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古市 おそらく『アヴァクーム自伝』という本の存在を知らない人も多いと思います。一言でいうとどういう本なんですか。
三浦 17世紀後半のロシアで書かれたアヴァクームという人物の自伝です。アヴァクームは、当時のロシア正教から弾圧された「古儀式派」という一派の重要な論客でした。
古市 古儀式派というのはどういう宗教グループなんですか。
三浦 それを説明するには、ロシアの歴史を少し紐解く必要があります。まず9世紀に、現在のキエフを中心とした地域に「キエフ・ルーシ」という国が建国されました。このキエフ・ルーシが、988年にキリスト教を受け入れるんですね。ただ、この時受け入れたのはカトリックではなくて、ビサンツ帝国のキリスト教であるギリシア正教でした。
古市 カトリックとギリシア正教ではどういう違いがあるんですか。
三浦 根本的なところでは、イエス・キリストの捉え方が違います。もともとカトリックもギリシア正教も、キリストの絵をよく描いていました。ところがそれを知ったイスラームが、完全なる尊い神を絵に描くとは何事かと非難するんです。イスラームでは神の絵を描くことは厳しく禁じられていました。

三浦 東方のビサンツ帝国は、当時の先進国なので、この批判を真剣に受け止めたんですね。それで一部の皇帝は神の像を次々に壊していくんです。一方で、聖像を擁護する一派も出てきたため、国を二分する内乱にまで発展してしまった。結局、この論争はキリスト教の原点に立ち返ることで決着しました。つまり、神としてのキリストは絵に描くことはできないけれど、人間としてのキリストは描くことができるので、積極的に描くべきだということになったんです。
 その結果、ギリシア正教を受け入れたキエフ・ルーシやその流れをくむロシアでは、西欧のキリスト教とは違う信仰の感覚を持つことになりました。彼らは頭では、キリストは神であると同時に人間であると理解していますが、感性ではキリストが人間であるという感覚が西欧より強いんですね。
古市 キエフ・ルーシが988年にギリシア正教を受け入れて以来、ロシアはずっとギリシア正教を信仰しているわけですね。
三浦 基本的にはそうなんですが、ロシアのキリスト教はそれ以前のスラブの異教と融合して、独自の慣行が根付いていった側面もあるんです。それが大問題になるのが、17世紀に成立したロマノフ朝の時代です。

三浦 ロマノフ朝第2代ツァーリ(皇帝)であるアレクセイ・ミハイロヴィチは、ロシア正教を軸に国家を再建しようとした。そのときに、二本指で十字を切るなど、ロシア正教の古い習慣を改革して、当時の国際標準であるギリシア正教に合わせようとしたんです。
古市 国際標準は二本指ではないんですか。
三浦 三本指がスタンダードです。しかし、それに反発するグループが出てきます。ロシア正教の古いやり方に忠実であるべきだ。そう考えた一派を「古儀式派」といいます。『アヴァクーム自伝』のアヴァクームは、この古儀式派の論客です。ツァーリ側と古儀式派は激しく対立してしまいます。アレクセイ帝はなんとか古儀式派のほうに納得してもらおうと思って、根気強く説得を試みる。その働き掛けの様子は『アヴァクーム自伝』の中にたくさん書かれています。

三浦 アヴァクームは、皇帝の気持ちはありがたく思うものの、主張は絶対に変えないんですね。結局、アレクセイ帝はアヴァクームたちを投獄してしまいます。投獄された地でアヴァクームは、自らを正義の殉教者と捉えて、聖者伝の形式で人生を回顧する文章を書き記した。それが『アヴァクーム自伝』です。
古市 たとえばどういう内容が書かれているんですか。
三浦 古儀式派が正しいという主張とともに、自らの生い立ちから始まります。司祭だったときに、若い女性の懺悔を聞いて情欲の発作に襲われたということを苦渋に満ちて告白しています。妻子とともにシベリア流刑された際の苦難なども書かれています。

古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『誰の味方でもありません』『絶対に挫折しない日本史』『楽観論』『10分で名著』など。また、小説家としても活動しており、近著に『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』『ヒノマル』など。ストーリーを書き下ろした絵本『パリン グリン ドーン』が6月30日発売。

古市 アヴァクームは最後はどうなるんですか。
三浦 アレクセイ帝が1676年に死んだ後、1682年に焚刑に処されました。
古市 論争として勝ったのも国際標準派ですか。
三浦 そうです。皇帝がついていますからね。
古市 その後、ロシア正教が国際標準に合わせるようになったことで、ロシア全体で大きく変わったことはあったんでしょうか。
三浦 実は当初の狙いとは逆に、政治の脱宗教化が起きるんです。リューリク朝の時代は、宗教と政治は完全にオーバーラップしていました。ロマノフ朝も始めこそロシア正教を軸にして国づくりをしようとして、結局国際標準に合わせることによって、西欧化が進んでいくんです。宗教にとらわれていては、国づくりは進まないという意識になったんですね。
古市 どうして西欧化が進んでいくんですか。
三浦 古い伝統にこだわる古儀式派を切ったことで、西欧化に対する足かせがなくなったんだと思います。
 実際、アレクセイ帝の息子であるピョートル大帝は西欧化政策を進めていきます。アレクセイ帝が古儀式派を切らなかったら、西欧化は難しかっただろうと思います。その意味で、ピョートル大帝の飛躍の地ならしをしたのがアレクセイ・ミハイロヴィチでした。
古市 非常に逆説的なことが起きたんですね。
三浦 そうですね。宗教的な争いで凄惨な犠牲者をいっぱい出した。しかし、それがロシアの国にどういう影響を与えたかというと、次の時代のピョートル大帝の西欧化という飛躍をした準備という見方はできると思います。

三浦清美 みうらきよはる 早稲田大学教授。1965年生まれ。ロシアのサンクトペテルブルク国立大学研究生、電気通信大学教授などを経て現職。専門は中世ロシア文学・宗教史。著書に『ロシアの源流』など。3月には訳書『中世ロシアのキリスト教雄弁文学(説教と書簡)』を刊行。

古市 ロシアの皇帝を意味する「ツァーリ」ってどういうイメージで捉えればいいんですかね。
三浦 さきほど988年に、キエフ・ルーシが東方の正教を受け入れたという話をしましたね。そのこととツァーリというロシアの統治者観にはつながりがあります。
 東方正教では、神であるキリストが人間になったことの恩寵を強調します。神が人間になってくださった。だったら罪深い人間も、自らの救済のために神になる努力を惜しんではならないという思想が強いんですね。
 その思想がツァーリにも反映されています。ロシアのツァーリとは、いわば地上における神の代理人であり、人間であり神のような存在なんですね。こういう統治者観は、選挙で大統領を選ぶ現代のロシアにも、脈々と息づいています。だから国民も、指導者に絶対的な力を持つ神の代理人を求める意識が強いんです。プーチン大統領の権力の強大さも、こういう統治者観の上に成り立っています。ロシア国民はプーチンを神の代理人として捉えているんです。

古市 現代のロシア人はどのくらいの信仰心を持っているんでしょうか。
三浦 ロシア国民はいつ終末が来てもおかしくないとドキドキしているところがあるんですよ。たとえば、2012年に世界は滅亡するという古代マヤ文明の暦があるんですね。それを真に受けてロシアでは社会不安が起こり、プーチンが「世界が終わるのは太陽の寿命が尽きる45億年先だから、おそれることはない」といったコメントを国民に向かって言っているんです。だから、そのプーチンが核兵器を使うかもしれないとなると、本当に不安でしょうがないでしょうね。
古市 いよいよ終末かと思ってしまうわけですか。
三浦 そういう意識はあるでしょうね。特にソビエト崩壊直後のロシア人は、明日何が起こるかわからないという意識が強かった。すべては神の御心のままである。ロシア人の信仰心は、そういうところに根差しているんだろうと思います。

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