撮影/伊東隆輔
構成/斎藤哲也
『神曲』で描かれているのは、
当時、出現しつつあった「個人」という概念のあり方なんです ―― 原
古市 原さんは2014年にダンテ『神曲』の新訳を完成させました。『神曲』って一言で言えばどういう話なんですか?
原 一言で言えば!(笑)。その質問は予想していなかった。うーん、一言で言えば、『神曲』はあの世の話をしているのですが、実は徹頭徹尾、この世の話なんです。
古市 この世の何を描いているんですか?
原 ダンテの時代の人間の生き方です。ダンテより少し前ぐらいから、ヨーロッパでは都市文化が起こり始めるんですね。それまでの農村がメインの社会では、時間は季節のように円環するものでした。そういう時間感覚の中では、「個人」という概念は生まれません。
でも都市文明が生まれると、職人や商人などいろいろな職業ができますよね。とくに当時のイタリアでは、貿易が盛んになりました。そうすると、個人の裁量で大きな商取引の決定をしなければいけない。つまり都市は、個人が自分の裁量で物事を決めてやっていく社会をつくりあげていくわけです。
ただ、「個人」という考え方が社会で定着するためには、誰かが概念として明確にしなければいけません。『神曲』で描かれているのは、当時、まさに出現しつつあったその個人というあり方なんです。
古市 『神曲』は、地獄篇、煉獄篇、天国篇という3部構成ですよね。地獄も煉獄も天国もあの世のことですがそれが個人の生き方とどうつながっているんですか。
原 実は都市文明が起こる前は、ほぼ階級によって天国と地獄に振り分けられていたんです。簡単に言うと、騎士と貴族は文字の世界に触れられるからキリスト教との関係を作れる。対して農民たちは文字が読めずキリスト教の世界から遠ざかっているので地獄に落ちるんです。
古市 文字が読めないだけで地獄に落とされる。恐ろしいですね。じゃあ、煉獄って何ですか。
原 実は煉獄という言葉は聖書にはありません。キリスト教が興ってからずっと、死後の世界は天国と地獄の二つに分かれていました。商業経済が栄えて都市が勃興してくると、都市市民が台頭していきます。多様な生き方をする都市市民は、天国に行くか、地獄に落ちるかという考え方になじみません。そこで、都市住民たちが行く場所として煉獄が必要になったのです。
古市 具体的に、煉獄はどういう場所なんでしょうか。
原 煉獄で贖罪をして、罪を清めると天国に行ける。天国に行くための矯正施設といったところです。
古市 矯正されずに地獄に落ちることはないんですか。
原 ありません。贖罪の時間は罪の重さによって違いますが、最後はみんな天国に行くんです。
ダンテは政治抗争の渦中にいて、弾圧を受ける側になった。
その怒りが『神曲』を執筆する動機の一つだったんです ―― 原
古市 ダンテは、なぜ『神曲』を書こうと思ったんですか。
原 一つは、当時のフィレンツェの社会体制に腹が立っていたんだと思います。地獄篇なんて、怒りに満ち満ちてますから。
古市 フィレンツェの何にそんなに怒っていたんでしょうか。
原 1300年代のフィレンツェでは、大変な政治抗争が起きるんです。ダンテはその渦中の一人で、当初は政権側にいたのですが、クーデターによって弾圧を受ける側にまわってしまった。その結果、フィレンツェから追放処分を受け、死刑まで宣告されてしまいます。追放された後、ダンテがフィレンツェに戻ることはありませんでした。その怒りが執筆の動機にはあった。そして、世界を変えなければと思ったんです。
古市 地獄篇、煉獄篇、天獄篇の中で、一番読みやすいのはどれでしょうか。
原 オススメは地獄篇ですね。 エンターテイメントとしておもしろい。
古市 どのあたりがおもしろいんですか。ストーリー自体が起伏に富んでいるのでしょうか。
原 『神曲』では地獄に行ける人ってかなり特殊な人なんですよ。悪いことをしたらみんな地獄へ落ちるかというと、そうじゃないんですね。「俺、悪かったな」と少しでも思ったら、矯正の可能性があるということで、すぐに煉獄に送られてしまうわけです。
並みの悪人では地獄に行けないんですね ―― 古市
確信犯的にその犯行を選び、必要悪だと言い張れる人だけです ―― 原
古市 じゃあ、どういう人が地獄に落ちるんですか。
原 確信犯的にその犯行を選んで、かつ俺は悪くないと言い張れる人間だけです。そういう人間は面白いでしょう?
古市 たしかにキャラが立ちますね。並みの悪人では行けないわけだから。
原 偉い人で、とんでもなく悪いことをして、それを必要悪だったとか言い出すとやばい。
古市 そこまでしないと、地獄に落とされないんですね。『神曲』では、地獄に行くとどんなことが起こるんですか?
原 いろいろ嫌な目に遭い続けるわけですよ。軽いところでは、風に飛ばされているとか、みぞれ雪の泥の中に寝続けるとか。
古市 地味に嫌な罰ですね(笑)。
原 もっと落ちていくと、血の川にずっと浸けられている。そこから頭を出すと番人のケンタウロスがいじめに来る。あるいは暑い砂漠で火の粉が降ってくる。そこで火傷しながら永遠にい続けなければいけない。
ストーリー的に期待が高まりますね。
神は一体、どんな姿なんだろうって ―― 古市
古市 『神曲』は、ダンテが、地獄、煉獄、天国と回っていくんですよね。最後はどうなるんですか?
原 神と会います。
古市 それはストーリー的に期待が高まりますね。神は一体、どんな姿なんだろうって。
原 実はそこまでは書かないんです。神と出会う場面は、「我が知性は烈しい閃光に撃ち抜かれ、その中で望んだ神秘が知性に到来した」と描かれています。神が光となって、ダンテの魂と接触、合一した。ここがクライマックスです。
古市 神を感じたダンテは、すべてを悟ったということですか。
原 そう、でも地上に帰ってきたら、その能力は保持されません。帰って来て、実生活上の辛い目に遭う。でも、世界を正常化しなければいけないという使命を神から預かっている。だから預言者として『神曲』を書くという構成をとっているわけです。かなりの力技でしょう? 生身の人間であるダンテが書きたいことを預言として地上に伝え、世界を変えようとした。ある意味、とんでもない作品ですよ。世界を動かす力を本に与えようとしたのですから。
古市 原さんが訳した『神曲』は、予備知識がなくても読めますか。
原 はい、読めるように解説はたくさん付けています。1300年ごろのヨーロッパやフィレンツェ、ダンテの状況を説明して、巻末には各歌の解説も収録しています。おそらく地獄篇と煉獄篇は予備知識なしで読めると思います。
古市 やっぱり天国篇は難しいんですか。
原 天国篇は、哲学や神学の話がけっこう入っているんです。もちろん解説はたくさんつけましたが、できれば古代ギリシャの哲学とか、アウグスティヌスの神学を少しかじっておいたほうが読みやすいでしょうね。
古市 最後まで読んだ方がいいですか。
原 読んだ方がいいと思います、なかなか神に会える体験なんてできないでしょう?
古市 たしかに。順番に読んでいくと、最後は神に会えるというクライマックスが待っている。それを楽しみにしながら読むといいんですね。
古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。『ワイドナショー』『とくダネ!』など情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『平成くん、さようなら』など。
原 基晶 はらもとあき イタリア文学者。1967年生まれ、東海大学専任講師。2014年に長年の研究成果であるダンテ・アリギエリの『神曲』全訳と総計430ページに及ぶ解説を講談社学術文庫より刊行。惣領冬実の漫画『チェーザレ 破壊の創造者』では監修を務めた。
撮影/伊東隆輔
構成/斎藤哲也