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古市憲寿×岡本亮輔

古市憲寿

古市憲寿

名著とされているが、分厚くて手が出せなかった本、手を出してはみたけど停滞してしまった本。そんな“挫折”してしまった数々の名著を、社会学者の古市憲寿氏がホストとなり、信頼できる名著の第一人者を迎えて解説してもらうというこの連載。第25 回は鈴木大拙の『禅と日本文化』について、宗教学者の碧海寿広さんにお聞きしました。

古市憲寿

構成/斎藤哲也

禅の思想と

禅が日本文化に与えた

影響を解説した本。

古市 『禅と日本文化』は、一言でいうとどんな本ですか。
碧海 近代日本あるいは20世紀を代表する鈴木大拙という仏教者が、欧米人向けに禅の思想とそれが日本文化に与えた影響を比較的分かりやすく解説した本ということになると思います。禅に影響を受けている日本文化として取り上げられている事例は、墨絵や茶道、俳句などですね。あと武士道や剣術も取り上げられていて、それぞれ詳しく説明されています。
古市 読みやすさはどうですか。
碧海 海外の人に向けた本ですから、日本の文化や歴史をよく知らなくても伝わるように書かれています。それがかえって、現代の日本人読者にもわかりやすい内容になっているんじゃないでしょうか。
古市 大拙は「禅」をどのように説明しているんですか。
碧海 そのエッセンスは、第一章に書かれていて、禅の修行の目的は「悟り」の獲得だと断言している。そして悟りというのは、日々の暮らしの経験の中に新たな意味を発見することだと主張しています。こういうシンプルな説明から始めて、より深いところに入っていくというのが、鈴木大拙的な禅の語り方なんです。
古市 大拙は「禅とは何か」と主張したかったのか、それとも「禅を使って日本文化を伝えたかった」のか、どちらに力点が置かれているんですか。
碧海 難しい質問ですけど、両方を考えているでしょうね。最大の目標は仏教・禅のほうにあるんですけど、この本を構想し始めている1920年代、30年代あたりは、海外で日本文化に関する関心が高まっていた時期でもありました。だから禅という仏教の一宗派の思想を伝えるだけじゃなく、一緒に日本文化も伝えていきたいという思いも強くあったはずです。そうすれば、より多くの人が興味を持ってくれると考えていたんじゃないでしょうか。
古市 現代の日本人が読んで、ここは面白いというパートはありますか。
碧海 俳句の章ですかね。俳句という短い詩の中には、人間と自然の出会いのようなものが圧縮して描かれている。それは禅の精神と通じているんだということを、俳句への愛着が感じられる筆致で綴っています。また、芭蕉や蕪村の作品を綿密に読み込んでいくくだりは、俳句批評として読んでもなかなか面白みがあります。
 俳句を詠む人はけっこういますが、剣術や武士道は縁遠いと思いますので、俳句の章から入るのがいいんじゃないでしょうか。

新たな精神性を

示唆するものとして、

大きな反響を呼ぶ。

古市 海外ではどのように受け止められたんですか。
碧海 最初に出版された1938年当時は、東洋思想や日本文化に興味を持つ一部の先進的な人々からは反響がありましたが、それほど広がりはありませんでした。しかし、戦後の1959年に増補改訂版が出版され、そちらは大変な反響を呼ぶんです。
 当時はヒッピー文化やカウンターカルチャーなどが盛り上がっていた時期で、西洋文明に疑問や行き詰まりを感じる人々がかなり増えていました。そうした人々にとって、『禅と日本文化』は、西洋文明の行き詰まりに対する新たな精神性を示唆する興味深いヒントとして受け止められたんです。
古市 碧海さんは、1959年の増補版を日本語に訳して出版していますね。翻訳されてみて、鈴木大拙の禅の捉え方について、どんなことを感じましたか。
碧海 そうですね、確かにかなり単純化をし過ぎている部分は要所要所にあります。わかりやすく伝えようとすると、どうしても単純化は必要になると思いますが、この本は「日本文化は禅で大体説明できる」という印象をどうしても強く与えてしまいますよね。
 ただ、日本の仏教は、いろんな宗派があり過ぎて、そこに分け入っていくと理解しづらいのも事実です。だから、「禅だけを切り口にして日本文化を説明できる」というスタンスは、少なくとも当時のアメリカやヨーロッパの読者には非常に理解しやすかったわけです。もちろん、それで日本文化の全体像をきちんと伝えられているかというと、疑問符が付くと思いますが。

古市憲寿

主張内容の

全く異なる宗派が、

同時多発的に生まれる。

古市 せっかくの機会なので、本を離れて日本仏教についてもうかがいたいんですが、日本仏教はどういうプロセスで、宗派が多様化してきたんですか。
碧海 これだけいろんなタイプの宗派が共存している国は、日本以外に見当たりませんよね。歴史的には、大乗仏教が中国や朝鮮半島を経由して日本にやってくるわけですけど、日本の中で独自発展を遂げてきたわけです。
 それが特に顕著だったのが、鎌倉新仏教と呼ばれるものです。法然や親鸞、日蓮、道元などが、それぞれの独自の思想を展開させていった結果、お互いに主張内容の全く異なるような宗派が同時多発的に生まれることになりました。
古市 日本で仏教の宗派が多様化した理由は何なんですかね。
碧海 難問ですね。もし中国流の仏教をそのまま踏襲していったとしたら、今のように多様化しなかったはずなんですね。たとえば禅は、中国的な仏教をそのまま引き継いでいる感じがします。
 一方で、浄土宗や浄土真宗の系統は、もとは中国から来ているんですが、かなり独自解釈でやっていくわけですね。特に日本で一番広まった浄土真宗は、仏教の歴史の中では異端と言っていいような発想がふんだんに入っています。開祖である親鸞は、戒律を守ったり瞑想したりして自己を鍛えることで悟りを開くという従来のスタイルを、ほぼ完全に放棄します。そして阿弥陀如来による他力の教えを信じることで救われるという、それまでの仏教にはあまり見られなかった教えを始めたんです。

岡本亮輔

日本文化の

深層には仏教が

染み込んでいる。

碧海 これは一般の人々にとっては受け入れやすいじゃないですか。修行しなくていい、念仏を唱えれば救われるという教えですから、生活の仕方も大きく変える必要はない。実際、親鸞は妻帯して子どもも作る。そういう生活を意識的にやっていたところもあるんですね。これは仏教のお坊さんとしては破格です。でも、それを受け入れていく日本の人たちはたくさんいたわけです。だから、浄土宗あるいは浄土真宗的なものが、仏教が日本国内で多様化していくうえで決定的な変化をもたらしたとは言えると思います。
古市 逆に、宗派が多様化していった中で、日本仏教の共通点みたいなものは何かあるんですか。
碧海 明治維新後になると、浄土真宗以外の宗派のお坊さんたちも真宗に近づいていったところはありますね。わかりやすく言うと、肉食妻帯していく。抽象的にいえば、普通の生き方の中で仏教を実践していくという流れがどんどん強くなっていったと思います。だから、在家仏教の色が強いということが、日本仏教の特色として言われますね。
古市 『禅と日本文化』が今でも読まれているということは、日本文化論が100年近く止まってるとも言えるように思います。だとすると、これから日本文化論的なものは、どのように語るのがいいんでしょうか。
碧海 個人的には、もう少し仏教目線の日本文化論があっていいとは思っています。最近だと、日本文化は何かっていうときに参照されるのは、サブカルチャー方面が多いですよね。でも、深層というか歴史的に深いレベルでは、仏教が染み込んでいるのもたしかです。それは禅だけじゃなく、むしろ浄土真宗のほうが広がっていたので、そちらの視点から、日本人や日本文化を見ていく取り組みはあっていいように感じます。
 そういった禅以外の宗派が日本文化に与えた影響と、大拙の『禅と日本文化』を組み合わせていく。さらにそこにアニメやマンガなどのサブカルチャー的な文化論も接続できると、もっと広がりのある日本文化論が構想できるんじゃないでしょうか。

古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『誰の味方でもありません』『絶対に挫折しない日本史』『楽観論』『10分で名著』『正義の味方が苦手です』など。また、小説家としても活動しており、近著に『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』『ヒノマル』など。

碧海寿広 おおみとしひろ 宗教学者、武蔵野大学文学部教授。1981年生まれ、東京都出身。専門は近代仏教研究。慶應義塾大学経済学部卒、同大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会学)。著書に『近代仏教のなかの真宗』『入門 近代仏教思想』『仏像と日本人』『科学化する仏教』『考える親鸞』など。

構成/斎藤哲也