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古市 ヒトラーの『わが闘争』は、名前だけは知っている人は多いけれど、たぶん読み通した人はあまりいないような気がします。
佐藤 『わが闘争』は「名著」というより「迷著」といったほうが適切かもしれませんね。ただ、「世界を動かした一冊」であることはたしかです。
古市 そもそも『わが闘争』ってどういう本なんですか。
佐藤 まず序言の「人を説得しうるのは書かれた言葉によるよりも、話された言葉によるものであり、この世の偉大な運動はいずれも偉大な文筆家にでなく、偉大な演説家にその進展のおかげをこうむっている、ということを私は知っている」という一節が、ヒトラーのプロパガンダの要約になっています。今風に身も蓋もなく言ってしまえば、書物よりもテレビの影響力が強いという話です。いわゆる知識人にしか伝わらない書物での理性的な説得よりも、感情的なアジテーションの方が何倍も多くの大衆に訴えることが可能なのだと。そういうプロパガンダは大衆を相手にして、インテリを相手にしないがゆえに民主的なものであるという大衆社会の哲学が赤裸々に語られています。こうした大衆心理自体は当時の社会心理学にすでに知られていたわけですけど、政治家がそれを語っていることがこの本の独特なところです。

古市 実際のところ、ヒトラーの演説やプロパガンダはどのくらい上手だったんですか。この本に書かれていることをそのまま実践しているんでしょうか。
佐藤 プロパガンダの上手さだけではヒトラーの成功を説明できません。あまり注目されないけれど、ヒトラーが教育について語っている箇所が重要です。
 当時のドイツは現在以上に格差社会だったから、大学に行けるのは、親が官僚、高級軍人、ブルジョワジーであるような余裕のある階層の人間だけでした。ヒトラー自身も中等学校を卒業していません。そういう状況で、この本は官僚、弁護士など教養市民に対して痛烈な批判を浴びせているんです。当時の第二帝政からワイマール共和国のドイツでは、学歴、あるいは「教養と財産」がなければ出世ができない社会になっていた。階層が上なだけで、才能のない何十万という人間が高等教育を受けることにヒトラーは我慢ならないと感じたわけです。だからナチズムは、いかなる階層から出た者であろうと、能力さえあれば平等に教育の機会を与えることを課題としているんだと主張しています。
古市 今の日本でも通じそうなことを言っていますね。
佐藤 こんなふうに、当時のドイツ社会で大衆が抱えていた不満を解消するようなメッセージが『わが闘争』の中にあったことは否定できないでしょうね。

古市 当時のドイツ人は『わが闘争』を普通に読めたんですか。
佐藤 発売当初はさほど売れませんでした。おそらく最初から最後まで通読するような人も少なかったでしょう。ただ、この本から引用して、総統はこう言っているという議論はナチ党の運動時代から第三帝国時代まで繰り返し行われてきたと思います。
古市 ヒトラーが政権を取った後はかなり売れたんでしょうか。
佐藤 売れました。党員はもちろん買いますからね。1935年で250万を超え、1945年までに800万にまで膨れ上がっていく。党員や青年、婦人や大学生などの組織の構成員だけを考えても、ものすごい数になります。当時のファシズム国家であるイタリアやスペインは早くから翻訳が出たし、英語版も何種類も翻訳が出ています。戦前から日本でも複数の翻訳書が出ました。当然、ナチズムの脅威に怯えるフランスやポーランドでも翻訳が出る。敵国で訳されても印税は発生するから、まさに炎上ビジネスですね。

古市 本の話からは逸れますが、この5年とか10年の間に、ナチスが政権を取る前の戦間期のワイマール共和国と現在の日本は似ているという議論がよく現れました。この点はどう思われますか。
佐藤 私は、あまりリアリティを感じないんです。圧倒的に戦前のドイツや日本って貧しかったんです。現代の貧困も問題ではありますが、他と比較しての相対的な貧困が多いわけで、戦前は広範囲に絶対的な貧困があった。ワイマール末期に600万人の失業者を生み出した世界恐慌が起きなければ、おそらくナチ党が政権を取ることはなかったわけです。逆に言えば、当時のように失うものを持たない人が大量に生み出されれば、そうした危険な選択を人々がするということは、今の社会でもありうると思いますね。

古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『誰の味方でもありません』『絶対に挫折しない日本史』など。また、小説家としても活動しており、近著に『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』など。

古市 コロナに対して、大変な危機感をみんなが持っていた3月から5月ぐらいは、日本の中でも国家社会主義のようなものを求めるような言論が一部にあった気がするんですが、こうした動向はどのようにご覧になっていましたか。
佐藤 ドイツ史研究者はソーシャルナショナリズムのことを「国家社会主義」とは言わず「国民社会主義」というんですね。未だに多くの独和辞典も含めて「国家社会主義」と訳しているものも見かけるけど、国家社会主義ではヒトラーは政権を取れなかった。「国民社会主義」、つまり国民主権をエリートから取り戻すということを高らかに謳ったからこそ支持された。それを踏まえると、たしかにコロナの危機は国民主義的なムードを作ったと思います。典型的なのが国境封鎖をして、外国人を国に入れなくした。さらに毎日テレビで放送している新型コロナ新規発症者数の日本地図は、天気予報と同じように、国土を視覚化することで国民主義を維持する装置になっています。コロナの地図は国境よりも県境地図といったほうが適切ですね。その意味では、ナショナリズムよりも、もっと内向きな心の地図を作り出して、社会全体が内向きになっていることはたしかです。ただ問題は、それが国民社会主義と言えるかどうかです。ヒトラーのイノベーションは、ナショナリズム(国民主義)とソーシャリズム(社会主義)を合わせたところにあります。社会主義というのは、万国の労働者の連帯を呼びかけるものだから、基本的にインターナショナルなんです。ところがヒトラーは社会主義的なものをナショナリズムと結合させる事によって、ドイツ社会の中で不満を抱く多数派の支持を得ようとした点が特に重要なんです。

佐藤卓己 さとうたくみ 歴史学者、社会学者。1960年生まれ、広島県出身。京都大学大学院教授。専攻はメディア史、大衆文化論。2020年にメディア史研究者として紫綬褒章を受章。近著に『流言のメディア史』『大衆宣伝の神話―マルクスからヒトラーへのメディア史』『メディア論の名著30』など。

古市 ソーシャルメディアの影響で、ポスト・トゥルースやフェイクニュースが政治を動かすような力を持つことが問題になっています。『わが闘争』で書かれているように、共感を得られれば何を言ったっていいという風潮をどう考えていますか。
佐藤 『流言のメディア史』でも書いたのですが、私は「ポスト・トゥルースの時代」が悪い時代で、「トゥルースの時代」がよい時代だとはまったく思っていないんです。実は、ナチスのドイツ第三帝国って、「トゥルースの帝国」なんですよ。
古市 ナチス時代がトゥルースの時代?
佐藤 そうです。どういうことかというと、ヒトラーが敷いた検閲の体制は、ユダヤ人が流すデマはことごとく排除しようというもので、真実は我々の側にしかないという立場でした。だから検閲とプロパガンダをワンセットにした時代こそが「トゥルースの時代」、つまり「真実の時代」なんです。

佐藤 逆に言うと、ソビエト体制やナチ第三帝国、戦前の大日本帝国が生み出した「真実の時代」の怖さに対して鈍感になっているから、「ポスト・トゥルース」が怖いと言えるんじゃないでしょうか。私は「ポスト・トゥルースの時代」よりも、「真実の時代」の方がはるかに嫌な時代だと思っています。それはほとんど神権国家みたいなもので、神の言葉から外れた内容はすべて真実じゃない、異端は全部磔にしましょうということになりかねないですね。それが嫌なら、あいまいな情報に耐える力をつけていくしかありません。

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