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古市 ダーウィンの『種の起源』って、ざっくり言うとどういう本なんですか。
佐倉 生物進化に関して、現在、もっとも基本になっている理論を「自然選択」(あるいは「自然淘汰」)と言います。『種の起源』は、自然選択で種が変わっていくということを、最初に提唱した本です。そういう意味では現代の進化論や進化生物学の一番基礎になる考え方を初めて示した本ということになりますね。
古市 自然選択とはどういうことですか。
佐倉 動物の種の中には、背が高いもの、低いもの、体が太いもの、痩せているものなど、個体に変異がありますね。これらの変異の中で、より環境に適応している個体のほうが、長生きしたり子孫をたくさん増やしたりすることができる。それが何世代も重なっていくと、その種の中では環境に適応している性質が残るようになります。たとえば、背の高いほうがその環境には適応しているとすれば、その生物の種は世代を重ねていくにつれて少しずつ背が高くなっていきます。これが自然選択です。

古市 ある意味で逆転の発想だと思うんですけど、ダーウィンが自然選択説を思いついたきっかけは何だったんでしょうか。
佐倉 やっぱり大学を卒業したすぐあとに、ビーグル号という船に乗って世界中を探検したことは大きいですね。あれがなかったらダーウィンの進化論はなかったと思います。ビーグル号に乗る前は、自然選択どころか、種が変わること自体にも、ダーウィンは確信を持っていなかったと言われています。でもビーグル号であちこち見て、生物が進化すること自体を確信した。じゃあどうやって変わるのかと考えて自然選択説に至ったんです。
古市 具体的どんなことを見て、生物の進化を確信したんですか。
佐倉 有名なのはゾウガメの分布です。ガラパゴス諸島に行くと、島ごとにゾウガメの甲羅の形や模様がずいぶん違う。フィンチのくちばしの形もそうですね。あるいは、ビーグル号は世界一周しているので、南米やアフリカにも行っていて、ダーウィンはそこで化石をよく見つけるんです。そうするとアフリカの東海岸と南米の西海岸に、似たような化石がある。そういった発見から、種が時間とともに変わっていくのは間違いないと確信したんです。

古市 そこから自然選択説へは、どうやってたどり着いたんですかね。
佐倉 徐々に着想を固めていったと考えられています。フィンチのくちばしやゾウガメの分布は島ごとに違うので、同じ種がだんだん分かれていったんじゃないかと推測するわけですよね。じゃあ、なぜ分かれるのか。観察すると、くちばしの太い個体は大きな木の実を食べるし、細い個体は小さい木の実を食べている。つまり環境に適応しているわけです。
 帰国後、決定的な影響を与えたのは、経済学者マルサスの人口論です。マルサスは、生産される食料の量を超えて人口が増えてしまうと、飢えや戦争などを通じて人口がコントロールされると考えます。つまり食糧不足という環境に適応した者が生き残る。ダーウィンは、それと同じメカニズムが自然でも働いているんじゃないかと考えるわけです。生物もたくさん生まれてたくさん死ぬのだから、より環境に適した個体が生き残るだろうと。

古市 『種の起源』は、いきなり読めるような本なんですか。それとも入門書のような本から手にしたほうがいいんですかね。
佐倉 本当に読みにくい本なので、いきなり読むのは絶対避けたほうがいいと思います。当時は、進化ということ自体がまだ論争中で、まして自然選択という考え方はまだ誰も提唱していませんでした。そんな時代にダーウィンが、「生物はこうやって進化するんですよ、それも自然選択という方法で」という内容を、非常に細かく説明しているんです。最初は、ハトの品種改良の話が延々と続くんですよ。それを皮切りに、家畜や作物の話が長々と述べられ、ようやく第4章で自然選択の話が出てきます。

古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『誰の味方でもありません』『絶対に挫折しない日本史』『楽観論』『10分で名著』『正義の味方が苦手です』など。また、小説家としても活動しており、近著に『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』『ヒノマル』など。

佐倉 どうしても読みたい人は、渡辺政隆さんが翻訳している光文社古典新訳文庫をお勧めします。あれは訳文は読みやすいです。でもダーウィンには悪いけど、進化について知りたい人が読んでも面白いもんじゃないと思うんです(笑)。だって経済のことを知りたいと思っている人に、マルクスの『資本論』を読みなさいとは言いませんよね。
古市 佐倉さんが監修されていたマンガの入門書がありませんでしたっけ?
佐倉 あ、そうだ! 『ダーウィン『種の起源』を漫画で読む』というタイトルです。この本から読むといいですよ。ダーウィンの『種の起源』について、だいたい何を言ってるかがわかるので。
古市 生物のことだから、図解や絵がたくさんあったほうがわかりやすいですよね。
佐倉 そうそう。内容も圧縮してますし、ダーウィン以後の進化生物学についても説明されていますから。
古市 『種の起源』で、ここはぜひ読んでほしいという箇所はありますか。
佐倉 やっぱり最後のあたりですね。「生命は、もろもろの力と共に数種類あるいは一種類に吹き込まれたことに端を発し、重力の不変の法則にしたがって地球が循環する間に、じつに単純なものからきわめて美しくきわめてすばらしい生物種が際限なく発展し、なおも発展しつつあるのだ。」(渡辺政隆訳)
 この一節の少し前に、彼は土手にたたずんで「さまざまな虫が飛び回っている」という話から始めるんです。そこから自然選択について触れ、「この生命観には荘厳さがある」と。ここは本当に感激します。

佐倉 統 さくらおさむ 東京大学大学院情報学環教授。理化学研究所革新知能統合研究センター・チームリーダー。1960年生まれ、東京都出身。京都大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。進化論、霊長類学、科学技術社会論専攻。著書に『現代思想としての環境問題』『進化論の挑戦』『わたしたちはどこから来てどこへ行くのか?』『遺伝子vsミーム』『進化論という考えかた』など。

古市 ちょっと後の時代になると、ダーウィンの進化論は人間社会にも適用されて使われるようになります。
佐倉 ハーバート・スペンサーというイギリスの思想家の存在が大きいんです。スペンサーの社会進化論は、欧米や日本で本当によく読まれましたから。彼は科学から人間社会、経済、国際問題、さらには宇宙の話まで、何にでも口を出すんですね。だからウケがよくて、当時は相当広く支持されていた。もちろん批判もありましたが、とくに一般読者には大変な影響力を持っていました。彼が生存競争や優勝劣敗、弱肉強食というキャッチフレーズとともに進化論を広めてしまったんです。
古市 ダーウィン自身は、生存競争という言葉は受け入れていたんですか。
佐倉 スペンサーが入れ知恵をしてダーウィンが使うようになったんですね。ただダーウィンとしては、生きるために生物があがいてるというイメージだと思うんです。その結果として、より環境に適応したものが子孫を多く残したり、自分が長生きしたりするということだから、殴り合って競争するというイメージではありません。

古市 現代でダーウィンの進化論を学ぶことにはどんな意味があると思いますか。
佐倉 環境に適応した個体が残るということに社会的な価値は関係ないと言うかもしれないけれど、やっぱり優れているものが残るという発想と結び付きやすいわけですよね。
古市 環境に適応できるか、できないかというモノサシはあるということですね。
佐倉 そうです。でもだからといって、とにかく勝った者が独り占めしていいんだというような価値観を多くの人は持っていませんよね。それは当然のことで、自然の仕組みと私たちの社会がどうあるべきかということは、やっぱり分けて考えるべきです。人類は長い時間をかけて、一人ひとりの平等や基本的な人権は大事だという概念を育ててきました。それを継続していくためには、人間の本性として私たちの根っこには、人権や平等といった概念に反するようなものがあることを自覚するべきでしょう。そのことを忘れると、人はすぐに差別を擁護するほうに傾いてしまう。だからこそ、無自覚であってはいけないんです。それが、ダーウィンが明らかにしてくれた進化論の大事な教訓だと思います。

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