杉野 子どもの頃の川村監督は何に興味があったんですか?
川村 音楽とアニメにどっぷりな少年でした。音楽はYMO一択です。カセットを集めて、レコードショップにも通いました。アニメはちょっとマニアックなんですけど、『装甲騎兵ボトムズ』など一連のサンライズ系の作品にハマって。映画から着想を得ている作品も多く、勧善懲悪ではないストーリーに惹かれました。
杉野 実写映画が気になり始めたきっかけは?
川村 高校生くらいの頃、カルト的な映画監督、デヴィッド・リンチやデヴィッド・クローネンバーグに衝撃を受けてから実写映画を本格的に好きになりました。幻想と混沌が入り混じるシュールな世界観に魅了されましたが、その頃は観るだけで、自分が作るなんて考えてもみませんでした。でも大学ではもともと興味のあったアニメーションを作るサークルに入り、そこが8mmを使って真っ暗な部屋の中でちょっとずつ被写体を動かしてストップモーションアニメを作ったり、原画から起こして絵を動かしたりする割と本格的なサークルだったんです。
川村 当時はMTV全盛でアニメーションを使ったミュージックビデオなどにも興味があり、こうやって作るのかと目から鱗で。そのあたりから映像を作る面白さに気づき始めました。
杉野 大学4年生になると就職を考えますよね。
川村 はい。でもサークルの活動や自分が好きなものが職業につながるとは全く思っていなくて。父の仕事が建設業だったこともあり、身近に感じていたいわゆるゼネコンに就職しました。ところが入社すると、すぐに自分の仕事に対する意識の浅はかさに気づき、次第に押さえ込んでいた好きなものへの思いが大きくなってしまい。これを一生続けるのは無理だなと、1年も経たずに辞めてしまいました。
杉野 好きな仕事に就かなければと思ったんですね。
川村 家族にはめちゃくちゃ反対されました。「一生を棒に振るのか」と(笑)。退社後は少しでも自分が好きだったものに近づこうと、レコードショップの店員やレコード会社勤務を経て、学生時代どっぷり浸っていたMTVに20代後半で入ったんです。
杉野 MTVではどういうお仕事をされていたんですか?
川村 制作部のADからスタートしてディレクターとなり、音楽番組やフェスの撮影、国内外のアーティストのライブの演出などをやらせてもらえるようになりました。それまでの仕事で一番過酷でしたけど、楽しかったですし、自分の今のベースになるようなものをたくさん学ばせてもらいました。
杉野 ミュージックビデオも撮られていますよね。
川村 MTVで仕事をしていく中で、自分でMVを撮ってみたいという思いが強くなっていきました。でもMTVは制作会社が作ったMVを流すプラットフォーム側なので、社内では作れない環境だったんです。そこで、会社と交渉して、社内にいながらフリーになり、その後は独立しました。
杉野 そこから映画にもつながっていくんですね。
川村 ずっと映画は好きだったので、MVを手掛けるようになった同時期に仲間に協力してもらってショートフィルムを作ったり、MTVで映画を紹介する番組を始めたりもしました。デヴィッド・フィンチャーやジョナサン・グレイザーなど、MTVで注目されていたMVの監督が映画に音楽的感性を持ち込んで昇華させている作品群に影響を受けたことも大きかったと思います。ただ自分が映画を撮るなら本当に長くつき合えるストーリーに出会いたかったんです。それがオリジナルなのか原作なのかわからないまま模索していて。そんなときに、村田沙耶香さんの小説『消滅世界』に出会ったんです。これはどうしても映画にしたいと強く思いました。
川村 誠 かわむらまこと 映画監督、映像ディレクター。SONY RECORDSを経て、MTV Japanの制作部ディレクター・プロデューサーを務める。独立後は air vision networks を設立。MVやライブ、CM、ショートフィルム、映画トレーラー、ドキュメンタリー、番組などを手掛ける。2025年に村田沙耶香の原作小説を映画化した『消滅世界』が公開予定。
杉野 どんなところに魅力を感じましたか?
川村 自分が好きなのは既存の価値観を揺さぶる映画で、村田さんの小説も「正しさってなんだろう」と突き詰めてくるんです。そんなところにどうしようもなく惹かれて、村田さんに連絡させていただき「企画書を見てください」というところから始まりました。
杉野 それがいつ頃ですか?
川村 『コンビニ人間』が芥川賞を受賞した年なので2016年ですね。そんなタイミングなので映像化の提案もかなり多かったようで、実現は難しいかなという思いもあったんですけど、承諾をいただけました。
杉野 そこから進んでいったわけですね。
川村 長編映画の制作は初めてだったので、企画からお世話になっているプロデューサーに杉野さんを紹介していただき、お力をお借りしました。
杉野 コロナの前でしたから、最初にお会いしたのはかなり前ですね。
川村 本当に紆余曲折ありましたけど、今年ようやく撮影することができて、今は編集段階です。公開は2025年の秋か冬の予定です。
杉野 今回、映画を撮って何を感じましたか?
川村 思ったのは、本当に自分を突き動かすものがないと映画って始まらないし、いろいろな方の力を借りないと絶対に完成しないということでした。
杉野 剛 すぎのつよし キャスティングディレクター。黒澤明監督に師事し、『乱』『夢』『八月の狂詩曲』『まあだだよ』で助監督を務める。その後、キャスティングに転向。近年では『ガス人間』『消滅世界』に参加。
川村 出会いの中で出来上がっていくものが映画なんだと。そして、監督ができるのは信じ続けることなんだと学びました。生半可な思いではたどり着けなかったと思います。杉野さんはもちろん、長年お付き合いしてきた撮影監督や今回サポートしていただいた制作会社、フリーの方々など、自分の思いに応えてくださる方々ばかりで、すごく温かい環境で作らせてもらい、感謝しかありません。そして、作品では自分のルーツでもある音楽やアニメ的要素にも拘りつつ、映画でしか味わえない世界観を追求しました。ぜひ多くの方に観ていただきたいです。