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古市 アメリカではいま、黒人差別に抗議する、大規模な「BLM(ブラック・ライヴズ・マター)」運動が起こっています。それもあって今回、鴻巣さんに『風と共に去りぬ』についてお話を伺いたいと思いました。さっそくですが、『風と共に去りぬ』って、ざっくり言うとどんな話ですか。
鴻巣 まず舞台背景は、19世紀中後期、南北戦争前後のアメリカ南部ジョージア州です。ヒロインのスカーレット・オハラは、北ジョージア州内陸部にある綿花プランテーションの名家に生まれた、お金持ちでわがままなお嬢様です。小説はこのスカーレットが南北戦争直前から戦後にかけて、12年ほどの時間をたくましく生き抜く姿を描いています。
 彼女が延々と片思いをし続けるのが、好青年アシュリ・ウィルクスですが、彼はいとこのメラニー・ハミルトンと結婚してしまう。スカーレットからすると、メラニーはイエスかノーしか言えないような“のうたりん”でセンスもダサい。あんなのどこがいいのというような女と片思いの男が結婚するという点では、元祖「負け美女」の話でもあります。そこに怪紳士レット・バトラーが現れて、スカーレットに熱烈アタックする。物語はこの4人の四角関係で進んでいくんですが、『風と共に去りぬ』は、決して男女のロマンスだけが読みどころではないんですね。

古市 ただのラブストーリーじゃないとするならば、この作品の大事なポイントどういうところですか。
鴻巣 私がこの作品を読んで一番面白かったのは、女性と女性、つまりスカーレットとメラニーの関係です。メラニーって恋敵ですよね。だけどこの二人の人物造形について調べてみたところ、どうやらこの二人は、二人で一人だったということがわかったんですよ。
古市 二人で一人とは?
鴻巣 じつはスカーレット・オハラには、出版間際までパンジー・オハラという名前が付いていました。
古市 へぇ、全然雰囲気が変わりますね。
鴻巣 このパンジー・オハラには、さらに前身となるキャラクターがいます。それが『風と共に去りぬ』以前に作者のミチェルが書いた短編の主人公、パンジー・ハミルトンです。このハミルトンというのは、メラニーの旧姓と同じですよね。つまりパンジー・ハミルトンという主人公が、『風と共に去りぬ』では二人に分裂して、パンジー・オハラとメラニー・ハミルトンというキャクラターができあがっているわけです。
 もうひとつだけいうと、メラニーは作者ミッチェルさんの母親の投影でもあるんです。だからスカーレットのメラニーの物語は、ミッチェルと母との物語でもあるんですね。

古市 スカーレットとメラニーって元々は恋敵ですが、物語的には最後、わりと仲良くなりますよね。
鴻巣 そうですね。なぜかというと、メラニーはスカーレットにとって自分の否定しきれなかった部分、捨てきれなかった影の部分なので、作者としてもこの二人が完全に決裂するという展開はあまり考えられなかったんじゃないかと思います。それから、これは割と信憑性がある説なんですけど、『風と共に去りぬ』は終わりから書かれているんです。
古市 この物語自体が、ですか?
鴻巣 ええ。だから、メラニーが死んで、スカーレットがレット・バトラーと別れるという結末はすでに出来ていました。最後の場面では、お互い本当に必要としていたのはあなただったという関係にまで行き着く。最初にそこを書いているから、メラニーとスカーレットとの別れと融合に向かって物語は進んでいくんです。

古市 この本は出版されてすぐに大ヒットしたんでしたっけ。
鴻巣 そうです。出版される前から見本が出回っていて、前評判も高かった。出版した年のうちに100万部ぐらい売れたんじゃないですかね。
古市 作者のミッチェルは『風と共に去りぬ』を書いた後、小説は書いてないんですか。
鴻巣 書いてないです。映画の公開は、本が出て3、4年後ですよね。元々、本も売れてましたが、映画がモンスター級にヒットして破格の扱いだったんですよ。アカデミー賞も十部門を総なめにしました。ミッチェルはこれ一作に振り回されてしまったというのが、実のとこなんじゃないかなと思うんです。

古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『平成くん、さようなら』『誰の味方でもありません』『百の夜は跳ねて』『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』など。

古市 原作と映画はけっこう違いますか?
鴻巣 私に言わせれば、正反対と言ってもいいぐらいですね。ミッチェルも最初は、映画化を渋っていました。でも映画化の権利料が5万ドルという、当時の彼女としては天文学的な数字を提示されて、最終的には受け入れた。それでもミッチェルは、映画版の脚本作りや制作には一切関わらないと、最初の段階で決めていました。で、実際に映画の蓋を開けてみたらひどいことになっていたんです。
 まず冒頭のテロップには、失われた麗しい南部文化を讃えるような文章が出てくるんですよ。ミッチェルはそういう感傷的なことはやりたくなかったから、出だしでガーンとなる。さらにオハラ家が暮らすタラの屋敷はミッチェルがこれだけはやらないでほしいと言っていたイメージそのものでした。白亜の豪邸で、荘厳なギリシャ復興様式の円柱がいっぱい立っている。ミッチェルは息が止まりそうなほどショックです。
古市 19世紀のよき南部文化を語り継ぐような意図はまったくなかった。
鴻巣 全然ないですね。むしろ原作は南部批判の物語です。中心人物であるスカーレットも、レット・バトラーもアウトサイダーです。必要ない者は排除するという同質社会に馴染めない人を主人公に、南部の良いところもあるけど悪いところも照射するという非常に批評的な小説なんです。それが映画になると古き良き南部を懐かしみ称揚するように描かれてしまった。
古市 BLM運動のなかで、映画の配信が中止されたのもそういった描き方と関係しているんですか。
鴻巣 そうでしょうね。映画での黒人奴隷の描き方は今の時代、擁護するのがなかなか難しいと思います。

鴻巣友季子 こうのすゆきこ 翻訳家、文芸評論家。1963年生まれ、東京都出身。訳書に『風と共に去りぬ』の他、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』、ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』、J・M・クッツェー『恥辱』『イエスの学校時代』、マーガレット・アトウッド『昏き目の暗殺者』『ペネロピアド』『獄中シェイクスピア劇団』『誓願』(10月1日刊)など多数。著書に『熟成する物語たち』『全身翻訳家』『翻訳ってなんだろう? あの名作を訳してみる』など。

古市 これから原作に挑戦する場合、どうしたら読みやすくなるでしょうか。
鴻巣 ものすごく具体的なんですが、私の書いた『謎とき『風と共に去りぬ』』という手ごろな選書に大変丁寧なあらすじが載っています(笑)。古典大作の場合、一つにはあらすじを読んじゃうというのはありだと思うんですよ。難攻不落の『カラマーゾフの兄弟』や『魔の山』など、かなり長い作品に挑戦する際に、筋書を頭に入れておくというのは悪いことじゃないと思います。推理小説と違って、ネタバレがあるというものでもないので。

古市 あらすじを読んでからだと、とっつきやすくなると。
鴻巣 なりますね。ただ『風と共に去りぬ』はサプライズの連続なので、それをあらかじめ知るのが嫌な人はやめた方がいいかもしれません。あとは、これを恋愛小説と思わないで、それぞれのキャラクターの面白さを読むというのが私のオススメです。
 恋愛小説として読むと、すごく無理があるんです。スカーレットの恋愛観って、誰も納得できないような恋愛観だし、とにかく一人で突っ走ってしまう。でもそれが物語の原動力になってるからしょうがない。そこはスカーレットの勘違いで物語が動いていると割り切っていただいたほうがいい。むしろスカーレットは、ビジネスパーソンとしてはものすごく有能なんですよ。理系的な頭脳で、複雑な見積の数字も暗算でパッとお客に提示したりするし、ベンチャーの起業家としてのセンスも抜群です。だから恋愛小説というより、スカーレット・オハラのキャリアパスという側面を読んで楽しむというのもいいんじゃないでしょうか。

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