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古市憲寿×松本 涼

古市憲寿

古市憲寿

名著とされているが、分厚くて手が出せなかった本、手を出してはみたけど停滞してしまった本。そんな“挫折”してしまった数々の名著を、社会学者の古市憲寿氏がホストとなり、信頼できる名著の第一人者を迎えて解説してもらうというこの連載。第13回目は北欧神話の『エッダ』について、中世アイスランドの歴史と文学の研究者で福井県立大学准教授の松本涼さんにお聞きしました。

古市憲寿

構成/斎藤哲也

スカンディナヴィアの人たちがキリスト教に

改宗する前に信仰していた神々についての物語。

古市 北欧神話に出てくる神様はマンガやゲームにもよく登場します。でも、北欧神話が描かれている『エッダ』がどういう本なのか、全貌がなかなかつかみづらい。そもそも『エッダ』=北欧神話と考えていいんですか。
松本 一対一対応ではないんですよ。北欧神話は、スカンディナヴィアの人たちがキリスト教に改宗する前に信仰していた神々についての物語です。ただ、その時代の北欧の人々は、文字を書く習慣がほとんどなかったので、文字資料として残っていません。口頭伝承でずっと伝わっていたんです。13世紀になって、キリスト教徒のスノッリ・ストゥルルソンという詩人が、当時の口頭伝承をもとに、北欧に伝わっていた神々についての物語をまとめた。それが『エッダ』という書物で、オリジナルの神話に近い情報を保存していると考えられていますが、『エッダ』が北欧神話のすべてではないんですね。
古市 『エッダ』のほかにも北欧神話を伝える材料があるんですか。
松本 そうです。『エッダ』以外にデンマークやドイツに伝わっている資料や考古学的な発掘物から得られた情報を総合して再構成したのが、一般に北欧神話と呼ばれるものです。 ややこしいんですが、17世紀にスノッリの『エッダ』の元ネタと考えられている神話に関する詩をまとめた古い時代の写本が見つかり、それも『エッダ』と呼ばれています。二つを区別するために、スノッリの書いたものは『散文のエッダ』や『スノッリのエッダ』、17世紀に発見されたものは、『詩のエッダ』や『古エッダ』と呼んでいるんです。
古市 『エッダ』にはどういう神話が書かれているんですか。
松本 たとえば、『詩のエッダ』の冒頭には「巫女の予言」という詩が置かれていて、これが『エッダ』全体のストーリーの骨組みになってます。最初に、北欧神話の最高神オージンが死者の国に行って死んだ巫女を呼び出し、その巫女から世界についての話を聞くという設定が語られ、そこから巫女が昔のことを思い出して、世界の創造について語り出していくんです。
 一般的な北欧神話では、最初にユミルという巨人が生まれ、後から生まれるオージンをはじめとする3兄弟の神々が巨人ユミルを殺し、その体から大地や天、太陽や月、星をつくるという話が知られています。「巫女の予言」はストーリーが少し違いますが、オージンたちが世界を作っていくという点は同じです。

最終的に世界が滅ぶのが、

北欧神話の一つの特徴。

古市 巨人というのは、どういう存在なんですか。
松本 ストーリー上は、オージンたち神々と敵対する存在で、ユミルが神々に殺された後は、ユミルの子孫である巨人と神々が戦い続けるんです。最終的に、神々と巨人族が戦争をして、炎の巨人スルトが投げ入れた炎に飲まれて世界は焼き尽くされてしまう。最終的に世界が滅ぶのが、北欧神話の一つの特徴ですね。
古市 そこで神々も全部死んじゃうんですか。
松本 神々も巨人族も人間も全て滅びます。でも『エッダ』では、わずかな神々と1組の人間夫婦が生き残り、そこからまた新しい世界が始まるという終わり方になってます。
古市 神話には人間も登場するんですね。
松本 オージンたちが海岸で拾った流木から、人間の男女を作ったと伝わってます。
古市 松本さんが好きな神様は誰ですか。
松本 読んでいて面白いのはロキですね。いたずら屋のトリックスター的な神様で、巨人族の血を半分引いているけれどオージンたちの仲間になります。あるとき、雷神トールの妻を丸刈りにしてトールに激怒され、その埋め合わせとして小人族にグングニルという魔法の槍や、トール用のハンマーを作ってもらったりするんです。でも、最終的にロキは仲間だった神々と反目し、世界滅亡をもたらす最終戦争ラグナロクでは巨人族の側にまわって神々と戦うんです。こうしたロキの物語は「ヴァルキリープロファイル」というゲームにも反映されています。

古市憲寿

北欧神話の世界を支えているのは

巨大な世界樹のユグドラシル。

古市 北欧神話の舞台はどういう設定なんですか。
松本 世界の真ん中に「ユグドラシル」と呼ばれる世界樹があり、この大樹が世界を支えています。世界の上方には神々の世界「アースガルズ」、真ん中に人間の世界「ミズガルズ」があり、人間の世界の周りには巨人族の国があります。こういう世界観もゲームで使いやすいし、近年では、人間が住む世界が巨人に取り囲まれているという構図を、『進撃の巨人』がうまく使っていると思いましたね。
古市 そういう北欧神話の世界観は何から影響を受けて生まれたと思いますか。
松本 資料的にはほとんどわからないですね。世界の真ん中に木があるという神話は、北欧以外にもあります。キリスト教に改宗する前のゲルマン人にも樹木信仰があったことはわかっているので、聖なる木を崇めるその周りで儀式を行うようなことがユグドラシルのイメージの原点にありそうですが、具体的な影響関係となると、なかなかわからないのが実情です。
 ただ、神々と巨人族の戦いがずっと続いて結果的にみんな滅びていくという非常に厳しい世界観は、北欧の厳しい気候と関係あるだろうといわれています。
古市 北欧神話はなぜゲームやアニメ、マンガに頻繁に流用されるんですかね。
松本 ゲームには、ファンタジー的な世界観が大きな潮流としてあるじゃないですか。そういったファンタジーの世界観は、イギリスの作家トールキンが書いた『指輪物語』が大きな源流になっていますが、トールキンが世界観をつくりあげるリソースの一つが北欧神話だったんです。

松本 涼

戦いの多い時代に生まれた

ヴァルハラの思想。

古市 スノッリが『エッダ』をまとめた13世紀って、アイスランドではどういう時代なんですか。
松本 アイスランドがノルウェーの王様の支配下に入るようになる時代ですが、ちょうどそのころに、北欧神話や「サガ」など、物語がたくさん書かれる。おそらくノルウェーの支配下に入るときに、アイスランド的なものを求める態度が強まったんじゃないかと思うんですね。
古市 でも、アイスランドの人ってそもそもノルウェーから来た人ですよね。それでもアイスランドのルーツを求める感覚って生まれるんですか。
松本 移った最初は、ノルウェーの一地域みたいな感覚でしょう。でも、移住が始まった870年から200年、300年経っていくうちに習慣や言語も変わってきます。また、アイスランドは都市も発達していないので、都市のあるノルウェーとは違った社会になっていくんですね。なんでも集会で決めるとか。そこから自分たちのルーツを記録にとどめておきたいという気持ちも強まっていったと考えることはできます。
古市 現代の人々が『エッダ』を読むとどういう発見がありますか。
松本 現代といちばん違うのはヴァルハラの思想ですかね。これは、人間が戦場で勇敢に戦って死んだら、オージンの館であるヴァルハラに迎えてもらえるというものです。勇敢に戦って死ぬことはすばらしいことだという価値観は、現代にはあまりないですよね。
古市 当時の北欧の人々って、そんなに日々戦ってたんですかね。
松本 毎日戦っていたわけじゃないと思いますけど、8世紀から11世紀ぐらいの北欧は小さな勢力が戦い合って国を作っていく時期です。戦いが多かった時代なので、戦いに積極的に行かせるために生まれた思想なんじゃないかといわれていますね。
古市 北欧神話を勉強しようと思ったら、どういう本を読んでいけばいいですか。
松本 いきなり『エッダ』に挑戦するのはハードルが高いので、解説書から入るのがいいと思います。オススメは池上良太さんの『図解 北欧神話』(新紀元社)という本です。

古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『誰の味方でもありません』『絶対に挫折しない日本史』など。また、小説家としても活動しており、近著に『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』など。

松本 涼 まつもとさやか アイスランド史・文学研究者、福井県立大学学術教養センター准教授。1982年生まれ。京都大学文学研究科修了。2020年より現職。アイスランドを対象に、中世社会における権力の在り方と人々の自意識への影響、その表現方法を研究。共著に『アイスランド・グリーンランド・北極を知るための65章』(小澤実・中丸禎子・高橋美野梨編著/明石書店、2016年)がある。

構成/斎藤哲也