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杉野 李監督は日本大学芸術学部の出身なんですね。
 はい。でも進学先を日芸にしたことにそれほど大きな意味はなかったんです。実は僕、高校に5年通っているんですよ。
杉野 5年も? どんな高校生だったんですか?
 大阪にあるそこそこの進学校だったんですけど、あまり勉強をしていなくて……。高校1年生を3回やりました(笑)。みんなより2年遅れて3年生になってもやりたいことが何も見つからなかったんです。なんか漠然と過ごしていましたね。
杉野 卒業後のことは考えていなかったんですか?
 何とかなるだろうという感じのまま、高3の時に友達に誘われて当時ブームだったコピーライターの養成講座へ通ったんです。そこの課題で一等賞を取ってしまい、周りの大人から“東京の大学に行け”と言われました。そういう選択肢もあるのかと気づいたのが高3の秋で、国語と英語の2教科で受けられる東京の大学はないかなと探していたら日芸が出てきたんです。

杉野 日芸に入られて、そこから映画の勉強を始めたんですか?
 実はそれまで映画自体見ることがほとんどなかったですし、撮りたいという思いもなかったんです。そもそも文芸学科でしたし。映像の仕事がしたかったわけではないんです。ただ、大学のOBの先輩がドキュメンタリー番組を作っている小さな制作会社にいて、その人から世界旅行をするから自分の代わりにバイトしてくれと言われて。その会社ではTBSの『JNNニュースデスク』内で放送するミニ特集を作っていて、たまたま自分が出した企画が採用されたんです。僕は未経験者ですし、畑違いのカメラマンと組まされたこともあり、もちろん上手く撮れなかったんですけど、ほかのカメラマンが助けてくれて、追撮を重ねながら何とか作ることができました。出来はともかくとして、一応大学4年生の時にディレクターデビューしたことになります。その後も失敗ばかりでしたけど、いい経験になりました。
杉野 バラエティに携わるようになったのはいつ頃ですか?

 ディレクターデビューした頃にお世話になった放送作家さんからバラエティ番組を作っている会社を紹介していただいたんです。そこで『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』のアメリカロケを担当した時に、粗削りだけど面白いと言ってくださった方がいて。24、25歳ぐらいからバラエティを中心にいろいろな番組を作る機会に恵まれました。バブルは終わっていたけど、まだ景気が良くて、僕も若かったからイケイケ状態で(笑)。その頃、『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』に携わった縁で、大手プロダクションのMさんと出会うんです。
杉野 Mさんとの出会いが大きかった?

 はい。トラブルが起きたときに、いつも仲裁に入ってくれたのがMさんだったんです。「李くんの言い分が正しい」と守ってくれました。本当にありがたかったです。
杉野 作り手としてうれしいですよね。
 お酒の飲み方や遊び方も教わりました。Mさんから「李くんが言うことって映画監督みたいだな。俺にもう少し力があったら映画を撮らせてあげられるんだけどなぁ」と言っていただいて。その時に、この人のために映画を撮ろうと思ったんです。

李 闘士男 りとしお 映画監督。1964年生まれ、大阪府出身。2004年に『お父さんのバックドロップ』で映画監督デビュー。主な作品に『デトロイト・メタル・シティ』『神様はバリにいる』『私はいったい、何と闘っているのか』など。短編映画制作プロジェクト「MIRRORLIAR FILMS(ミラーライアーフィルムズ)」の一遍として『ママ イン ザ ミラー』が公開中。

杉野 監督は映画を撮る前にドラマを手掛けていますよね。
 付き合いのある局の人に映画を撮りたいと言ったら、まずはドラマを撮りなさいと。それもそうだなと思っていたところに、深夜ドラマ『美少女H』の話をいただいたんです。でも、ドラマのことは分からないから、一瞬しか撮れないイブニングシーンを長く設定したり、めちゃくちゃで(笑)。それでもフジテレビの広報局長だったYさんがこんなドラマ見たことがないと喜んでくれて。そこからドラマを撮るようになり、『お父さんのバックドロップ』につながるんです。

杉野 バラエティに戻りたいと思ったことはなかったですか?
 戻りたいというよりは、ドラマを撮った時にやりきった感じがしなかったんですね。人間が何かを身につけていく時って、誰かの真似から始まるものなんですけど、僕の場合は師匠もいないですし、ありがたいことに常にチャンスを与えられてきたんです。いろいろな失敗をしながら身につけていったところがあるので、自分のやり方が正解なのかどうかが分からない。自分にも撮れるという思いと、外側だけで芯の部分は理解していないのかもしれないという思いがありました。
杉野 ここまでお話をお聞きして、李監督が映画を撮るまでには多くの人と運命的な出会いがあったんだなと感じました。

杉野 剛 すぎのつよし キャスティングディレクター。黒澤明監督に師事し、『乱』『夢』『八月の狂詩曲』『まあだだよ』で助監督を務める。その後、キャスティングに転向。近年では『恋は光』『シン・ウルトラマン』に参加。

 高校では周りの大人から東京行きを勧められ、制作会社でのバイトもOBの先輩に誘われたから始めていますからね。バラエティ番組を作るきっかけもかわいがってくれた放送作家さんに会社を紹介していただいたからですし、その出会いがあったからこそ、Mさんとも知り合うことができた。いろいろな人たちとの出会いが映画作りにつながっているような気がしています。ホント、人生は出会いで変わりますね。それが全てかもしれません。『お父さんのバックドロップ』の時はもちろん、今でも映画が完成したら真っ先にMさんに連絡しています。自分の作品を見て喜んでもらえたらうれしいですね。

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