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古市 『マハーバーラタ』って非常に長い叙事詩だと聞きますが、一言でいうとどういう本なんですか。
沖田 インド人にとっての聖典です。本当に長くて、全18巻、約10万の詩節で構成されています。世界最大級の叙事詩といっていいでしょうね。
古市 コアとなるストーリーを教えていただけますか。
沖田 基本的には戦争の物語です。メインとなるのはパーンダヴァ(「パーンドゥの息子たち」の意)と呼ばれる5人の王子と、彼らのいとこでカウラヴァ(「クル族の息子たち」の意)と呼ばれる100人の王子。このいとこ同士の対立がきっかけとなって、周りの国々も巻き込んだ大戦争が起こります。
 そして最終的には、両陣営のほとんどが滅んでしまうんです。カウラヴァ側では3人が生き残りますが、その内の1人が3000年間、誰とも口をきかずにさまようという呪いを受けます。一方、パーンダヴァ側では7人が生き残ります。5人の王子に加えて、ヴィシュヌ神の化身でクリシュナという英雄、クリシュナの親友であるサーティヤキという英雄の7人です。しかし最後の最後には生き残った主人公たちも死んでいきます。なんとなく哀れを感じさせるようなエンディングですね。

古市 戦争以外の要素もけっこうあるんですか。
沖田 たくさんあります。たとえば、ある武将の死に際の説教が長々と2巻にわたって続いたりします。
古市 そのなかで、今のインドでも人気のあるエピソードやシーンってあるんですか。
沖田 「バガヴァッドギーター」と呼ばれる哲学的な部分は、今のインド人にも人気です。物語の途中で、パーンダヴァ五兄弟の三男アルジュナは、親族同士で戦うことに迷いを感じて、武器を捨てようとするんです。そのとき、ヴィシュヌ神の化身である英雄クリシュナが、アルジュナに王族としてのさだめを全うすることが法に適った行動だということをいろいろ説く。それがバガヴァッドギーターで、『マハーバーラタ』の中でも特に大切にされている部分です。
古市 ちなみに沖田さんが好きなパートは?
沖田 「乳海攪拌(にゅうかいかくはん)神話」と呼ばれる神話ですね。世界の始まりを描いたとても楽しい神話です。神々と悪魔が海の中に太い棒状の山を入れ、そこに大蛇をグルグルと巻きつける。そして蛇の両端を悪魔と神々が引っ張り合いっこして、海を撹拌するんです。そうすると、かきまぜられた海は乳の海となって、そこから太陽とか月とかいろんなものが生まれるんです。

古市 今でもインドの人は『マハーバーラタ』を身近なものとして感じているんですか。
沖田 そう思います。有名な話ですが、『マハーバーラタ』の実写をインドでテレビ放送したことがあるんですよ。そうすると、放送の時間になると通りから人がいなくなり、みんなテレビで『マハーバーラタ』を見るんですね。視聴率はたしか80%ぐらいだったと思います。そのくらいインドでは親しまれている聖典です。
古市 『マハーバーラタ』が、いつ誰によって書かれたかということは、わかっているんですか。
沖田 まず『マハーバーラタ』の成立は、紀元前4世紀から紀元後4世紀とかなり長期にわたっています。コアになる戦争物語の部分が最初にあり、そこにいろんな神話や伝説、教説などが加わってだんだん大きくなっていったんです。

沖田 誰が作ったのかということに関しては、一応ヴィヤーサという聖仙が作ったことになっていますが、ヴィヤーサは『マハーバーラタ』の作中人物ですから、実際には多くの人の手によって時間をかけて次第に形作られた物語であるといえるでしょう。
古市 文字としてまとまったのはいつごろなんでしょうか。
沖田 正確な時期はわからないんですけれども、かなり後になってからです。もともとはバラモンの師匠から弟子に口承されてきたものなんですね。『マハーバーラタ』にかぎらず、インドでは口承がすごく大切にされています。文字に書いてはいけないような物語もあるようで、いまだに文字化されていない神話もあると聞きます。

古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『誰の味方でもありません』『絶対に挫折しない日本史』『楽観論』『10分で名著』など。また、小説家としても活動しており、近著に『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』『ヒノマル』など。

古市 そもそも、一般の日本人は日本語訳でも『マハーバーラタ』って読めるでしょうか。
沖田 一般の人がいきなり原典の日本語訳を読んでも、かなり高い確率で挫折します。最初に手に取るとしたら、手前味噌になりますが、私が書いた『マハーバーラタ入門』(勉誠出版)から入るのがいいと思います。これは、我ながらけっこうよくできてるんですよ(笑)。メインストーリーの戦争の部分と、さまざまな楽しい神話を章ごとに分けて紹介しているので、この1冊で概要はつかめると思います。
古市 沖田さんはインド以外の神話にも詳しいのでお聞きしたいんですが、世界各地の神話を見ると、よく似た神話もいろいろと見つかりますよね。これはどういうふうに考えたらいいんでしょうか。いくつかの神話が派生していったのか、それとも同時多発的に似たような神話が生まれたのか。沖田さんはどういうふうに考えていますか。
沖田 世界の神話の類似を、何か魔法みたいに一つの方法ですべて説明できることは絶対にないと思いますが、いくつかの代表的な考え方はあります。まず、単純に一方から他方に神話が伝わったというパターン。このパターンは多いと思うし、私自身もかなりの伝播論者です。二つ目に、人類の共通の心理から似たような神話が発生するという場合もけっこうあるでしょう。三つ目は、同じような自然現象を経験しているからという説明です。四つ目として、インド=ヨーロッパ語族の場合のように、言語的な祖先が同じで、そこから各地に分散していった場合は、同じ神話を引き継いでいるという考え方がありますね。

沖田瑞穂 おきたみずほ インド神話学者。1977年生まれ、兵庫県出身。学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程修了。博士(日本語日本文学)。大学非常勤講師。著書に『怖い女』『マハーバーラタ入門』『世界の神話』『マハーバーラタ、聖性と戦闘と豊穣』『インド神話』『すごい神話』など。

古市 あまり知られていないけれど、現代人が読んだらけっこう響きそうな神話ってなにかありますか。
沖田 インドネシアに、人間の死の起源を説明している「バナナ型」神話というものがあります。石とバナナが喧嘩して、石がもし勝っていれば人間は石のように永久不滅だったのに、バナナが勝ったものだから人間はバナナの木のように死ななければならない。でも、バナナがそうであるように子どもを作ることができる。この神話では、個体として永久不滅な存在と、個体としては死ぬが子を成すことで種として存続する存在とが対比的に語られているわけです。ここには現代の物語にも通じる高度な論理があると思います。
古市 神話を作った大昔の人間と現代人で、認知能力や物語を作る能力にそんなに差はないということでしょうか。
沖田 そう思います。私は、古代の人々が現代人よりも何か劣っていたとは考えていません。まったく劣っていない。ただ違う方法で世界を認識していただけのことだと思うんです。

古市 沖田さんの『すごい神話』(新潮選書)という本では、古い神話が現代のさまざまな物語にも息づいていることを説明していましたね。
沖田 そうなんです。人間は物語を生み出さずにはいられないし、すべてのことは物語によって把握されていると思うんですね。先程の話とも重なりますが、おそらく人間の心理の中には特定の神話を生み出す装置みたいなものがあって、それが時代や地域を超えて、時に変形されたり反転されたり、あるいは新しい要素を加えられたりしながら、神話を生み出し続けてきたのでしょう。きっと古代のすごい天才がある時に神話を生み出し、現代に至るまで同じような物語を何度も何度も再生産してきたんでしょうね。だから神話は過去の遺物なんかじゃなくて、いまも生き続けている。そうやって現代のフィクションと似た神話を見つけるのはすごく面白いんですよ。

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