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古市 ジャイナ教がどんな宗教か、馴染みがない人も多いと思います。ジャイナ教を一言で説明してくれと言われたら、どんなふうに説明しますか。
堀田 一言で言うなら、不殺生、すなわち生き物を傷つけないことをおそらく地球上で最も徹底してきた、非常にストイックな宗教といえるかと思います。日本で紹介する場合は、仏教とほぼ同じ時代にほぼ同じ地域で、非常に似通った環境の中で誕生した宗教だと申し添えるようにしています。
古市 仏教と同じ時代に誕生したことに、なにか理由はあるんですか。
堀田 インドの歴史はアーリヤと呼ばれる人たちがインドに入ってきて始まります。そこで「ヴェーダ」という聖典にもとづくいわゆるバラモン教が力を持ってくる。そういった背景から、仏教とジャイナ教が出てくるわけですが、その成立には2つの説があります。
 一つはバラモン教の保守的なあり方に対して、内側から反対する勢力が出てきたというものです。もう一つの説は、仏教もジャイナ教も、バラモン教とは全然違う文化を持つ東インドの地域から出てきたというもので、こちらは最近になって言われていることです。どちらの説が正しいかは、まだ決着がついていません。

古市 現代でもジャイナ教の信者は、厳密に不殺生を守っている方が多いんですか。
堀田 はい。かなり徹底しています。食事に関しては出家しているお坊さんも、在家の人も徹底してベジタリアンですし、厳格な人は職業に関してもなるべく殺生をしないような職業を選びます。そのため、金融業や商業、最近ではIT関係に携わる人が多いですね。
古市 移動のときの乗り物はどうするんですか。
堀田 徒歩の場合は、自分の目で地面を見て虫を踏んだりしないかどうかチェックできるんですが、自動車や電車、飛行機などはチェックできないので、お坊さんは乗ってはいけないことになっています。だから戒律上、インド国外に出ることができないんですね。ただ、在家の人はそこまで厳格ではないので、乗り物に乗ることもできます。
古市 信者はどのくらいいるんでしょうか。
堀田 少し古いデータですが、2011年の時点でインドの人口の0.37%はジャイナ教徒だということです。割合としてはかなりのマイノリティですけれども、社会的な影響力は非常に強いといわれています。というのも、ジャイナ教徒は金融業や商業に就く人が多いうえに、嘘をつかないなど、戒律を真面目に守っているので信用が厚いんですね。

古市 堀田さんの「電気は生き物か?」という論文では、出家しているジャイナ教徒は電気も使いたがらないと書いてあってびっくりしました。
堀田 なぜ電気を嫌うかというと、ジャイナ教では、地・水・火・風という元素はすべて生き物を含んでいると考えられていることと関係しています。電気はもともと火元素からできていると考えられていたから、むやみに電気に触れてはいけないし、そもそも無意味に火を起こしてはいけないわけです。
 同様に、地面も無駄に掘ってはいけないし、水も意味なく撒いてはいけない。インドは暑いんですけれど、ジャイナ教徒はうちわで扇いだりしちゃいけないんですね。風元素に含まれる生き物を傷つけてしまいますから。そうやってとにかく生活の隅々まで徹底して生き物を傷つけないように気をつけています。

堀田 ただ電気については、生き物ではないという結論が最終的に出たんですが、出家者の間では、なぜかいまだに電気に触れるのはタブーのままなんです。
古市 火がタブーだとすると、料理も難しいですね。
堀田 さすがに料理の火を使わないわけにはいきませんし、亡くなった人の火葬もしています。そこは無駄に使ってはいけないということで、必要であれば使っていいとされているようです。でも料理の火も、暗くなってからは、虫が火に飛び込んでくるので使ってはいけないという縛りがありますね。
古市 現代社会で生きるには大変そうですね。

古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『誰の味方でもありません』『絶対に挫折しない日本史』『楽観論』『10分で名著』など。また、小説家としても活動しており、近著に『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』『ヒノマル』など。

古市 そもそもジャイナ教は誰が始めたんでしょうか。
堀田 世界史の教科書などでは、マハーヴィーラと呼ばれている人物が創設者だとされています。マハーヴィーラは「偉大な英雄」という意味の敬称で、本来はヴァルダマーナという名前でした。
 私は、この人物を「事実上の開祖」と表現しています。というのも、古いもののほうが権威があるという考え方なのか、ジャイナ教では、マハーヴィーラよりも前に教えを説いていた人が何代もいたことになっているからです。具体的にはマハーヴィーラ以前に23人の救済者がいて、マハーヴィーラは24人目の救済者といわれています。ただ書かれたものを見ている限り、24人のうちの22人目までは神話的な人物で、23人目は紀元前950年くらいにどうやら実在していた。マハーヴィーラの両親はその教団の信者だったのではないかと聖典の記述からは考えられます。
古市 ジャイナ教の聖典とはどういうものですか。
堀田 内容は非常に多様です。物語的なものもあれば、辞書的なもの、天文学に関するものなど、様々なものを含んでいます。そのなかでまず押さえるべきなのは、事実上の開祖であるマハーヴィーラの伝記ですかね。マハーヴィーラがどういう生涯をたどったかは、ジャイナ教を考える上で非常に大事です。
古市 『ジャイナ教聖典選』という本では、堀田さんも聖典のひとつを訳していますよね。この本は前提知識のない一般の人が読んでわかるようなものですか。
堀田 古いもの独特のわかりにくさはありますが、興味があって知りたいという人だったら翻訳からでもわかってもらえるんじゃないかと思います。

堀田和義 ほったかずよし 岡山理科大学教育推進機構基盤教育センター准教授。1977年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。研究分野はインド哲学、インド古典学、死生学。主な著書に『よくわかる宗教学』(共著)、『ジャイナ教聖典選』(共著)などがある。

古市 お勧めの読みどころはありますか。
堀田 やっぱり物語になっているようなパートですかね。たとえば、在家者がどうやってジャイナ教に入信して最終的に天界に生まれたかを描いた物語があります。あとは、マハーヴィーラの伝記的な箇所も面白いと思います。マハーヴィーラは最初バラモンの身分のお母さんのお腹に宿ってしまったんですが、それに気づいた神様がクシャトリヤのお母さんのお腹にいる赤ちゃんと入れ替えたという伝説があるんですね。
 『ジャイナ教聖典選』で私は、もともと宿っていたバラモンのお母さんとマハーヴィーラが出会うシーンを描いたところを訳しています。そこで、元お母さんは自分の子どもだと知って涙を流し、母乳が溢れ出したりする。それをきっかけにその元お母さんとその旦那さんがジャイナ教徒になって出家したと。

古市 現代のインドでも、ジャイナ教は研究されているんでしょうか。
堀田 残念ながらあまりされていません。私がインドに行ったときに、とても珍しがられたぐらいですから。
古市 堀田さんは今後、どんな研究をされていこうと思っているんですか。
堀田 なかなか悩ましい問題です。実はジャイナ教のお坊さんやインドの大学の先生に、「私たち外国人は、どうしたらインド哲学やジャイナ教の研究に貢献できるでしょうか」と尋ねたことがあります。そうしたら、みんな口を揃えて「まずは翻訳だ。翻訳をして紹介するところから始まる」と言うんですね。そのときになるほどと思って。日本語にしたからといって簡単に読めるわけではありませんが、これからインド哲学やジャイナ教を研究しようとする人が、パッと日本語で読める文献がたくさんあるのは大事だと思います。そういう考えから、いまは日本語訳に力を入れているところです。

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