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古市 ゾロアスター教は、日本の人にはほとんどなじみのない宗教だと思います。かいつまんでいうのは難しいかもしれませんが、ゾロアスター教ってどんな宗教なんでしょうか。
青木 教科書的には「紀元前1500年~1000年ぐらいに中央アジアのザラスシュトラ・スピターマという人物が始めて、イラン系民族の間に広まった善悪二元論の宗教」だと説明されます。ただ、善悪二元論が特徴になるのは後の時代のことで、ザラスシュトラが何を言ったのかは、じつはさほどよくわかっていません。
古市 現在『アヴェスター』としてまとまっている聖典は、いつぐらいに成立したんでしょうか。
青木 口頭伝承という形では、紀元前3世紀ぐらいには成立していたんじゃないかと推測されています。それが紙に記され、きっちりした聖典になったのは紀元後6世紀、サーサーン朝ペルシア帝国が滅ぶ寸前ぐらいのことです。ただ、その100年後ぐらいにアラブ人が攻めてきて、イランはアラブ人イスラーム教徒に占領されました。その結果、『アヴェスター』の大体4分の3くらいは消滅してしまいます。我々がいま読んでいるのは、断片的に残っている4分の1だけなんですね。

古市 『アヴェスター』の内容について、最低限押えておきたいのはどんなことでしょうか。
青木 現在の『アヴェスター』の中で、教祖ザラスシュトラ・スピターマが実際に語ったとされている韻文の呪文「ガーサー」というものがあります。ただ、「ガーサー」は100%全ては解読されていません。使われている言語が非常に難解なので、言語的に近いといわれるヴェーダ語の文献を参考にして、おおよその内容を推測できるだけです。そういう但し書きのもとでいえば、まずアーリア人の多神教が前提になっています。そこにザラスシュトラが、アフラ・マズダーという最高神を独自に立てて、そのもとで多神教的なものが「善なる神々」と「悪なる神々」の二系列に展開していくんです。最高神がいて、そのもとで神々が善悪に分かれていきますから、一神教的な二元論といっていいでしょうね。
 しかしその後、6~9世紀の中世ゾロアスター教になると、善悪二つの系列を束ねていた最高神アフラ・マズダーの地位が下がって、善なる神のトップになってしまうんです。つまり、中世ゾロアスター教は、善なる神と暗黒の王という二元論に傾いていく。教科書的にゾロアスター教が善悪二元論といわれるのは、この時代のゾロアスター教の思想が反映されていると思います。

古市 どうして一神教的な要素は消えたんでしょうか。
青木 一神教であるキリスト教やイスラームとの差異化を図ろうとしたんじゃないでしょうか。サーサーン朝ペルシア帝国が盤石の時代は、最高神、善なる神々、悪なる神々がいるという包括的な教義でもよかったんですが、西方からキリスト教徒に脅かされたり、イスラーム教徒に征服されてしまうと、むしろ征服者との差異的な部分である二元論を打ち出して、自分たちのアイデンティティーを守ろうという気運が生まれてきたんじゃないかと思います。
古市 現在のゾロアスター教の信者は、どういう世界観なんですか。
青木 じつは一神教の方向で突き進んでおります。近代以降、一神教こそ宗教の最終形態だという進化論的な宗教観が根強くなったため、現在の信者はキリスト教やイスラームと変わらないような一神教だと言ってますね。

古市 教祖のザラスシュトラが元にした原宗教みたいなものはあったんですか。
青木 原宗教としては、もともと中央アジアにいた印欧(インド・ヨーロッパ)語族、つまり古代アーリア人が持っていた多神教のようなものがベースになっています。この印欧語族の人たちが、ヨーロッパ、イラン、インドに分岐していくんですね。
古市 その印欧語族の多神教から生まれた宗教の1つがゾロアスター教なんですね。二元論的な思想のほかに、ザラスシュトラ本人が直接言ったとされているのは、どんなことですか。
青木 確実に言えるのは、死後の世界ですかね。

古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『誰の味方でもありません』『絶対に挫折しない日本史』『楽観論』など。また、小説家としても活動しており、近著に『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』『ヒノマル』など。

青木 死後に審判を受けて、橋を渡ってあの世に行くんですが、良いことを現世でいっぱいした人間はその橋が広くなって、あの世に無事に到達できるけど、悪いことをした人間は橋がどんどん細くなって、地獄に落ちていくんです。橋を無事に渡りきると、15歳の乙女が手を振って待っていてくれます。でも、地獄に落ちちゃうと老婆が待ち構えていて、地獄の責め苦を味わう。っていう、そういう死後の因果応報的な考え方はザラスシュトラが言い始めたことだろうと言われています。
古市 天国と地獄という発想はゾロアスター教のオリジナルなんですか。それとも、印欧語族の多神教の時代から、そういう発想はあったんですか。
青木 オリジナルだと思います。同時代の他の地域にそんな設定はないんです。メソポタミアでも、死んだら地の底の暗いところに行くという設定しかない段階ですから。
古市 ゾロアスター教では、世界の誕生や終末はどんなふうに説明されるんでしょうか。
青木 『アヴェスター』ではこんなふうに書かれています。原初の世界には光と闇があります。ある時、善なる光と悪なる闇が戦い始めて、くんずほぐれつの争いを繰り広げたのち、最後は救世主サオシュヤントが現れて、最終的に善が勝つ。そこで最後の審判がくだされ、至福千年の王国が生まれるんです。
 こういうストーリーができたのはユダヤ教やキリスト教よりも先ですから、終末論的な発想は、ゾロアスター教からユダヤ教、キリスト教に影響を与えたのではないかと考えられています。

青木 健 あおきたけし 宗教学者、静岡文化芸術大学教授。1972年生まれ、新潟県出身。東京大学文学部卒業、同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。専門はゾロアスター教、イラン・イスラーム思想。主な著書に『マニ教』『古代オリエントの宗教』『ゾロアスター教ズルヴァーン主義研究-ペルシア語文献「ウラマー・イェ・イスラーム」写本の蒐集と校訂-』『新ゾロアスター教史』『ペルシア帝国』など。

古市 ゾロアスター教の特徴的な儀式ってありますか。
青木 じつは『アヴェスター』の内容って、9割9分が儀式に関する内容なんです。牛を屠(ほふ)って神々に捧げるやり方とか、火を拝むときや火にお供えするときの手順だとか、ものすごく煩雑な儀礼が山のようにあります。
 印欧語族の古代アーリア人が中央アジアから移動を始めた時期って、寒冷化が起こった時期に当たるんですね。寒さから逃れるために人びとは移動する。一部は西に水平移動して、ヨーロッパで暮らすようになりました。一部は寒いから南に降りていった。これがイラン人やインド人になるわけです。寒さのなかで火はとても貴重です。それで火を拝むようになったのでしょう。結果、イランやインドという温かい場所に住み着いた後も、火を崇拝するようになりました。インドのヒンドゥーも火を崇拝するのはそのためです。
 牛については、当時の最も重要な財産が牛ですから、それを神様に捧げたわけです。ヒンドゥー教でも牛は聖なる生き物です。イランには牛があまりいませんので、羊で代用したりしています。

古市 青木先生にとって、ゾロアスター教の魅力はどういうところにありますか。
青木 やっぱり世界最古の宗教の一つというか、ホモサピエンスが獲得した形而上的な認識パターンの最古の事例の一つであるという点で、すごく興味深いんですね。
 たとえば、さきほど紹介した終末論の背後には、直線的な時間認識のパターンがあります。これを最初に見いだしたのはゾロアスター教だろうと私は思います。あるいは、善行を積んだか、悪行を積んだかによって審判され、死後の世界が分かれるという一神教的な考え方の原点もゾロアスター教にあったんじゃないかと。
 そして先ほど言った粘り強さですね。ゾロアスター教は、後期青銅器時代から鉄器時代を経て延々とつながっています。他はつながっていないんですよね、メソポタミア文明も滅びましたし、エジプト文明、ヒッタイト文明も滅びました。古代オリエントの文明で、粘りに粘ったのはユダヤ人とイラン人だけです。そうした伝統の強靱さにも惹かれます。

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