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古市 トマス・クーンの『科学革命の構造』は、一言でいうとどういう本ですか。
伊勢田 タイトルが示すように、科学革命がどのように起こるのかを論じた本ですが、同時に、それまで人々が漠然と思っていた科学のイメージを大幅に変えた本と言っていいと思いますね。普通、科学というと証拠を次々と積み上げ、その証拠に基づいて理論が徐々に洗練されていくような営みだとイメージされます。でもこの本では、そういったイメージとはまったく違う科学観が提示されているんですね。
古市 この本でいう「科学革命」とはどういうことですか。
伊勢田 これも一言でいうと「パラダイムが切り替わって、科学の研究方法が大きく変わること」という答え方になると思います。クーンの科学観では、まず、問題の解き方の模範演技のようなものがあり、それが科学者集団に共有されることでパラダイムとなるんですね。
 一つのパラダイムが共有されて、問題に取り組んでいるような科学のあり方を、クーンは「通常科学」と呼んでいます。通常科学の中で問題が解けているうちはいいけれど、次第に解けない問題がたまっていくんですね。

伊勢田 そういう解けない問題のことを「アノマリー」といいますが、通常科学でアノマリーに太刀打ちできなくなる「危機」に陥ると、誰かが新しい切り口でアノマリーを解こうとする。それでうまくいくと、他の科学者からも支持されて、新しい模範演技になる。そうやって科学のあり方がガラッと変わることが、クーンのいう「科学革命」です。
古市 パラダイムの変化って、たとえばどういう時に起こるんですか。
伊勢田 本の中では、天動説から地動説への変化が取り上げられています。長い期間にわたって天動説のパラダイムで星の動きを説明していくんだけど、どうしても天動説の枠の中では説明しきれないアノマリーが蓄積していくわけですよね。そこでコペルニクスが地動説という形で別の解き方を出した。これが新しいパラダイムの提案ということになります。
古市 新しいパラダイムが出る前の段階だと、アノマリーは大勢の科学者集団に共有されているんですか。それとも少数の能力がある科学者が気づいている感じですか。
伊勢田 クーンのイメージとしては、科学者集団がアノマリーを共有して危機になるというものです。

伊勢田 でも実際はもう少し複雑で、危機を認識する人はほとんどいないんですよ。たとえば天動説にしても、予測と実際の惑星の位置がずれることは、かなり昔から知られていました。だけど、そのぐらいのズレは許容範囲だと多くの人は思っていたようなんです。
古市 長い間、天動説が続いたのは、地球が宇宙の中心だと考えたキリスト教の影響も強かったんでしょうか。
伊勢田 実際には教会の影響はそれほど強かったわけではないというのが、現在の一般的な捉え方だと思います。むしろ地球が動いていると考えた時に、それをサポートする物理学理論が全然存在しなかったことのほうが大きいんです。地球が動いているとしたら、なぜ人間は振り落とされないのか。この問題に対しては、コペルニクスもケプラーもろくな説明を持っていなくて、ようやくニュートンに至って理論的な説明がつくんです。

古市 新しい解き方が複数出た場合、科学者集団に受け入れられるものもあれば、無視されるものもあると思うんですが、その違いはどこにあるんですか。
伊勢田 本の中では、集団心理的な説明をしていますね。あるグループがうまくいってそうだぞと思ったら、勝ち馬に乗る感じでそこに乗っかっていく。後の時代から考えると、そこまで有利じゃなかった立場だけど、リアルタイムでは集団心理でワーッと乗っかっていくんだと。同時に、この本で強調しているのは、昔のパラダイムに固執するのは、頭が悪いからではないということです。違う物の見方があって、どちらかが正しいわけではないんですね。

古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『誰の味方でもありません』『絶対に挫折しない日本史』『楽観論』『10分で名著』『正義の味方が苦手です』など。また、小説家としても活動しており、近著に『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』『ヒノマル』など。

古市 「古いパラダイムと新しいパラダイムのどちらが優れているかわからない」なんて言われたら、科学者は怒りそうな気がします。
伊勢田 ところがクーンは結構人気者なんです。『科学革命の構造』はすごいベストセラーになって、自然科学の研究者にも読まれました。だから、いわゆる相対主義的な部分も含めて、科学者の実感に近かったんじゃないかと思います。クーン自身がもともと物理学者なので、理系の人にわかる感覚で書いているということもありますけど。
古市 現在の科学哲学では、この本はどのように位置づけられているんですか。
伊勢田 やっぱり科学哲学のやり方を大きく変えた本という位置づけになると思います。ここで言われている科学革命がそのまま起きると思っている哲学者はいまではほとんどいません。その意味では乗り越えられた本ではあるんだけれども、もっと深いところでの影響が残っている。
 クーンまでの科学哲学が科学について語る時、証拠によって理論が確かめられるその関係に基本的に注目するので、科学者って出てこないんですよ。ところが『科学革命の構造』では、科学者が主人公なんです。まず科学者集団に共有されているパラダイムがあり、それに基づいて科学者は理論を作り問題を解く。でも次第に解けない問題とぶつかって困っていくと。もうすべて科学者目線、あるいは科学者共同体という目線で書かれている。つまり科学を哲学的に語る対象が、それまでと大きく変わっているわけですね。その発想の転換が、この本の一番重要な貢献だと現在では捉えられていると思います。

伊勢田哲治 いせだてつじ 哲学者、京都大学大学院文学研究科教授。1968年生まれ、福岡県出身。専門は科学哲学、倫理学。著書に『疑似科学と科学の哲学』『認識論を社会化する』『哲学思考トレーニング』『動物からの倫理学入門』『科学を語るとはどういうことか』(共著)など。翻訳校閲という形で協力した『科学革命の構造【新版】』(訳者:青木薫)がみすず書房より発売中。

古市 現在の科学哲学から見ても、パラダイム転換のインパクトという点では、やっぱり地動説がいちばん大きいんですか。
伊勢田 パラダイムシフトって、科学の変わり方の一つのパターンでしかないんです。いまの科学哲学や科学史では19世紀が重要だといわれています。なぜかというと、この時代に科学の制度化が起きたからです。それまでの科学は哲学の一種で、物好きがやるものでした。それが19世紀に入ると、学会ができ、学会誌ができ、大学できちんと教えるものになる。社会的にも科学は重要だと認知されていく。科学の歴史の中で一番大きな転換点はそこだと思います。
古市 そういう制度化によって、新しい研究や発見がたくさん起こるようになったんですかね。
伊勢田 もちろん新しい研究はたくさん行われるようになりました。たとえば電力と磁力の関係が発見され、電磁気学が進展する。天動説から地動説への転換は数百年かかったわけですけど、19世紀はそれまでとは比較にならない規模で研究が進展し、実用化が進んでいったんです。

古市 伊勢田さんから見て、『科学革命の構造』の一番の読みどころはどこですか。
伊勢田 科学哲学の観点から一番面白いのは、「世界観の変化としての革命」と題された第Ⅹ節です。ここが最も科学哲学的なパートで、さまざまな事例とともに「通約不可能性」という概念について説明しています。通約不可能性というのは、違うパラダイムの人たちは、同じ事物を見ても全然違って見えるということです。これは応用が利く考え方なので、科学の歴史に興味がない人でも、面白く読めるんじゃないかと思います。
古市 科学って普遍的なものだというイメージがありますけど、通約不可能性というのは、科学者同士でもわかり合えないことがあるということですか。
伊勢田 そうなんですよ。同じ問題の解き方を共有している人たちの間でしか、話は通じない。違う問題の解き方をする人たち同士が話をしようと思ったら、まず相手の問題の解き方を理解するところから始めなければいけないんです。

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