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杉野 今までさまざまな映画監督とご一緒させていただきましたが、生まれがブラジルのリオデジャネイロというのは、映画界広しといえども内田監督しかいないと思います。
内田 そこだけは自信がありますね。
杉野 当時のリオはどういう街でしたか?
内田 華やかなコパカバーナビーチのすぐ近くに、10歳くらいの子供が銃で人を殺している『シティ・オブ・ゴッド』の世界があって、そういう光と影みたいなものは強く印象に残っていますね。僕は駐在員の子供だったので裕福な側にいるわけですけど、親の方針で現地の公立校に通っていたので、アッパークラスと貧困層の両方に友達がいるわけです。貧しい子の家庭は家庭内暴力とかも当たり前で、裕福な子はとても恵まれていて、この差ってなんだろうとは子供心に思っていました。
杉野 タフな経験をされていますね。そこから11歳のときに日本へ戻ってこられるわけですけど、日本の学校には馴染めましたか?

内田 型通りちゃんといじめに遭いました(笑)。親は向こうに駐在していたので九州の祖母に育てられたんですけど、学校には行きたくないから、もらったお小遣いで映画館に入り浸っていましたね。娯楽映画全盛の頃でしたし、映画の世界に逃避するのが日常でした。
杉野 そこが原点なんですね。でも小学生だと映画監督になりたいとまでは思わなかった?
内田 いや、当時からめちゃくちゃ思ってました。雑誌のロードショーやスクリーンを読んで、普通は役者の写真に目が行きますけど、僕はスピルバーグとかジョージ・ルーカスがカメラの横で何かしている姿にすごく憧れて。映画監督の定義はよくわかってなかったですけど。
杉野 こういう人たちになりたいな、と。
内田 ただ、映画監督になる方法がずっとわからなくて。中学高校は映研もないし、映画好きの友達もいませんでしたから。20歳過ぎてから行動に移そうと思って“北野武の現場スタッフ募集”というアルバイトに応募したんです。北野監督の映画が大好きだったので。でも行ってみたら、映画じゃなくて『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のスタッフだったんです(笑)。

杉野 バラエティでしたか。
内田 よくわからないまま1年ぐらいADをやりました。ハードな現場で、同期が50人くらいいたんですけど1ヵ月で3人になりました。それが22歳のときかな。その後は3年くらい外国をぶらぶらして、特に目的もなくニューヨークに住んだりして。
杉野 監督は週刊プレイボーイの記者もされていましたけど、それは帰国されてから?
内田 たまたま知り合った副編集長に声をかけられたんです。文章を書くのは好きだったので、軽い気持ちで編集部に行ってみたんですけど、楽しすぎて10年もいてしまいました。

杉野 どういうページを担当されていたんですか?
内田 インタビューページですね。当時は出版が上り調子の時代でしたから、好きなことがやれたんです。首相でも役者でも誰にでも会えた。亡くなってしまいましたけど、カメラマンの篠田昇さんにも普通に取材して。雑誌的な需要はないんですけど、そういう多様性がクリエティブにつながるというのは、すごく学びましたね。
杉野 映画の世界に行きたいという思いはあったんですか?

内田英治 うちだえいじ 映画監督。1971年生まれ、ブラジル・リオデジャネイロ出身。近年はNETFLIX『全裸監督』の脚本・監督を手がけ、『ミッドナイトスワン』が日本アカデミー賞の最優秀作品賞をはじめ8部門を受賞。オリジナル配信作品『雨に叫べば』が12月16日よりAmazon プライムビデオにて配信開始。最新監督作の『異動辞令は音楽隊!』が2022年夏に公開予定。

内田 ありました。僕、会う人全てに「本当は映画がやりたい」ってずっと言っていたんですよ。言い続けていたら知り合いの知り合いが脚本家を探しているという話を聞いて、それが後に『半沢直樹』や『下町ロケット』を作るTBSの福澤克雄さんだったんです。
杉野 そうだったんですね。
内田 入稿明けとか暇なときに、脚本ばかり書いていたので、その中の1本を見てもらったら、気に入ってもらって。そこからは週プレと並行して、1~2年くらいは脚本家の仕事をしていました。めちゃくちゃ大変でしたけど。

杉野 それが30代前半くらい?
内田 そうですね。その頃、『踊る大捜査線』を撮っていた本広克行さんが制作プロダクションのROBOTで若手育成のグループを立ち上げて、そこに呼んでもらったりもしました。でも、脚本ではなく監督をやりたかったので、まず、無理やり自分の作品を1本撮ったんですよ。
杉野 脚本家を辞められて?
内田 はい。ただ、助監督を経験していないので、映画の撮り方がわからない。映画監督にも技術が必要だとそのとき初めて知りました。そこから青春映画を撮ったりして、本数を重ねるごとに、だんだん撮り方がわかってきたというか。

杉野 剛 すぎのつよし キャスティングディレクター。黒澤明監督に師事し、『乱』『夢』『八月の狂詩曲』『まあだだよ』で助監督を務める。その後、キャスティングに転向。近年では『土竜の唄FINAL』『異動辞令は音楽隊!』に参加。

杉野 内田監督の作品は海外の映画祭にもよく出品されていますね。
内田 意外と世間に知られているのはそのあたりですよね。
杉野 たしかに、青春映画のイメージはないかもしれません。
内田 撮った映画がお蔵入りになったりもして、「もう好きなことをやろう」と玉砕覚悟で500万円くらいの映画を撮っていたら、映画祭に呼ばれるようになったんです。その頃に、好きなことをやったほうがビジネスにもつながるのだと気づきました。
杉野 『全裸監督』や『ミッドナイトスワン』などは大ヒットしましたからね。先日、配信作品の『雨に叫べば』も発表されましたし、2022年にはご一緒させていただいた『異動辞令は音楽隊!』の公開も控えています。その次の作品も決まっているんですか?
内田 まだ発表前ですけど、決まっています。よく「オリジナルしかやりませんよね」と言われるんですけど、全然そんなことはないので2022年はそのイメージを払拭するものを撮りたいと思います。

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