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古市 ニーチェは有名な哲学者なので、入門書や解説書も数多く出ています。でも、原典を読んでいる人は意外と少ない気がします。そこで今日は、ニーチェの代表作とされる『ツァラトゥストラ』について教えてもらいたいんです。
竹田 『ツァラトゥストラ』は非常に読みにくい本です。私も20代で読んだときは、何を言ってるんだかさっぱりわからなかった。
古市 それを聞いて少し安心しました。そもそも『ツァラトゥストラ』ってどういう作品なんですか?
竹田 賢人ツァラトゥストラを主人公とした小説形式な作品です。物語は、10年間山に籠もって知恵をためたツァラトゥストラが下界におりて人々に説教する場面から始まります。しかし、人々の無理解に絶望して山に戻って、その後また町に出ていく。ただ、はっきりいうとストーリーは大して重要ではないんです。
古市 じゃあなぜ小説仕立てで書いたんでしょうか?
竹田 『聖書』に対抗するためですね。「ツァラトゥストラ」は、ゾロアスター教の教祖ゾロアスターをドイツ語で読んだものですが、内容的にはゾロアスター教とは関係ありません。キリスト教に対抗するために単に名前を借りているだけです。

古市 『ツァラトゥストラ』を読むにあたって、知っておいたほうがいいことってありますか?
竹田 ニーチェは、「清く正しく美しく」というキリスト教的な価値観を徹底的に批判したという点は押さえておいたほうがいいでしょう。ニーチェに言わせると近代哲学もキリスト教的な人間の理想像を基礎にしている。だから近代哲学にも容赦なく批判を浴びせるんです。
古市 「清く正しく美しく」生きることは、普通はいいことですよね。
竹田 そう。かつては世間の善悪の一般的基準だった。ニーチェは、私たちが当たり前に受け入れている道徳の枠組みがなぜ作られ、どこに落とし穴があるかということを鋭く指摘するわけです。私は、高校大学の頃は結構真面目な感じで生きていたので、はじめニーチェを読んだときはかなりショックを受けました。
古市 竹田さんが、哲学者としてニーチェのすごさを感じたのはどういうところですか?
竹田 まず、ヨーロッパの近代的な世界観をチャラにした点です。近代哲学では、いろんな哲学者がそれぞれの世界像を立て、これこそが真の世界と論じてきました。ところがニーチェは世界の真理なんてものは一切ないことを喝破し、近代哲学の大前提を全て間違っていると言った。これは哲学的にはとてつもなく大きな転回です。

古市 真理がないとすると、人それぞれ勝手に生きればいいことになりませんか。
竹田 たしかにニーチェの哲学は、現代では、かなり相対主義的な考え方として受け入れられました。でも、本当に革命的なところはそこではなくて、ニーチェは、近代哲学が作れなかった真善美に関する「価値の哲学」を作ろうとしたんです。
古市 ニーチェの作ろうとした価値の哲学とは、どのようなものだったんですか。
竹田 私の考えでは、自分を不遇だと思って生きている人に自分のルサンチマン(反感)に負けるなと言い、それを乗り越えてどう生きるかという考え方を提出したのが価値の哲学です。生きる上での新しい価値を作り出せ、です。『ツァラトゥストラ』に「末人」という言葉が出てきます。末人とは、憧れを持たず傲慢とルサンチマン(反感)に身を委ねて生きる人間のことです。ニーチェが言いたいのは、人間は人生が上手くいかないと、普通はほとんど末人になってしまうということです。

古市 「末人」にならないためには、どうすればいいでしょう?
竹田 末人の反対がニーチェの「超人」です。超人とは、世間的な道徳のルールや反感の中で生きる末人から抜け出て生きること。末人やルサンチマンの人間はうまくいけば傲慢になり、うまくいかないと世の中や他人、自分にも反感を抱えて生きる。ルサンチマンも一つのエロスなので、これから出るのは難しい。しかし、ルサンチマンに囚われたままだと自分の生をスポイルし、肯定できない。それを自覚して、自分の生きる価値を作ろうとする人が超人です。
古市 ニーチェは、超人のように生きることができたんですか?
竹田 そう簡単ではなかった。ただルサンチマンやニヒリズムに強烈に襲われた体験があったからこそ、超人の思想を作れたんです。

古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。『ワイドナショー』『とくダネ!』など情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『平成くん、さようなら』『誰の味方でもありません』など。

古市 ニーチェの人生は不遇だったんですか?
竹田 彼は若くして大学教授に抜擢されました。ところが処女作の『悲劇の誕生』が不評で完全にアカデミズムから干されてしまった。30代で大学を辞めてからは、友人もだんだん減っていき、本を出してもほとんど売れないという状態が続きました。
古市 ということは、かなりつらい人生だった。
竹田 そうです。ルー・ザロメという女性に出会い、これぞ運命の人と思うけれど、結局フラれてしまう。普通に見て失意と挫折の連続です。でもそういう局面でニーチェは、人間が不遇のなかに生きるとはどういうことかを考え抜いて、それを哲学した。だから本当の意味で普通の人間の生に突きあたるような哲学になった。
古市 それで超人という思想を作りあげたんですね。
竹田 ええ。さらにいうと超人の思想は「永遠回帰」という考え方とセットになっている。
古市 永遠回帰というのは、どういうことですか?
竹田 人間は、同じ人生を永遠にグルグル繰り返すだけということです。私がよく使う喩えでいえば、キリスト教的な世界像というのは、我々はバスに乗っていて、到着したらそこで楽しいピクニックになる。つまりバスの中で良いことをしていた人は、天国でピクニックができる。ところが、ニーチェの永遠回帰の世界像は、バスは途中で崖から落っこちる!(笑)。それを反復しているだけ。つまり、人生に「そのあと」の目的はない、ということです。だからこそ、バスの中で生きる意味を見つけるしかない。挫折の人生を経験したニーチェがそこまで言いきったことは、なかなかすごいと思います。

竹田青嗣 たけだせいじ 哲学者。1947年生まれ、大阪府出身。在日韓国人二世。早稲田大学政治経済学部卒業。早稲田大学名誉教授。大学院大学至然館教授。著書に『現象学入門』『人間の未来』『ハイデガー入門』『ニーチェ入門』『欲望論』など。

古市 でも、落ちるだけのバスの中で末人にならずに生きるのは大変ですね。
竹田 そうですね。ニーチェの考えでは、天国のため、神様のためもまやかしだけど、社会のために生きるというのもあやしい。
古市 自分の外に生きる目的を持たないほうがいいわけですか。
竹田 現代のような競争社会では、だいたい6分の1ぐらいの人はそこそこ成功して自分の生を肯定できる。でも多くの人はむしろ失敗感や挫折の感覚を持つ。あるいは、成功も失敗もなく、「まあ、世の中こんなものだろう」という感覚で生きる。社会のためにと考えて行動し、失敗するとよけいに自分を許容できなくなります。そういう人たちは、自分や世界に対して、どこかで唾を吐きかけている。『高慢と偏見』という小説がありましたが、末人は、高慢か反感のなかを生きているわけです。どういう生き方をすると一回きりの自分の生を肯定できるか、自分でよく考えよう、というのがニーチェの教えです。

古市 もし現代にニーチェがいたとしたら、仕事も上手くいってなくて、自分が負け組だと思っている人に対して、どういう言葉をかけるんですかね?
竹田 「末人の道は楽じゃないよ」だと思います。その時は、ルサンチマンのエロスがあっていいんですが、一回限りの自分の生が終わりに近づくにつれて、末人は救いようがなくなってくる。だんだんそれが見えてくる。ルサンチマンであがいているうちに、もうバスは崖から落ちて終わりになる。どうやってそんな自分の生を肯定できるか、考える道はあるよ、と言うでしょうね。

撮影/伊東隆輔 構成/斎藤哲也
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