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古市 「ダ・ヴィンチの手稿」という言葉自体、聞き慣れない人もいるかもしれません。これはレオナルド・ダ・ヴィンチのメモ集みたいなものですか。
池上 そうですね。レオナルドは観察したことや着想したことを小まめにメモしていました。デッサンもあれば、文章もある。分野についても、同じ紙葉の中に数学があったり天文学があったりとバラバラです。けっこう思考が飛ぶんでしょうね。
古市 どのくらいの手稿が残ってるんですか。
池上 書き始めてから67歳で亡くなるまで、ずっとメモし続けているので、30年~40年分はありますね。当時はまだ紙が貴重なんです。紙を自由に使って物を書くこと自体、普通の人はしません。レオナルドの父親は、公証人という、いまの司法書士と弁護士を合わせたような仕事に就いていました。だから、当時としては珍しく紙がたくさんある環境で育ったんです。そういう恵まれた環境があったからこそ、メモやスケッチの習慣ができたんでしょうね。
 ただ、彼の死後、弟子のフランチェスコ・メルツィに預けられましたが、その後、3分の1くらいが散逸してしまうんですよ。

古市 全部が残っているわけじゃないんですね。
池上 ええ。研究では、だいたい6000~8000紙葉ぐらいを書いたはずなんですが、現存しているのは約4000紙葉です。
古市 4000枚だとしても膨大な量ですね。手稿の中で、池上さんが好きな箇所はどんなところですか。
池上 彼の苦労が見えるところが好きですね。レオナルドは「万能の天才」とよく言われますけど、手稿を見ると、かなりの苦労人であることがわかります。たとえば、ある紙葉にはラテン語の単語や動詞の活用がずらーっと並んでるんですよ。
 当時、知的職業に就きそうな人や聖職者、あるいは上流階級の人は、小さい頃にラテン語を学ぶんです。でも、レオナルドは婚外子だったので、大人になっても父親が就いていた公証人のギルドには入れない。だから、まっとうな初等教育を受けさせてもらえなかったんですね。それで30歳手前ぐらいになってから、自学自習でラテン語の勉強をしているんです。
古市 苦労を知らない天才型ではなかったんですね。
池上 ええ。天才は人に教えることができないじゃないですか。ただ、彼の手稿からは努力の跡がよく見えるので、そこから我々が学べることは大いにあると思ってます。

古市 努力家であったことをふまえても、レオナルドには多才なイメージがありますが、彼が一番得意だったことは何でしょうか。
池上 元々はやっぱり画家ですよ。絵を上手く描きたいという動機から、風景や物を観察し、木や花をスケッチするようになりました。おっしゃるように、彼は「ウォーモ・ウニベルサーレ(万能人)」の典型ですが、その出発点には、ミラノに軍事技師として仕官したことがあります。
古市 その頃のミラノで、画家として働くのは難しかったんですか。
池上 需要がないですね。よそから来た人間を、いきなり画家として宮廷に迎えることはまずないです。もちろん宮廷画家はいますが、すでにミラノにはデ・プレディスという画家がいましたから、彼を押しのけて入るのは難しいですよね。

古市 軍事技師からどうやって、芸術家としての頭角を現していったんですか。
池上 彼の名声がヨーロッパに少し広まったきっかけは、宮廷の演劇プロデュースなんですよ。当時は政略結婚が頻繁に行われ、結婚となると大きな祭りやイベントが開催されるんですね。そのメインイベントが演劇で、レオナルドは舞台装置、演出、衣装デザインなどを手掛けていました。彼が手掛けた演劇はかなり成功し、他の宮廷からも依頼が来るほどでした。そうやって彼は演劇のプロデューサーとして名を馳せたんです。その後、彼は彫刻家としても有名になります。

古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『誰の味方でもありません』『絶対に挫折しない日本史』『楽観論』『10分で名著』『正義の味方が苦手です』『謎とき 世界の宗教・神話』など。また、小説家としても活動しており、近著に『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』『ヒノマル』など。

古市 レオナルドが生きたルネサンス時代は、キリスト教的な価値観からある程度自由だったのか、それともまだまだキリスト教にどっぷりみたいな世界なのか、どんなふうなイメージで考えればいいですか。
池上 ルネサンスは古典復興の時代ですから、文化人たちは、キリスト教の一神教文化と多神教文化が混ざり合う中で活動していました。ただ教会側は、多神教の影響を排除したい、正しい信仰を守りたいという動きも強かったですね。
古市 レオナルドはどういうスタンスだったんでしょうか。
池上 興味深いエピソードが手稿にあります。猟師たちが山の上から貝殻の化石を見つけ、それを村に持ち帰ると、ノアの方舟で言われる大洪水の証拠が見つかったということで大騒ぎになるんですよ。
 でもレオナルドは軍事技師として、地形を把握するためによく山を登っていて、自分でもたくさん化石を見つけているんですね。しかも地層の堆積を理解していたので、化石が複数の層から別々に出てきたこともわかっている。だから「ノアの洪水がもし一回だけだったら、化石が何層かに分かれて見つかるわけがない」といったことを手稿に、3回ぐらい書いているんですよ。
古市 すごい科学的な発想ですね。
池上 そうなんです。これがもしそのまま出版されていたら、確実に収監されていたでしょうね。ガリレオの異端審問の100年以上前ですから。ただ、やはりレオナルドのように科学的な視点を持っている人たちは、聖書の矛盾に気づき始めているんですね。

池上英洋 いけがみひでひろ 美術史学者、東京造形大学教授。1967年生まれ、広島県出身。東京藝術大学卒業、同大学院修士課程修了。専門はイタリアを中心とした西洋美術史・文化史。著書に『ルネサンス 歴史と芸術の物語』『神のごときミケランジェロ』『レオナルド・ダ・ヴィンチ 生涯と芸術のすべて』『西洋美術史入門』『死と復活』など。日本文藝家協会会員。

池上 そのことに関連して、彼は天文学に関することも手稿に書き記しています。月食・日食の概念図をスケッチしたものですが、それを見ると驚くことに、地球のほうが太陽よりもはるかに小さく描かれているんですよ。
 当時、地球が球体であることは認められるようになっていました。ただ、やっぱり地球が宇宙の中心ですから、地球の周囲は地球より小さな星が飛んでないとまずい。ところがレオナルドの描いた天体図を見ると、太陽のほうがはるかに大きいわけです。彼は月食と日食の観察から、このような大きさにならざるを得ないことに気づくんですね。こうしたところも、彼が科学者たるゆえんだと思います。
古市 手稿の中で、他にもレオナルドの革新性が際立っているような箇所はありますか。
池上 解剖図でしょうね。彼は当時タブー視されていた心臓や脳を解剖して、ものすごい発見をしているんです。例えば心臓の三尖弁の機能を初めて発見して記録したのはレオナルドです。彼以前と以降で、最も飛躍的に知見が進んだのは解剖学だと言われています。

古市 レオナルド自身は出版物として本を残さなかったのに、500年経っても、世界中に研究者やファンがいるのはすごいことです。何がそこまで人を惹きつけるんでしょうか。
池上 あくまで私の印象論ですが、一人の人間が一生でできることを考えたら、レオナルドがなしとげたことは、やっぱり信じがたい量なんですよ。手稿には、軍事、天文学、航空力学、解剖学、都市計画、哲学といったジャンルの内容が書き記されています。
 絵画だって点数こそ少ないけれど、かけられたエネルギーを考えたら圧倒的なものがあるんですよね。解剖図やデッサンを見ただけでも、そのレベルが非常に高いことがわかります。私たちが芸大に入った当時、レオナルドのデッサンはテキストとして使われていたんですよ。そういうとんでもないレベルの仕事を考えると、さまざまな方面で彼の足跡をたどりたい、その全容を知りたくなる人がいるのはよくわかります。私もその一人ですから。そのぐらいの物を残してくれているんです。

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