杉野 原監督は子どもの頃、何に興味があったんですか?
原 スポーツが好きで、小学3年生くらいまではサッカー、それ以降は野球に夢中でした。中学と高校も野球漬けで。ただ、父親(原隆仁)の仕事が映画監督だということは知っていて、ときどき家族で映画館には行っていました。
杉野 映画の道に進もうと思ったのは大学からですか? 監督は日本大学芸術学部映画学科のご出身ですよね。
原 高校まで野球しかしていなかったので、全然勉強ができなかったんです。でも、日大の芸術学部だったら推薦枠で受けられるということがわかって。最初は演技コースに行こうと思ったんですけど、父から「お前が俳優になれるわけないだろ」と言われて(笑)、監督コースを選択しました。
杉野 映画の世界が進路の選択肢の中にあったんですね。
原 でも、当時は『スター・ウォーズ』や『世界の中心で、愛をさけぶ』のような、みんなが知っている話題作ぐらいしか観ていませんでした。
杉野 日芸の映画学科はきっと映画好きの人ばかりですよね。
原 はい。最初は苦労しました。なるべく言わないようにしていたんですけど、新入生歓迎会で僕の父親が映画監督だということがバレてしまって。なのに僕は映画を知らないわけです。先輩たちから「誰もが知っているような映画しか観ていない奴が映画監督になれるわけがない」みたいなことを言われて、悔しかったのを覚えています。でも、僕のことを馬鹿にしないで「あの映画、面白いよね」と共感してくれたのが藤井道人と山田久人でした。2人は同じ大学の1つ上で、映画学科の脚本コースだから、直属の先輩ではないんですけど、当時からいろいろと接点はありました。今は同じ会社に所属して映画を作っているので不思議な縁を感じます。
杉野 大学時代はどんな映画を撮っていたんですか?
原 3年生の時に実習で10分の短編を撮ったんです。家族の話だったんですけど、自分でも面白いと思ったし、教授からも高い評価をもらって。映画のことを知らなくても、ある程度の勇気と好きだという思いを込めれば、ちゃんと撮れるんだということに気づきました。
杉野 大学卒業後はすぐに映画の道へ?
原 父の助言もあり、老舗のCM制作会社に就職したんです。そこはヒット作を多く手掛けている会社で、ちゃんとプロの現場を知るのも勉強になるかなと。ただ自分には合わない仕事ばかりで、結局1年半くらいで辞めてしまいました。ちょうどその頃、藤井がフリーでワークショップを開きながら短編映画を撮っていたんです。交流は続いていたので、山田も交えて一緒にいろいろとやりはじめたのが「BABEL LABEL」のはじまりです。
杉野 映像制作集団としては錚々たるメンバーですよね。
原 そこでウェブCMなどを作りながら、コロナ前くらいからテレビドラマの監督のオファーもいただけるようになって、それが長編映画につながっていった感じです。
杉野 僕もご一緒させていただいた『帰ってきた あぶない刑事』は幅広い世代から支持されましたね。
原 ありがたいことにたくさんの方に観ていただけました。
杉野 お父様の原隆仁監督も『あぶ刑事』シリーズの監督をされていましたよね。
原 僕がテレビドラマの監督をしたうちの1本に『八月は夜のバッティングセンターで。』という仲村トオルさんが主演の作品があって、僕が原隆仁の息子だと知り、とても驚かれていました。バッティングセンターが舞台の話ですし、仲村さんと野球の話で盛り上がったりもして、すごく楽しい現場でした。
原 廣利 はらひろと 映画監督。1987年生まれ、東京都出身。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。2011年7月に広告の制作会社を退社後、BABEL LABELの映像作家として活動を開始。近年はドラマ『ウツボラ』『真夜中にハロー!』『RISKY』『八月は夜のバッティングセンターで。』などのチーフ監督を務める。ドラマ『日本ボロ宿紀行』では監督と全話の撮影監督も担当。2024年には監督作の映画『帰ってきた あぶない刑事』『朽ちないサクラ』が公開された。
杉野 良い出会いだったんですね。
原 その仲村さんが「原隆仁の息子が監督をやっている」と東映に話してくれたようで、そこからつながっていったんだと思います。
杉野 監督がご自身でスタッフを選んだのも良かったですね。
原 歴史ある大人気シリーズなので普通だったら新人監督がスタッフを選ぶなんてありえないじゃないですか。でも僕に監督の話が来たということは、今までの『あぶ刑事』を踏襲しながらも新しいファンを取り込んでいきたいんだなと感じました。であれば僕に任せてほしいとお願いしたんです。内心はドキドキでしたけど(笑)。
杉野 勝手がわかっているスタッフのほうがやりやすいですよね。
原 そうですね。作品のトーンは舘ひろしさんと柴田恭兵さんがいれば崩れることはないんです。なので、スタッフは自分の演出をやるために必要な人を集めればいい。大学時代の仲間をはじめとする自分が信頼できるスタッフに参加してもらいました。野球のピッチャーと同じように映画監督は現場で孤立しがちなので、仲間を増やしておきたかったというのもあります。
杉野 人気シリーズならではの苦労はありましたか?
原 プレッシャーはかなりありました。苦しかったですけど、そういう思いをしたからこそ、面白い作品ができたんだと思います。
杉野 剛 すぎのつよし キャスティングディレクター。黒澤明監督に師事し、『乱』『夢』『八月の狂詩曲』『まあだだよ』で助監督を務める。その後、キャスティングに転向。『もしも徳川家康が総理大臣になったら』『スオミの話をしよう』に参加。
杉野 ちなみに、お父様は『帰ってきた あぶない刑事』を観ているんですか?
原 たぶん、初号試写や完成披露試写を含めて5、6回は観ていると思います。身内びいきなんでしょうけど、「今までの『あぶ刑事』で一番面白い」と言ってくれたのはうれしかったですね。
杉野 今後はどんな作品を撮っていきたいですか?
原 軸としてエンタメであれば、ジャンルレスで撮っていきたいです。怖いのが苦手なのでホラー以外であればなんでも(笑)。より多くの人に観てもらえるように、ちゃんと作品が“当たる”監督になりたいと思っています。