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白石和彌
映画監督の白石和彌が、現在手掛けている
映像作品について語る連載の第26回。
 これまで着々と準備を進めてきた自主映画の撮影は、2024年11月末から12月頭までの延べ11日間に及んだ。脚本は白石監督自身による書き下ろし。監督とプロデューサーを兼任しながら、怒涛の日々を駆け抜けた。
「自分で予算の管理から日々のスケジュールの組み立てに、各所への連絡までやったので、さすがに疲れました。撮影の日はみんなよりも早く起きて昼ご飯用の味噌汁を作ったりとか。でも、そういうことをやりたくて自主映画を作ったみたいなところはあるので、楽しかったです。スタッフは総勢17、8名くらいですね。役者の人数もそれなりにいたし、結局は普通の映画と同じくらいの規模になってしまって。当初はもっと小規模でゲリラ的にやるつもりだったんです。まだまだ若松孝二にはなれないと思いました、本当に」
白石和彌
今、何を観せられているんだ?
という感覚になる映画にしたい。
 一番苦労したのは、意外にも保険関係だった。
「撮影の規模が大きくなるにしたがって、仮に重篤な事故が起きたときに自分だけじゃ金銭的にも責任を負いきれないと思って、撮影保険に入っておこうと思ったんです。それがクランクインの直前で。いろいろ人に聞いたり、調べたりしたんですけど、個人で撮影保険に入った前例がないと保険会社に言われてしまいました。でも、インディペンデントの映画とか、個人で映画を作る事例なんていくらでもあるじゃないですか。そんなことを保険会社の人とさんざん話して、なんとか目処がついたんですけど、今度はいざ保険に入るにしても、スタッフ全員の生年月日や住所などを集めなくちゃならなくて。撮影前にそうした手続きに忙殺されました。良い経験になりましたけど」
 映画の公開日や情報解禁日などは未定。撮影を終えた今、編集前のラッシュの段階で確かな手応えを感じているという。
「35ミリフィルムで撮ったので映像もいいですし、役者もスタッフもみんなが楽しんで映画を作った感じが画面にも出ています。最終的にどんな仕上がりになるのかはまだわからないですけど、ちょっと変わった個性的な映画になればいいなと思っていて、その辺も意図して脚本を書いています。観た人が“自分は今、何を観せられているんだ?”という感覚になる映画にしたいですね(笑)」
 11月22日には白石監督の『十一人の賊軍』と、安田淳一監督の『侍タイムスリッパー』の公開を記念した両監督によるトークショーが開催された。
「面白い人でしたよ、安田監督。僕が自主映画を作っているのもあってシンパシーを感じました。でも、本当にクレバーな監督で、トークショーの後も一緒に飲んでいろいろ話したんですけど、『侍タイムスリッパー』はヒットさせるべくして、させている感じがあったんですよ。『カメラを止めるな!』もそうですけど、日本人は泣けて笑える映画が好きですし、安田監督も“寅さん”が好きだとおっしゃっていて。僕はもう方向性が真逆なので、自分にはああいう映画は撮れないなと改めて思いました」
白石和彌
難易度の高い仕事に
なりそうな予感がしている。
 また、12月末には歴史・時代劇をテーマにした京都ヒストリカ国際映画祭にも参加。昨年は『碁盤斬り』と『十一人の賊軍』という2本の時代劇が公開された年だけあり、感慨もひとしおだった。
「参加は今回が2回目だったんですけど、数年前に初めて呼んでいただいたときに“時代劇をやりたい”と言っていたのを懐かしく思い出しました。ただ、参加した日はちょうど自主映画がクランクアップした翌日で、ほぼ寝てなかったので、もうヘトヘトで。しかもトークショーやYouTubeの撮影で3本分はしゃべったので、最後のほうは疲れ果てていました(笑)」
 自主映画の仕上げをしつつも、2025年は早くも次の作品に向けて動き出している。
「時代劇もいくつか企画しているものがあって、話を聞きに行ったりとか、取材を重ねているところです。あとは時代劇とは別に、今年の夏の撮影に向けて大急ぎで企画を詰めているものもあります。取材をしながら並行してプロットも作っていて、今はキャスティングをどうするかなと考えているところです。ある実話をベースにした映画なんですけど、裁判の傍聴にも行く予定で。いろんな意味で難易度の高い仕事になりそうな予感がしています。毎回そんな感じですけど(笑)」
 50歳を迎えて、この先、映画監督としてどのような道を進むのだろうか。
「昨年末に囲碁の名人戦にご招待いただいて、『碁盤斬り』でもご一緒した脚本家の加藤正人さんと見に行ったんですね。その帰り道に加藤さんと飲んだんですけど、僕が“40代が一番良い状態で映画を撮れる年代だと思うんですよ”と言ったら、加藤さんは“白石くん、何言ってるの? 50代だよ”と言うんです。“特に白石くんはこれからの10年じゃないかな”みたいなことをおっしゃっていて、40代で働きまくったのに、これがもう10年続くのかと思って、正直どんよりしました(笑)。でも、そういう意味ではどういう映画になるかはさておき、ここで自主映画を撮れたのは良かったと思っていて。いろいろなものがデトックスできましたし、映画づくりの初心も取り戻せました。50代のいいスタートを切れたという感覚がすごくあります。それに、映画監督なんて、いつかはオファーがなくなるものなんですよ。いざ仕事がなくなっても、自分で映画を作ろうと思えば作れると確認できたというか、来たるべきときのために爪を研いでおけたのも良かったと思っています」