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杉野 監督は子どもの頃から映画が好きだったんですか?
天野 いえ、大学3年生の時にある転機が訪れるんですけど、実はそれまでほとんど映画を見ていなかったんです。『スタンド・バイ・ミー』や『タイタニック』などの有名な映画やジブリ作品を見たことがあるくらいで。
杉野 学生時代は何をされていたんですか?
天野 中高はバスケや器械体操に熱中していて、大学ではどういうわけかハンググライダーをやっていました(笑)。愛知だったので、岐阜の山に飛びに行って。いまは怖くてできないですけど。
杉野 もしかしたら、映画監督の中でハンググライダーに乗っていた人は初めてかもしれません(笑)。そこから大学3年生の時に何があったんですか?
天野 短い動画作品を作る授業があったんです。大学の機材を借りて、撮影も編集も自分でやるんですけど、そこで映像を作る面白さに目覚めました。ちょうど同時期に、大好きなバンドのくるりが音楽を担当した『ジョゼと虎と魚たち』と『リアリズムの宿』をたまたま見ました。

天野 それが、時代劇以外の邦画を見たおそらく初めての経験で。こんな身近な場所で映画って撮れるんだって気づいたんです。それまでは映画って、巨大客船が沈んだり宇宙人と戦ったりするものだと勝手に思い込んでいたので(笑)。
杉野 そこから実際に映画を撮り始めるまでが大変な気もします。
天野 何となく映画をやってみたいなっていう状態のまま、大学4年生の時に中国に留学したんです。中国語などを勉強したんですけど、留学生は意外と暇で。ハリウッド映画はもちろんですけど、日本、韓国、中国の映画をたくさん見ました。それで、ますます映画を撮りたいという思いが強くなり、帰国した大学5年目の後半から映画研究会に入ったんです。
杉野 そこから、いよいよ映画作りが始まっていくんですね。
天野 ずいぶん遅い時期に入ってきたなみたいな感じではありましたけど(笑)。卒業までの半年間で、他の人の映画に出たりしながら、自分でも友達と脚本を書いて短編を2本撮りました。
杉野 映研の機材を使って撮影したんですか?

天野 8mmで撮っている人もいたんですけど、初心者の私にはハードルが高くて。普通のデジタルビデオを借りて撮った作品を映研の上映会でかけてもらったりしました。
杉野 大学を卒業して、すぐに映画の道へ?
天野 映画をちゃんと勉強したいと思ったんですが、新卒で就職するチャンスも大事だなとも思っていて。卒業後はリクルートに就職しました。上京して東京本社で働きながら映画学校に通えたらいいなと目論んでいたんです。でも、浜松で週刊誌の営業に配属されて(笑)、チラシを持って田んぼの道を自転車で走り回る日々が続きました。浜松で1年半働いた後、希望を出していたこともあって、東京の編集部に異動することができたんです。ただ、そこでも毎日仕事に追われてしまって。念願だった東京に来たけど、映画学校に通う余裕はなかったです。

杉野 働きながらも映画への思いは変わらなかったですか?
天野 仕事自体は面白かったですし、やりがいもあったんですけど、やっぱり映画をやりたくて。社会人3年目の時に、俳優・映画監督養成スクールのENBUゼミナールに行きました。授業が週に2、3回ぐらいだったので、これなら働きながらでも無理なく通うことができるかなと。
杉野 そこで映画への熱が高まっていったんですね。
天野 俳優コースと監督コースがあって、映画監督の今泉力哉さんもENBUの事務局で働きながら自主映画を撮ったりしていて、出たい人も撮りたい人もたくさんいたんです。脚本を書いて、友達同士で手伝ったり、出演したり。とても楽しかったです。

天野千尋 あまのちひろ 映画監督、脚本家。1982年生まれ、愛知県出身。5年の会社勤務を経て、映画制作を開始。長編映画『ミセス・ノイズィ』はニューヨーク・ジャパンカッツで観客賞受賞、日本映画批評家大賞脚本賞受賞。脚本家としてアニメ『紙兎ロペ』やNetflixドラマ『ヒヤマケンタロウの妊娠』などにも参加。

杉野 ENBUの卒業後は何を?
天野 会社の夏休みを利用して撮った『賽ヲナゲロ』がぴあフィルムフェスティバルに入選しました。次の作品『チョッキン堪忍袋』も評価していただいたこともあって、会社を辞めて映画作りに本腰を入れました。でも、現実はそんなに甘くなかったです。映像を作る楽しさから入ったので、作家として何を撮るかということを全く考えていなくて。何となく映画を続ける環境にはなっていたんですが、仕事には全然つながりませんでした。
杉野 でも退職して退路は絶っていたんですよね。

天野 慎重派なので数年は暮らせるようにコツコツ貯金をしていたんです。ある時、吉本興業が沖縄国際映画祭で上映する作品の監督に選んでもらって。それがお金をもらって撮った初めての作品になりました。その後も短編や長編を何本か撮る機会がありましたけど、なかなか次につながらない。その中で妊娠と出産を経験したんですけど、知り合いの女性プロデューサーから「もう映画監督として復帰できないかも」といったニュアンスのことを言われて。最初は意味がわからなかったんですが、実際に誰からも声がかからなくなりました。結局、私は代替可能というか、“若い女性監督”としての需要で仕事をしていたことに気づかせてもらったんです。作家としての軸があれば、また違ったのかなあと。だから、また撮る機会があったら自分のやりたいことをとことん考えようと思いました。

杉野 剛 すぎのつよし キャスティングディレクター。黒澤明監督に師事し、『乱』『夢』『八月の狂詩曲』『まあだだよ』で助監督を務める。その後、キャスティングに転向。近年では『ゴジラ-1.0』『花腐し』『怪物の木こり』に参加。

杉野 そこから『ミセス・ノイズィ』につながっていくんですね。完成までにはどれくらいかかりましたか?
天野 資金集めに2年。構想から公開までだと5年以上です。2018年に撮影して、2019年の東京国際映画祭で上映されましたけど、コロナの影響で公開は2020年になりました。
杉野 公開された後、反響も大きかったと思いますが。
天野 いろいろな企画で声をかけていただける機会は増えましたが、まずは自分の軸をしっかりさせることが大事かなと。いま杉野さんとご一緒している作品もそうですけど、人を通して社会が見えてくるような映画を作っていきたいという思いが強いです。

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