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古市 飯山さんは「『コーラン』ってどんな書物ですか?」と尋ねられたら、どう答えますか。
飯山 イスラム教徒ではない人間にとっては「イスラム教の聖典」ですけど、イスラム教徒にとっては神様の言葉そのものです。
 イスラム教徒の目線で語ると、これまで神はユダヤ教やキリスト教などいろいろな宗教を人間に授けてきて、その最終段階がイスラム教だと考えるんですね。だから『コーラン』に書き留められている神のメッセージは、全人類に向けたものであり、全世界の全人間に届けることが自分たちの使命だということになります。
古市 『コーラン』は何語で書かれているんですか。
飯山 アラビア語です。なぜかというと、神の言葉を授けられたことになっている預言者のムハンマドがアラブ人だったからです。ムハンマドがわからない言語を預けても意味が伝わらないので、神様はアラビア語で『コーラン』をくだしたということになっています。翻訳も昔からたくさんあるんですが、翻訳はあくまでも『コーラン』の意味内容をアラビア語がわからない人間に伝えるためのものであって、『コーラン』のそのものではないというふうに考えられているんです。

古市 この対談を読む人は、おそらく非イスラム教徒が多いと思うので、非イスラム教徒目線で教えていただきたいんですけれど、『コーラン』の日本語訳は、ストーリーとして簡単に読み通せるものですか。
飯山 それは結構困難ですね。『コーラン』は神の奇蹟そのものとして理解されていて、読んでも意味不明なことがたくさん書かれているんです。『旧約聖書』に書かれているようなアダムの話やモーセの話も出てきますけど、それは一部で、あとは遺産相続のルールとか、異教徒と戦わなければいけないという話とか、いろんな話があっちこっちに飛んでいる。しかも突然、謎の文字が現れたりしますし。
古市 お勧めの読み方はありますか。
飯山 『コーラン』は114章あって、第2章から114章までは基本的に長い章から短い章というふうに並んでいます。第1章は「ファーティハ(開端章)」というイントロダクションのような章ですごく短いので、まず1章を読んでみるといいかもしれません。この章にはイスラム教の基本が凝縮されて書かれているし、イスラム教徒が礼拝するときにはこの章を必ず唱えるんですね。だからアラブ人以外のイスラム教徒も、1章だけは意味がわからなくても暗唱できるんです。

古市 イスラム教では偶像崇拝が禁止されていますけど、それはなぜですか。
飯山 イスラム教の根幹に、神だけを信仰しなきゃいけないという教えがあるからです。イスラム教では神のことをアッラーといい、「アッラー以外に神はない」というのは『コーラン』全体に通底する一番重要なメッセージだといっても過言じゃありません。だからアッラーに並び立つようなものを崇拝しちゃいけないんですね。
古市 イスラム教には、1日5回の礼拝とか断食とか、いろいろやるべき戒律があるじゃないですか。そういうことが面倒くさくて嫌になったりしないんですかね。
飯山 人によりけりで、嫌になっちゃう人はいっぱいいるんですよ。断食中はすごく暑いのに水1滴も飲んじゃいけない。それで嫌になって、途中でやめる人もたくさんいます。やめたからって表立っては言いませんけどね。

古市 そもそも『コーラン』はどういうふうに成立したんですか。
飯山 イスラム教では、預言者ムハンマドが現世に嫌気がさして洞窟に籠って瞑想をしている最中に、急にガブリエルという天使が現れ、ムハンマドをおさえつけて神の啓示を下したとされています。それを聞いたムハンマドはびっくりして家に帰り、奥さんや周りの人に、「今日、こんなことを言われた」と話すわけです。やがてムハンマドも、それが神の啓示であることを確信して、預言者として人々にそれを伝えていきます。ムハンマドを介して伝えられた神の言葉が周囲の人々によって書き留められ、まとめられて成立したのが『コーラン』です。

古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『誰の味方でもありません』『絶対に挫折しない日本史』『楽観論』など。また、小説家としても活動しており、近著に『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』など。

古市 『コーラン』で書かれていることと現代社会のさまざまなルールとの齟齬やギャップがあると思うんですけど、信者はそれをどう解決しているんですか。
飯山 いろんな人がいます。イスラム原理主義と言われる人たちは、『コーラン』に書かれていることが文字通り正しいと考えるんですね。だから、いまの世の中は当時と状況が違うから、考えや解釈を変えていきましょうという発想にはなりません。
 一方で、歴史を振り返ってみると、イスラム法を司ってきた学者たちの大半は、時代に合わせてわりと緩い解釈をしてきました。つまり、啓示の文言をそのまま適用することより、社会にいさかいが起こらないようにしたり、社会の安定を保つことを重視するイスラム法学者が多かったわけです。
古市 『コーラン』自身に書かれている攻撃的な言葉もけっこうあるわけですよね。それは今のイスラム世界ではどんなふうに捉えられているんですか。
飯山 イスラム過激派の人たちは、神様が異教徒を殺せ、世界を征服しろと言ってるから、そのままやらないといけないと考えて実践します。だからテロが起こってしまう。ただ大半の人は『コーラン』に異教徒を殺せと書いてあるからといって、別に殺さないですよね。たとえばイスラム教徒が多い国の学校では、ジハードでユダヤ人を殺せとか、カリフ制を作れといったことを教えるのを回避するケースもあります。逆に、ハマスが支配しているパレスチナのガザ地区の学校では、いまだにユダヤ人を殺せ、イスラエル殲滅ということを教えている。攻撃的な文言を回避して異教徒とも融和的に暮らすことを推進している国もあるし、そうでないところもあるということです。

飯山 陽 いいやまあかり イスラム思想研究者、アラビア語通訳。1976年生まれ、東京都出身。上智大学文学部史学科卒業。東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻イスラム学専門分野博士課程単位取得退学。博士(文学)。著書に『イスラム教の論理』『イスラム2.0』『イスラームの論理と倫理』『イスラム教再考』『エジプトの空の下』がある。

古市 イスラム教イコール平和の宗教だという説明をよく目にしますが、本当のところはどうなんでしょうか。
飯山 イスラム教は基本的に全然平和の宗教じゃなく、侵略指向の宗教なんですよ。自分たちは唯一正しい世界宗教であり、それを世界中に広めることが正しいと今もイスラム教徒は全員信じている。だからイスラム教は広まってきたわけです。
 実際、イスラム教の歴史を振り返っても、平和の宗教みたいなことをいう伝統なんてないんですね。イスラム教が平和の宗教だという言説は、2001年の9.11事件から急速に広まっていきました。どういうことかというと、アメリカが対テロ戦争を実行する際に、「イスラム教は平和の宗教で、ほとんどのイスラム教徒はいい人です。私たちが戦うのはあくまでもテロリストなんですよ」と言い訳するために広めたという側面が非常に強いんです。それを受けてイスラム教徒の側も、俺たちは平和の宗教だと言い始めたのが真相ですね。『コーラン』には、自分たちは平和の宗教ですなんてことはどこにも書いていないし、そんなことを言う伝統もなかったんです。

古市 これからイスラム教はますます存在感を増していくと思いますか。
飯山 今世紀中には世界人口の3人に1人ぐらいはイスラム教徒になっているとか、来世紀には半分以上になっているといった予測も出ています。人口からすれば、イスラム教がマジョリティになる世界になっていくことは間違いないと思います。
古市 その時にどんな世界になっていくかですね。
飯山 そうなんですよ。現在は、自由民主主義が世界の理想だという合意がいちおう成立している世界に私たちは住んでいます。でも、中国やロシアのように、自由民主主義とは違う勢力が力を増していますよね。イスラム教もやはり自由民主主義とはまったく違い、人間が頭で考えたことじゃなくて、神が考えたことが正しいと考える人たちです。そういう人たちが多数派になったときには、世界の秩序は変わっていくだろうと考えざるを得ないですね。

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