り広げられる。白石監督はプロレスラーさながらに、ゆりやんのフォーク攻撃を受け、会場を盛り上げていた。
「登壇する前、ゆりやんに「あれ、今日は竹刀を持ってきてないの?」と聞いたら、「持ってきてないです。ちょっとフォーク探してきます」って(笑)。ホテルならフォークは絶対にあるはずだから、借りていました。ゆりやんの今の拠点はアメリカなので、本当は贈呈式にも来られないはずだったんですが、わざわざこのために来日したそうです。僕も7月に撮影を予定していたんですけど、それがなくなってしまって、今回の贈呈式に出席できることになったんです」
白石和彌
企画を断念することになっても、
マイナスなことなんて何もない。
 取材にロケハンに脚本にと、かねてから準備を進めていた作品だったが、さまざまな事情で撮影を断念することになったという。
「スタッフも集めはじめていたんですが、ちょっと難しくなってしまって。サイズダウンしてでもやろうという話もあったんですけど、日本の映画スタッフって「自分のギャラを削ってもいいので、やりましょう!」と言うんですよ。それは僕としてもまったく本意じゃないので、延期なのか中止なのかはこれから考えるとして、ひとまず一回撤退することに決めました。ただ、不思議なもので、今年の釜山国際映画祭の企画マーケットにこの企画を出していたんですけど、撤退を決めた後にコンペに通ったことが判明したんです」
 企画マーケットとは、映画の制作者が自身の企画を関係者にプレゼンする場のこと。今年の釜山国際映画祭は、9月17日から26日まで開催される。
「タイミング的に僕も釜山に行けそうなので、ちょっとディストリビューターやバイヤーとかと話をしてこようと思っています。もし、興味を示すところがあれば、来年にでも再始動するかもしれません。可能性はなくもない、といったところですね」
 そもそも映画の企画が成立しないのは、日常茶飯事だと白石監督は言う。
「いちいち気にしていたらメンタルがもたないですし、断念することになっても収穫はあると思うんです。これまでやったことのない分野でも方法論みたいなものがわかりましたし、準備する過程で知り合いもたくさんできた。別にマイナスなことなんて何もない。それに、日本はまだ映画の企画が成立しやすいほうだと思いますよ。ハリウッドなんて、トップが変わった瞬間に、それまで進めていた企画が全部終了なんてことがザラにあるので」
 白石監督はすでに次の企画に取り掛かっており、前述の通り、10月には長期の撮影がスタート。さらに来年の撮影も決定している。現場ごとに撮影チームをまとめなければならないが、懸念点などはないのだろうか。
「これまで美術をずっとお願いしていた今村力さんがご高齢ということもあって仕事をするのが難しくなってきたので、そういう意味でちゃんと決まった固定のチームというのは、もうないんです。経験が浅い頃は知り合いのカメラマンじゃないと困るみたいなのはあったんですけど、今はもう、話し合えればだいたい大丈夫みたいな感じになっちゃっているので。その緊張感のなさは良くないのかもしれないけど。でも、初めて組むスタッフでも、どういうやり方が最適なのか、どうしたらおもしろくなるのか、ちゃんと考えてくれますし、もちろん作品を成立させるためにがんばってもくれるだろうし、この一連の撮影も楽しみですよ」