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古市憲寿×藤本壮介

古市憲寿×藤本壮介

古市憲寿×藤本壮介

名著とされているが、分厚くて手が出せなかった本、手を出してはみたけど停滞してしまった本。そんな“挫折”してしまった数々の名著を、社会学者の古市憲寿氏がホストとなり、信頼できる名著の第一人者を迎えて解説してもらうというこの連載。第33回は、ル・コルビュジエの『建築をめざして』について、建築家の藤本壮介さんにお聞きしました。

古市憲寿

構成/斎藤哲也

「新しい建築」の

あり方についての

マニフェスト本。

古市 藤本さんは、どういうきっかけでル・コルビュジエの『建築をめざして』を読みはじめたんですか。
藤本 建築を学びはじめると、必ず読めと言われる本なんですよね。ル・コルビュジエは、我々が今住んでいる社会や都市景観の礎となっている近代建築を築いた人物です。だから大学の建築の授業って、だいたいコルビュジエからはじまるし、彼のことをよく知らないといけないから必読書として扱われます。ただ、僕が実際に読んだのは、大学を卒業した後だったと思います。最初からコルビュジエは好きでしたが、当初はむしろ彼の建物の写真や図面を見たり、実際に建物を訪れたりと、彼の思想より建築に魅力を感じていました。
古市 一言で言うと、この本にはどういうことが書かれているんでしょうか。
藤本 端的に言えば「新しい建築」のあり方についてのマニフェスト本です。近代、あるいは20世紀にふさわしい建築はこうあるべきだ、と宣言しているんですね。たとえば、当時の最先端技術である飛行機や自動車を例に出しながら、「これまでの建築では不十分だ。これからの建築は劇的に変わるべきだ」と力強く主張しています。
古市 ちょうど100年ぐらい前に出た本ですよね。現代にこの本を読む意義はどのようなところにあると思いますか。
藤本 参考になる部分と反面教師としての部分の両方があると思います。参考になるのは、今私たちが建築や社会、価値観などについて常識だと思っていることが、根本から変わり得るということです。本質を疑い、問い直すコルビュジエの姿勢は、時代を超えて、若い人だけでなくすべての世代に勇気を与えるものだと思います。
 一方でこの本には、ちょうど工業化社会が盛り上がっていく時代を反映した「住宅は住むための機械である」という有名なフレーズがあります。現代の私たちから見ると、住宅は単なる機械ではなく、もっと有機的な存在として捉えるべきですよね。
 たとえばコルビュジエの思想は、エコロジーやサステナビリティの視点が欠けていて、とにかく人工物を作ることに重きが置かれています。そこは現代と大きく異なる点です。現代の建築では、エコロジーやサステナビリティが重要な課題になっています。また、コンピューターやインターネット、AIなど、コルビュジエの時代にはなかった新しいテクノロジーの変化や本質をどう捉えるのかということも現代の建築には問われています。

目に見えるものに

囚われているだけでは、

本質にたどり着けない。

古市 藤本さんから見て、この本の読みどころはどのあたりにありますか。
藤本 この本は、コルビュジエが雑誌やさまざまな場所に書いた短い文章を組み合わせて作られたものなので、各トピックが短くて読みやすいんです。でも、一見何を言っているのかわかりにくい、不思議な本でもあります。
 僕が今でも印象に残っているのは、飛行機について書かれている部分です。そこでは、鳥を真似していたときは人間は飛べなかった。飛行のメカニズムを科学的・工学的に理解したときに人間は飛べるようになったんだ、という趣旨のことが書かれています。つまり、目に見えるものに囚われているだけでは、本質にはたどり着けないということです。建築を学びはじめた当時、この考え方に触れて、目に見えるものの背後にある本質に目を向けることの重要性を強く教えられました。
古市 それを建築に当てはめると、どういう話になりますか。
藤本 建築は、建物として形が見えるものだから、つい目に見える部分に囚われがちで、見えるものをどんどん作ろうとします。でも設計の段階では、人の動きや周りの街との関係など、目には見えないけれども重要な要素がたくさんあります。単に「見た目が格好いい」「形が美しい」といっただけでは、本当の意味で建築にならないと思うんです。
 さらに、現代ではデジタル技術があります。デジタルは目に見えないものですが、それが人間の生活や知覚にどう影響を与え、結果として世界がどう変わるのかを考えないといけません。

古市憲寿

複雑で多層的な要素が

コルビュジエ建築には

含まれている。

古市 藤本さんから見て、コルビュジエ建築の魅力はどこにあるのでしょうか?
藤本 二つの側面があると思っています。一つ目は、彼の著作やステートメントで見られるように、これからの建築のビジョンを鮮やかに打ち出す力強さです。でも、もう一つの側面として、実際に彼の建物を見てみると、それほど単純ではないんですね。むしろ、いい意味で曖昧さがあり、対立する価値観が共存しているんです。たとえば「住宅は住むための機械である」と主張しながらも、彼の住宅には非常に感情豊かな空間が存在しています。また、歴史を否定しつつも肯定するという、一見矛盾する立場を取っていますが、実際には歴史的な知識に裏打ちされた複雑で多層的な要素が彼の建築には含まれているんです。
古市 藤本さんが特に好きなコルビュジエの建築はありますか?
藤本 コルビュジエは本当に大好きで、建築学科に入ったばかりの頃、最初の授業で彼のことを教えられたときから魅了されました。その衝撃から、卒業論文もコルビュジエについて書いたほどです。大学4年の夏休みに一人でヨーロッパを1ヵ月ほど旅行した際、初めて実物のコルビュジエの建築をいくつか見ました。
 その中で最初に見たのが、マルセイユにある「ユニテ・ダビタシオン」という集合住宅でした。図面では普通のマンションみたいな建築に見えたから、それほど期待していなかったんです。でも実際に目の当たりにすると、そのゴツゴツしたコンクリートの塊がとても印象的でありながら、同時に非常に数学的で抽象的なシャープさ、透明な思想が背後に感じられました。

藤本壮介

作風が変化する一方で、

その背後にある思想は

一貫していた。

古市 僕は建築に素養がないので、建物を見たときにどこをどう見ればいいのか、ポイントがよくわからなくて。たとえばコルビュジエの建築を訪れたときに、どういうところに注目して見るといいんでしょうか。
藤本 建築って専門家だけのものじゃなくて、すべての人に開かれたものだから、どう見てもいいんですよ。たとえば、「この建物の立ち姿が格好いいな」とか「周りの風景とうまく調和しているな」といったシンプルな感想でも全然いいんです。そういう視点は僕たち建築家にとっても非常に大切です。そのうえで、「どうしてこんなふうに光が入るように設計されているんだろう?」とか、「窓の周りが工夫されているから、こんな効果が生まれているのかな?」とか、もう一歩踏み込んだ見方ができると、さらに面白くなります。「このコンクリートの使い方で、建物が軽やかに見えるな」と、材料の使い方に注目してみるのもいいと思います。とはいえ、建築に素養があるかどうかはあまり気にせず、まずは純粋に楽しんで見ればいいんですね。
古市 コルビュジエの作風や思想は、生涯を通じてある程度一貫していたと考えるべきでしょうか。それとも、活動の中で変化していった部分もあるんでしょうか。
藤本 建築を見ると作品はかなり変化していますね。彼が活動したのは、第一次世界大戦後から第二次世界大戦後までの激動の時代です。初期の頃は、非常にピュアで白い住宅や、未来志向の大規模な都市計画に取り組んでいました。だけど、後期に作ったユニテ・ダビタシオンでは武骨なコンクリートが用いられたり、インドではレンガが使われたりと、作風は変わってきているんですね。
 ただ、作風が変化する一方で、その背後にある思想は一貫していたと思います。人間や人間社会の現在、そして未来をどう作っていくのか、そのために建築が何をできるのか。こうした問題を常に問い直しながら活動していくという意味では、一貫していたんじゃないでしょうか。そこには、広い意味での人間愛が感じられます。

古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『誰の味方でもありません』『絶対に挫折しない日本史』『楽観論』『10分で名著』『正義の味方が苦手です』『謎とき 世界の宗教・神話』など。また、小説家としても活動しており、著作に『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』『ヒノマル』など。

藤本壮介 ふじもとそうすけ 建築家。1971年生まれ、北海道出身。東京大学工学部建築学科卒業。2000年に藤本壮介建築設計事務所を設立。2014年にフランス・モンペリエ国際設計競技最優秀賞(ラルブル・ブラン)を受賞し、2015、2017、2018年にもヨーロッパ各国の国際設計競技にて最優秀賞を獲得。主な作品に「House N」「武蔵野美術大学 美術館・図書館」「サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン2013」など。2025年に開催される大阪・関西万博の会場デザインプロデューサーとして、シンボルとなる木造の大屋根(リング)を手掛ける。

構成/斎藤哲也